The 57th meeting of the Japanese association of educational psychology

The 57th meeting of the Japanese association of educational psychology

Aug 26 - Aug 28, 2015Toki Messe (Niigata Convention Center)
The Japanese Association of Educational Psychology
The 57th meeting of the Japanese association of educational psychology

The 57th meeting of the Japanese association of educational psychology

Aug 26 - Aug 28, 2015Toki Messe (Niigata Convention Center)

[j-sym03]”アロマザリングの島”における子育て

根ケ山光一#1, 中島伸子2, 外山紀子3, 小島康生#4, 石島このみ#5, 川田学6, 白石優子7, 内田伸子8(1.早稲田大学, 2.新潟大学, 3.早稲田大学, 4.中京大学, 5.早稲田大学, 6.北海道大学, 7.早稲田大学, 8.十文字学園女子大学)
沖縄県宮古郡にある多良間島は,2000年前後に合計特殊出生率が全国一となったことで話題になったことのある島である。日本はかつて,どこでも子どもたちが群れ,駆け回っていた。多良間島での子ども同士や大人と子どもの関係を見ることは,都会での育児の現状を検証し,場合によってはそれに修正を迫ることにもつながるといえよう。また沖縄は1972年に本土に復帰し,それを境にして子どもをめぐる環境も多面的に大きく変貌した。なかでも保育所の設立は,この島の子どもと大人の関係に大きな影響をもつできごとであった。
沖縄の各地には,昔から「守姉」と呼ばれる,主として少女による子どもの世話の風習があった。それは単なる個人による個人の世話ではなく,家族ぐるみの相互交流を含む豊かなアロマザリングなのである。かつては周辺の多くの島にも存在していたが今では衰退してしまっているなかで,多良間島ではそれが今も息づいている。保育所は島に新たに導入された施設型の制度的アロマザリングであり,守姉という土着的な地域密着型の私的アロマザリングとはある意味で拮抗的関係にある。さらにいえば,小学校の教育制度もまた守姉と拮抗的でありうる。このような変化の波にもまれながら,多良間島の子育ては大きく変容しつつあるのである。
このような目まぐるしい変化と現状を,聞き取りや質問紙,行動観察などを通じて丁寧に記録・分析し,その成果をつきあわせ総括することは,日本の,そしてひいては世界の子育てを考える上で示唆するところが極めて大きいに違いない。私たちはそのような問題意識から,2013年度から3年間,科研費の助成を受けて集中的に島の子育ての研究を続けてきている。本シンポジウムは,その代表者である根ケ山が本学会招待講演(「アロマザリングの島の子どもたち」8月27日午前枠)を行う機会をとらえ,相補的にそれとタイアップする形で,現在進行中である共同研究活動の経過報告の場とするべく企画されたものである。

多良間島における子どもの対人的かかわり
(中京大学 小島康生氏)
多良間島では,母親の就業に関係なく1歳台になると保育所に通うケースが多いが,0歳台の子どもは家庭で過ごす時間が長い。いっぽう4歳を過ぎると子どもは保育所から幼稚園に移行し,小学校就学までの2年間(都会でいう年中,年長クラス)をそこで過ごす。なお,幼稚園は原則正午迄で,園児は降園以後かなり自由度の高い過ごし方をしている。以上を踏まえ,保育所に通っていない0歳児と幼稚園に通い始めたばかりの4歳児に着目し,日中の過ごし方を調査した。
対象は0歳が5名,4歳が6名の計11名であった。母親に対し,定期的に子どもの日中の過ごし方や他者との関わりを記録してもらうよう依頼した。分析の結果,0歳の子どもは母親と外出することが多く,各所で地域の大人や小学生等に世話をしてもらっていることがわかった。一部の小学生が自宅を訪れ遊び相手になってくれることもあり,その小学生が子どもを短時間の散歩に連れ出すことさえあった。4歳の子どもは,はじめのうちはおばあの家をよく訪れ,やがて遊び場の拠点ともいえる小学校のグラウンド周辺や友達の家で過ごすことが多くなっていった。関わり相手はきょうだい,いとこ,友達が中心であったが,たまたま近くにいた小学生に遊んでもらうこともしばしばであった。少し慣れると遠方の友達の家まで足をのばすことも増え,帰り道がわからない時は近くにいる大人に尋ねて自力で帰ってくるほどの逞しさも一部の子どもに認められた。
都会(名古屋)での結果と比較してみると,多良間の4歳児は親と独立した活動がたいへん多く,試行錯誤しながらも思い思いに地域内を動き回っている点が特徴的であった。そうしたことの背景には,幼い頃から多種多様な大人や子どもたちと豊かな交わりを経験していることに基づく他者への信頼感,また子どもを島全体で見守り,育てる空気感のようなものがあると考えられた。

東京と多良間島における保護者の「10歳頃の女の子」のイメージ調査
(早稲田大学 石島このみ氏)
多良間島では,子どもが「保護・養育をするもの」としての役割の一端を担っていることが少なくない。これまでの本グループにおける調査から,多良間島における「守姉」の平均開始年齢は大体10歳頃であり,守姉となるのは主に女児であることがわかっている。しかしそれと対照的に都市部では,一般的に「保護・養育をされるべきもの」であるという子ども観があるのではないだろうか。こうした問題意識をふまえ,報告者らは東京と多良間島において,子育て経験のある男女を対象として,守姉の開始年齢にあたる「10歳頃の女の子というもの」のイメージについて質問紙により調査し,比較検討した。質問紙は①10歳頃の女の子が乳幼児に対する各種の世話をする際の有能性の評価に関連する質問項目(全くできない1点~よくできる5点:5件法)と,②明るい―暗いなどのプラス―マイナスのイメージを表す形容詞対(矢野ら,2003)と独自に作成した形容詞対,合計30組により「子どもイメージ」をはかる質問項目(-3点~+3点:7件法)によって構成された。
分析の結果,①については,「保育園のお迎え」「車道危険場面での連れ戻し」の2項目で,東京に比べて多良間島のほうが平均得点が有意に高かった。②については,暗い―明るい,不活発な―活発な,弱々しい―たくましい,強情な―素直な,といった11項目において有意差が認められ,その全ての項目で,東京に比べ多良間島のほうがよりポジティブに評価していた。
これらの結果は,東京と多良間島では保護者が「10歳頃の女の子」に対して抱くイメージが異なり,多良間島の保護者のほうがよりポジティブな目で少女を見ていたことを示唆する。多良間島における子どもへのこうしたおおらかでポジティブなイメージが,現在における守姉のような風習の存続と関連している可能性がある。しかしそれは裏を返せば保護者からの子どもへの「期待」の高さでもあり,それが子どもたちの実際の行動にどのような影響を及ぼすのかについては,今後も検討が必要である。

保育所の設立と守姉
(北海道大学 川田学氏)
多良間島に保育所が設立されたのは1979年のことである。保育所の設立は,本土復帰や国際児童年といったマクロな社会情勢とも関連しているが,その経緯には幼子の母親たちを主とする島の人々の運動の具体がある。
報告者は,これまで2014年2月および9月に多良間島を訪問し,保育所を基点とするフィールドワークを行ってきた。具体的には,保育所設立期に関わった当時の保護者および保育士への聞き取り,保護者(姉兄含む)・保育士・園児の観察,資料・史料の分析等を行っている。
本報告では,多良間村立多良間保育所をめぐり,多良間の子育てコミュニティと保育所の設立・発展との相互影響関係について検討し,保育所という「制度的アロマザリング」と「守姉的風土」の多良間的な共存の様相を仮説的に描きたい。
これまでの調査を通して報告者は,保育所の設立と守姉の衰退とは直接的な関係にはなく,もともと異なる機能を有する実践なのではないかと推察している。保育所設立運動の中心メンバーだった女性への聞き取りによれば,「野放し」になっていた幼児の生活を見かねた当時の母親たちが求めたのは,幼稚園の2年保育(4歳児)であったが,結果としてできたのは保育所であった。つまり,4歳児の「専門的教育」を要望したところ,3歳未満児の保育所保育が実現したという経緯が推察される。保育所は,手さぐりの実践から一定の標準化を経て,比較的近年になってから「多良間の保育」としての固有性を志向するように変遷してきている。
また,保育所設立の潜在的背景として,母親の就労機会の広がりもあったと推測される。守姉は,もともと放課後や休日という限られた時間の子守りであり,母親の就労による乳幼児の「保育に欠ける」状態を完全に払拭するものではない。守姉風習の本質は,子守機能に加えて,少女と幼子というカップリングを媒介とした,親族的ネットワークの拡張にあるのかもしれない。

守姉体験の世代間比較
(早稲田大学 白石優子氏)
報告者らは,多良間村において守姉がどのようになされてきたかを明らかにすることを目的とし,多良間村の街頭や保育所,高齢者生活福祉センターなどで,11歳以上の村民161人に,守姉経験に関する聞き取り調査を行った。
60代以上の人からは,「保育所ができて守姉はしなくなった」と語られることがしばしばあったが,守姉になった経験のある女性の割合を時代ごとに比較すると,保育所設立頃にその割合は減少するものの,現在10代から20代半ばの群では,約半数の女性に守姉経験があることがわかった。しかし,若い男性のなかには,守姉という風習を知らない人もいて,現在も守姉の風習が盛んであるとは言いがたい。
子守内容や守姉になる経緯などは,世代での違いがあった。現在50代後半以上の世代では,さらしでのおんぶ,母乳を飲ませるために畑にいる母親のもとに連れて行く,おむつカバーもない時代に布おむつを替えるなど,子の生存に重要な養育であり,守姉の負担は大きかったと推測される。子どもが生まれると,親がちょうどよい歳の女の子を探し,ぱんびん(天ぷら)を揚げてお願いしに行くという慣習もあった。守姉の家との付き合いは,「親戚以上」「親やきょうだい以上」とも表現されていた。一方,現在10 代から30代の保育所開設数年前から保育所開設後にあたる世代での子守内容は,ベビーカーで散歩,ミルクをあげる,紙おむつを替える,一緒に遊ぶなどであり,守姉の負担が軽減されたと推測される。また,子どもが好きな女の子から「この子の世話をしたい」と申し出るケースもあり,必ずしも子守の手を必要としていない場合にも守姉になっていた。
保育所設立後,幼子の世話という守姉の役割はなくなったように思われた。しかし,守姉は姿を消すことなく,時代の変化に伴い,形を変えて根付いている。その理由は,守姉には,幼子の世話をすることに伴う様々な「間接的なメリット」があるからではないか。