The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

Oct 8 - Oct 10, 2016Sunport Takamatsu / The Kagawa International Conference Hall
The Japanese Association of Educational Psychology
The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

Oct 8 - Oct 10, 2016Sunport Takamatsu / The Kagawa International Conference Hall

[JF04]身交(むか)う構えと養育性の「技化」を考える保育における専門性を巡って

寺見陽子1, 勝浦眞仁2, 田中裕子#3, 山村けい子#4, 小嶋玲子5, 石野秀明6(1.神戸松蔭女子学院大学, 2.桜花学園大学, 3.四日市市公立幼稚園, 4.兵庫大学短期大学部, 5.桜花学園大学, 6.兵庫教育大学大学院)
趣   旨
 今日,子どもの保育はもとより保護者やその子育てを支援する者として保育者の専門性が問われ,その営みの質の向上が課題となっている。それは,実践を言語化して可視化し,実践行為の根拠を明確化していくことを循環させる行為(PDCAの確立)として求められている。しかし,子どもの保育も保護者の支援も,人と人の関係性の中で営まれるものであり,必ずしも言語化し可視化できるものばかりではない。
 保育における援助や支援は,日常性の中で展開される平等な関係性の中で,「養育」あるいは「育成」という予防的・開発的な意義と「ともに」「支えあう」といった相互主体的行為が基盤となる。その専門性とは,保育の場における出会いとかかわりの過程に,求められる援助や支援をいかに映しこんでいくかという,専門知識や技術の施行だけでなく,関係構築過程に投入される人間「技」を要する。保育における専門性には,そうした人間「技」が「技化」されるプロセスの中に「宿る」といったような側面があるのではなかろうか。その深化には,可視化できにくいものを意識化するプロセスが必要なのではなかろうか。
 本シンポジウムでは,保育における「技」が「技化」されるプロセスとその要件について論議し,保育者の資質と実践力の向上を目指した支援の在り方について考える。論議を進めるに当たり,語義の共通理解が重要であるが,ここでは,保育に埋め込まれた感覚的で直感的な事柄を言語化し,その中で「技」が「技化」されるプロセスを概念化していくことを検討課題とし,保育者の資質や保育の質の向上ついて一考したい。
保育者が親になり,子育てを経験することを通して
勝浦眞仁(桜花学園大学)
 保育者の「養育性」を育くんでいくことを考えたとき,研修等による保育の知見の獲得や,日々の保育に対する省察を中心に,保育者の専門性の研鑽について,これまでに様々な研究が積み重ねられてきた。こういった取り組みを充実させる必要性が言われる一方で,保育者自身で子育てを体験することは,保育者としてのあり方にどのような影響を与えているかという点について,意外にも十分な聞き取りがなされてきたわけではない。
 保育者自身の人生の営みを,保育者の専門性として議論の俎上に載せてしまうことは,保育者養成の文脈にそぐわないとして,躊躇される向きもあるかもしれない。しかし,研修プログラムやガイドラインにある保育者像に,多様な保育者のあり方を収束させてしまうところには疑問が残る。保育者の子育ての営みが保育にむかう構えに何らかの変容を生みだす,と考えるのは,保育の豊かな「養育性」を見ていく上で重要ではなかろうか。
 そこで本話題提供では,ある保育者の語りから浮かび上がってくる保育にむかう構えを提示し,保育者の「養育性」に迫っていくことを目指す。
養育・保育の困難感に関する研究を通して
寺見陽子(神戸松蔭女子学院大学)
 筆者は,これまで,親や保育者(以下養育者とする)のストレスについて検討してきた。育児や保育におけるストレスは,充実感と消耗感の交錯するものである。ある養育者には消耗感の増幅となり,ある養育者には充実感の増幅になる。そうした相違は,当事者の親和性と関連し,親和性の高い人はストレスに対して前向きに対処し,情報や研修等によって自信を高めていた。
 保育も子育ても,目の前にいる子どもを敏感に感じ取り,その意向に沿い,あるがままに受け止めつつ方向付けるという受容的共感的理解やかかわりが求められる。そうした理解やかかわりに養育者自身の親和性が影響するのではないかと推察される。ここでは,養育・保育におけるかかわりの「技」の基盤と保育者の特性の関連を一考する。
Social Skill Trainingの実践を通して
田中裕子(四日市市公立幼稚園園長)
 遊びの中で生きていく基礎や社会性を身につけるのが本来の子どもの姿ではあるが,近年遊びだけでは社会性や生きていくための基礎力を身につけることが困難な子どもが増えている。こういった子どもに対するSST(Social Skill Training)は一定の効果が認められているが,SSTを学習するだけではなかなか身につくものでもない。また,訓練を単に繰り返しても身につくものでもない。筆者は,日常保育における人間関係を育む試みについて,SSTを学んだ子どもに日常保育の中の様々な場面に即したスキルを繰り返し,その効果を検証したが,保育者があたたかい眼差しで子どもの心に寄り添い,発達に即したかかわりを基本としながら,SSTの技法を日常保育の中でごく自然に行なったことが功を奏していた。また,対人関係を苦手とする子どもが日常生活の中でSSTのスキルを自分のものとして生かしていくには,周りの子どもとの生活と,保育者の支援やフォローが継続的・意図的に必要であると思われた。
 保育者は,専門的な知識・技能をもち,職員間で保育目標を共通理解し,日常生活の中で一人ひとりの子どもの実態や環境に合わせて,その時その時に子どもにとって最善と思われる保育を臨機応変に提供している専門家である。ここでは,SSTの取組を通して,SSTの技術を保育に生かす「技」とはなにかを一考しながら専門性を再考したい。
保育における信頼関係づくりを通して
山村けい子(兵庫大学)
 保育所では,子どものことも毎日見ている。子どもことを担任に相談をするのは自然な成り行きだろう。毎日会うことで会話もし,日々の積み重ねで「信頼関係作り」をしていくことができる。しかし,それがうまくいかない場合もある。たとえば,保護者の思いを傾聴し,共通理解を図ることができたとしても,最終的に自己決定するのは「保護者」だからである。それを受け入れてもらうには,保育士との間に信頼関係がなければうまくいかない。また,保護者が「何とかしてみよう」という気持ちになってくれなければ援助はとどかない。信頼関係は,支援の基盤である。
 今日,保護者や子どもの課題が多様化してきており,課題解決に向けた見通しのある支援を専門職としていかに展開するかが重要となっている。そうした中で,ソーシャルワーク的なかかわりの展開が重視されつつある。しかし,保育者はソーシャルワーカーではない。その技術を「保育の中で活かすこと」を考える必要がある。また,保護者自身が自ら解決しようとする力の源をつくる視点が何よりも重要になる。ここでは,筆者が保育の中で出会った保護者とのソーシャルワーク的な支援の事例を通して,その意義と限界を一考しながらかかわりの意味を考える。
保育相談支援を通して
小嶋玲子(桜花学園大学)
 保育相談支援を「保育指導」([-前略-]子どもの養育(保育)に関する相談,助言,行動見本の提示,その他の援助業務の総体)(保育所保育指針解説書)とした場合,言葉を介した相談,助言において,言語的情報に加え非言語的情報の重要性はいうまでもない。また,保育者が「行動見本」としての保育相談支援を意図しない場合であっても,子どもや保護者は,保育者の表情,立ち振る舞いから様々なメッセージを受け取っている。保育者の笑顔や態度から子育てのエネルギーやヒントをもらっている家族がいる一方で保育者のちょっとしたしぐさや表情から否定的メッセージを受けとる家族もいる。同じ内容を伝える時でも,いく通りもの伝え方があり,姿勢,態度,表情,視線などよって伝わり方が異なる。加えて同じ内容の話であっても話し合うメンバーの関係性によって受け取り方やコミュニケーションの質は変わる。
 保育者は,子どもや保護者の言語的情報や非言語的情報についての関心は高く,記録においても丁寧な記述がなされるが,保育者自身の情報については吟味されることが少ないように感じる。日常的な場で行われる支援だからこそ,支援の過程で,保育者自身の可視化されにくい表情やしぐさ,癖などを意識化し,かつ,被支援者である子どもや保護者と保育者との関係性を自覚することが,保育相談支援に向き合う保育者の「構え」や保育者のもつ保育相談支援の「技」を考えることに繋がるのではないかの視点から話題提供する。
指定討論
石野秀明(兵庫教育大学)
 保育は子ども理解から始まる。では,理解するとはどのような営みなのだろうか。一日の保育の中で「何か」が起こっていると感じることがある。その「何か」が,単なる思い過ごしではなく確かなものであるとき,はじめて理解が成立したと言えるだろう。
 理解に至る時間幅は様々である。保育は絶え間ない出来事の連鎖である。瞬時の理解が求められることもあれば,子どもの様子を見守る中で思案を重ねて理解に至る場合もある。一日の保育を反省する中で適切な環境が理解できることもあれば,数ヶ月単位のかかわりを重ね,ようやく一人の子どもの気持ちが理解できる場合もある。ただし,保育が,その都度一回限りのかかわりの積み重ねであるという事実に照らせば,専門職としての保育者に期待される,理解に至る時間幅は自ずと限られており,その理解を適切なかかわりへと昇華させることも含めれば,そこに「技」としか表現しようのない専門性が宿っていると言えるのではあるまいか。
 では,理解という技を磨くには,どのようなプロセスが想定されるだろうか。ここでは,相互主体的な関係性の構築について,①全体の雰囲気を読む力,②子どもの人間関係を掴む力,③一人一人の子どもの発達を見立てる力の三点から論じていきたい。