The 56th meeting of the Japanese association of educational psychology

The 56th meeting of the Japanese association of educational psychology

Nov 7 - Nov 9, 2014Kobe International Conference Center
The Japanese Association of Educational Psychology
The 56th meeting of the Japanese association of educational psychology

The 56th meeting of the Japanese association of educational psychology

Nov 7 - Nov 9, 2014Kobe International Conference Center

[JC01]道徳授業における談話と学習過程へのアプローチ道徳における思考過程の検討

秋田喜代美1, 小野田亮介2, 三輪聡子3, 一柳智紀4, 楠見孝5, 白水始6(1.東京大学, 2.東京大学大学院・日本学術振興会, 3.東京大学大学院, 4.新潟大学, 5.京都大学, 6.国立教育政策研究所)
【企画趣旨】
 
 道徳教育については,「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)」が平成25年12月に出され,「特別の教科 道徳」(仮称)が議論され,新たに「私たちの道徳」が作成・配布されるなど,国全体で変革が進められようとしている。そして「道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うこと」とされ,「道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養う」ために,学校全体での教員研修の必要性が,議論されて,指導内容や活動のあり方の吟味検討が行われてきている。
では,「道徳の時間」の授業において道徳的な思考や判断力はどのような過程を経て,育て高めることが出来るだろうか。授業を通して21世紀に必要なスキルとして,社会対人的な認知や価値判断能力を育てていくこと,そのための民主的な参加のあり方の習得が求められているといえよう。道徳においては,通常の教科の概念学習やスキルの学習とは異なり,道徳固有の特徴として,自らの生活体験と教材をつなぐ思考や他者との異なる見解の下での価値判断過程における対話のあり方が思考育成にとって重要なプロセスとなると考えられる。
道徳教育の指導法として,モラルジレンマ課題は有名である。ただしその教材開発や指導法という教師側の提示に関する議論だけではなく,実際の道徳授業への認知的アプローチとして,子ども側の既有知識に即した教材や子どもたちの学級が直面している課題や発達課題と,教師談話や学習過程の分析研究が必要とされると考えられる。しかしこのような観点から,実践は行われていても,それを研究として分析し研究している研究やその分析アプローチのあり方への心理学的アプローチは,必ずしも多くはない。そこで,本シンポジウムでは,道徳授業プロセスの談話過程について実際に分析をし,対話を通した認知過程について検討を行なおうとしている話題提供者と認知科学的アプローチや学習科学のアプローチから,道徳学習過程を考える可能性を示唆できる指定討論者に問題提起をしていただきながら,フロアも含め議論を深めていく予定である。

道徳授業における根拠に基づく対話   
小野田亮介

 道徳授業の主たる目的の一つは,対話を通して他者の考えを理解し,さらには自分の考えを内省的に吟味するという点にある。授業を通して意識的に自らの思考を捉え,他者の考えと比較しながら思考や判断を行うことは,道徳授業のみならず,他の学校生活全般において利用可能な,汎用性の高い思考スキルの獲得に寄与すると考えられる。
 このような学習を達成する上で重要になるのは,互いに考えの根拠を提示し,比較することである。なぜなら,根拠という比較のポイントがあるからこそ,学習者は自分と他者がなぜ異なる考えをもつのかについて思考を深めることができ,多様な観点を取り入れながら道徳的思考や判断を行えるためである。
 しかし,実際の教室談話では「なぜそう思うの?」と根拠を問われて急に答えられなくなる児童のように,自分の考えの根拠を外化することに学習者が困難さを示す場合が少なくない。そのため,形式上は話し合いが成立していたとしても,根拠の比較は行われておらず,思考が深まらない上滑りした談話となってしまう可能性も十分にあると考えられる。
 そこで本発表では,根拠が省略される原因について,「対話相手に対する文脈共有の期待」という観点から考えていく。具体的には,読み手の説得を目的とした意見文産出において,文脈を十分に共有している(と想定される)読み手に対しては,児童が「言わなくても分かるはず」という期待をもち,根拠など自分の意見を正確に伝えるための要素を省略してしまうという研究事例を紹介する。そして,このような根拠の省略が道徳授業の談話で生起した場合,どのような学習過程上の問題となるかについて授業実践の事例から考察する。また,その際に教師がどのような手立てによって児童の根拠をすくい取り,共有し,深めていくのかについても検討を加える。
 これらの研究例,実践例を通して,道徳授業の談話においてクラスメイトを「異なる考えを持ちうる他者」として認識することの重要性を示し,道徳授業の学習過程やそこで育成される道徳的思考や判断のあり方について議論を深めていきたい。

読み物資料と児童の生活経験の結びつき   
三輪聡子

 平成20年に行われた学習指導要領の改訂により,道徳の時間の目標であった「道徳的価値の自覚」に加えて,「自己の生き方についての考えを深め」という文言が新たに加わった(文部科学省,2008)。これは,道徳授業内で考えたり気づいたりしたことを通して,児童が自分自身の生き方についてとらえ直していくことがより重視されるようになったことを意味する。多くの道徳授業では読み物資料が使用され,その内容理解を通して授業が展開されていくため,個々の児童の生活経験と読み物資料の内容とが結びつくことは特に重要であると考えられる。使用される読み物資料としては,児童が共感したりイメージしたりしやすい身近な内容や,児童が憧れるような内容が教師によって選択されると考えられるが,その一方でそれらは児童自身が実際に経験したことのないライフ・ストーリーを描いたものであることも多い。そのため,児童が自分の生活経験と読み物資料の内容とを結びつけて考えることは容易ではないだろう。そこで,個々の児童がリアリティをもって読み物資料と出会うことが目指される中で,この「読み物資料」と児童の「生き方」がどのように結びつき,また,結びつけることができるのかについて考えたい。
 本発表では,上記の関連づけにアプローチするために,「類似性」という概念に着目する。複数の異なる事柄が結びつく際には,その間に何らかの形で見出された「類似性(=似ている点)」が重要になると考えられる。例えば,「頑張って勉強をしたにも関わらずテストの点が悪くて悲しい」というエピソードと「たくさん練習をしたにもかかわらず,試合に負けてしまって悲しい」というエピソードは「努力をしたにもかかわらず結果が出せなかった」という点や,結果として「悲しみを感じている」という点で似ており,結びつけることができるだろう。このような「類似性」に着目しながら,1)読み物資料の内容や資料を通して考えたことと自身の生活経験を,どのように児童が関連づけているのか,そして2)教師が道徳授業の中で児童と読み物資料をどのように結びつけているのかの2点について主に検討をおこなっていくことで,道徳授業における児童の学びの一側面とその支援方法を明らかにすることを目指す。本発表では,「読みもの資料」と児童の「生き方」は関連づけられるのかという問いのもと,道徳授業で見られた談話を中心に紹介し議論を行いたい。

社会文化的アプローチによる道徳授業を通した道徳性の発達の検討
 一柳智紀

 道徳教育は「道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行う」とされているように,1時間で完結するものではなく,年間を通じて,さらには学校生活全体を通して道徳性を養うことが求められている。こうした道徳性の発達について,従来はピアジェやコールバーグに代表される認知発達的アプローチから研究がなされ,発達段階に応じた普遍的・一般的な道徳性の発達の特徴が明らかにされてきた。しかし,これらの研究においては教師や道徳授業の影響に注意が払われていないという批判がなされている(臼井, 2011)。道徳の授業では,副読本や「心のノート」など,共通した資料が用いられることがある一方で,学級における出来事を題材にしたり,子どもの実態に即した教師自作の資料やワークシートが使用されるなど,学級に固有な言語により授業が展開される。ゆえに,道徳授業を通した道徳性の発達も,学級や学校により固有性を持つと考えられる。
 これに関し近年,人間の心的な行為が社会的・文化的・歴史的な文脈の中で道具に媒介されているとみなす社会文化的アプローチに基づき道徳性の発達を捉えようとする研究がなされてきている(e.g. Tappan, 2006; Vest?l, 2011)。そこでは,道徳性は必ず言語によって媒介され,社会的なコミュニケーションの過程や社会的関係において生じるとされる。そして,道徳性の発達は常に特定の社会的,文化的,歴史的な文脈によって形成される,と捉えられる。こうした道徳性の発達は,他者との相互作用を通して道徳性を媒介する言語を「専有(appropriation:我がものとする)」する過程であると定義される(Tappan, 2006)。しかし,社会文化的アプローチによる道徳性の発達研究はいまだ少なく,道徳授業を通した道徳性の発達については十分な検討がなされていない。
 そこで本発表では,小学校における道徳授業を継続的に観察し,その中で道徳的な判断を行う際に児童が用いる言語がどのように変化するかを縦断的に検討する。具体的には,道徳授業において扱う道徳的価値を含んだ読み物資料について,児童が自分の判断や気持ちを表現したワークシートの記述に着目し,その変化を検討する。それにより,当該学級の道徳授業を通して,児童がどのような言語を,道徳性を媒介し,道徳的経験の意味を構築していく際に用いる言語として「専有」していくのかを考察する。これにより,社会文化的アプローチからどのように道徳授業を通した児童の道徳性の発達過程を描くことができるのかを提案したい。