The 59th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

The 59th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Oct 7 - Oct 9, 2017Nagoya Congress Center
The Japanese Association of Educational Psychology
The 59th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

The 59th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Oct 7 - Oct 9, 2017Nagoya Congress Center

[JC05]発達障害理解教育の授業内容の検討

西館有沙1, 水野智美2, 徳田克己3, 細谷一博4, 今枝史雄#5(1.富山大学, 2.筑波大学, 3.筑波大学, 4.北海道教育大学, 5.東京学芸大学大学院)
企画の趣旨
 発達障害は外見や行動からその特性を把握することがむずかしい。そもそも,多くの人は発達障害がどのような障害であるかをよく知らない(岡本・三宅・仙谷・矢武・内野・磯部・栗田・小島・二本松・松山・石原・杉原・古本・國廣・高橋・河内・山手・横崎・日山・山脇・吉原,2012)。そのために発達障害児・者がもつ困り感が,障害によって生じているものであったとしても,周囲の人には「わがままである」「自分勝手である」「努力が足りない」などと受け止められることがある(水野,2012;Nishidate & Tokuda, 2013)。
 最近では,発達障害児への個別支援だけでなく,さまざまな特性のある子どもと他のクラスメートとの関係を築くことや,受容的な学級集団を育てることの必要性が指摘されている。そのため,発達障害児だけでなく,発達障害児を含むクラス全体を支援の対象にした研究が取り組まれるようになっている(大久保・高橋・野呂,2011;小野寺,2011;関戸,2004など)。
 一方で,発達障害の特性についての理解(発達障害理解)を促すことをねらった教育の内容や方法を検討している研究や実践は少ない。たとえば,「目の見えない人」「車いすの人」と聞けば,小さな子どもでも共通のイメージをもつことができる。しかし,発達障害児・者について共通のイメージや障害者像をもって学びを進めることはむずかしい。だからといって,発達障害とはどういう障害かを説明すれば理解が進むという単純なものでもない。この点に,発達障害理解教育のむずかしさがある。
 そこで本シンポジウムでは,発達障害理解教育をどのように進めればよいのか,教育を行うことによって子どもたちの認識がいかに変容するのかについて,議論を深めたい。話題提供者である水野智美氏には,これまでの研究成果をふまえて,障害理解教育の進め方について解説してもらう。また西館有沙は,発達障害理解教育の実演を行うとともに,これまでの実践で子どもたちにどのような変化が表れたかを報告する。さらに,細谷一博氏,今枝史雄氏には,障害理解に関する研究を行ってきた立場から,指定討論者として話題提供者と議論をしてもらう。


発達障害理解教育をどう進めるべきか
(水野智美)
 身体障害に関する理解指導は,「気づきの段階」「知識化の段階」「情緒的理解の段階」「態度形成の段階」「受容的行動発現の段階」に従って行われることが求められている(徳田,2005)。発達障害理解教育も身体障害と同様に,段階を意識して行う必要がある。しかし,年齢の小さな子どもは発達障害のある子どもを「障害のある子ども」とはとらえず,「すぐにたたくAくん」「みんなと一緒に活動しないBちゃん」などのように個別に理解する。また,発達障害のある人は苦手とすることが大きく異なり,周囲の人に支援してほしいことのニーズに幅がある。
 これらのことから,発達障害理解教育は,「発達障害のある人とはどのような特徴があるのか」を指導することから始めるのは適切ではない。まずは,発達障害の子どもの特徴を示す「架空ではあるが,現実的な子ども」を設定し,その子どもと仲良く遊ぶためにはどのようにすればよいかを具体的に考えるように導く指導が必要となる。それに加えて,「自分とは異なる特徴のある人がまわりにいることを知る」という「気づき」を子どもたちに促していく。
 次の段階では,自分とは異なる行動をする人に対する違和感を軽減することがねらいとなる。まずは,「自分とは異なる行動をする人がなぜそうしたのか」を子どもたちが学べる指導をする。定型発達の人に発達障害がある人の行動を解説すると,それ以前と比べて,発達障害がある人の行動に対するとまどいが減り,許容度が高まることが確認されている(徳田・水野・西館,2011)。そのため,ここでは発達障害がある人の行動の理由について障害特性を交えて説明する。なお,この指導をする際には,発達障害のある人と自分との「共通する部分」と「異なる部分」を感じられるように意識することが重要である。「共通する部分」を感じとることによって,発達障害がある人との心理的な距離を近くすることができるからである。その一方で,子どもたちは自分ができることを相手ができなければ「努力が足りない」と感じたり,規則を守れないことを一律に良くないことととらえてしまうことがある。そこで,「怠けていてやらないわけではない。その人なりにやれるようになるために努力をしているが,みんなと同じようにできないことには,理由がある」という自分とは「異なる部分」に気づけるように促していく。
 次の段階では,身体障害の理解教育と同様に,「障害者が日常生活で困ること」について具体的に知り,どのような工夫をすることによってその人たちが生活しやすくなるのか,どういった援助をすれば,その人たちが暮らしやすくなるのかを学んでいく。たとえば,自閉症スペクトラムの人は抽象的な話や長い話をされると内容を理解することがむずかしいが,具体的で一文が短く,かつ視覚的な情報を交えて話をすれば,わかることが多い。このような知識を子どもたちが持つことによって,発達障害のある人と実際に接する際のとまどいが軽減される。
 これらの指導を行った上で,最終的に「同じ社会の一員として尊重し合う」ために,自分はどうすればよいのか,社会がどのように変わらなくてはならないのかを考えられるように導いていく。
子どもの発達段階に合わせながら,このような段階を経て理解教育を行うことによって,無理なく発達障害理解教育を進めることが可能になると思われる。

発達障害理解教育の実践とその効果
(西館有沙)
 これまでに,感覚過敏やコミュニケーション障害といった発達障害の特性について教育の実践を行ってきた。たとえば,中学生を対象に,感覚過敏について伝えた実践では,皮膚の感じ方や音の聞こえ方がひとによって異なることについての理解を促すために,感覚の多様性を個々の生徒が実感できるような体験をもつことから始めた。具体的には,黒板をひっかく音や,脇の下のくすぐったさのそれぞれがどの程度苦手であるかを,生徒一人ひとりが10段階で評定し,黒板に書かれた10等分した線の下に印をつけていく活動を行った。全員が印をつけ終わった後に,線上に散らばった印を眺めた生徒たちは,黒板をひっかく音が気にならない人や,脇の下をくすぐられても平気な人がいることに驚きの声を挙げていた。この次には,太鼓やドライヤー等の音を耐えがたいと感じるA君,ボールが当たった際にとても痛がるB君,雨は痛いから嫌いだというCさんの事例を示し,感覚が非常に敏感な人がいることを伝えた。加えて,苦手な感覚に慣れることはむずかしく,慣れる場合もあればいつまで経っても慣れない場合もあることを伝えた。その上で,自分とは異なる感覚をもつ人にどのように対応すればよいかを,事例を通して生徒とともに考えた。
 上の実践の効果を検証するために授業の前と後に行った質問紙調査では,他の人が我慢できる痛みに耐えられないという友だちと,他の人が我慢できる周囲の騒音に耐えられないという友だちのそれぞれに対する認識を調べた。その結果,授業後には痛みや音の感じ方はひとによって違うと答えた生徒が増え(痛み:授業前37%,授業後64%,音:授業前38%,授業後66%),「我慢できる程度はひとによって違う」「感じ方も我慢できる程度もひとによって変わらない」と答えた生徒は減った。つまり,生徒の多くは授業後に,痛みに弱かったり騒音が極端に苦手であったりするのは,我慢が足りないのではなく,感覚が過敏であることによると考えるようになった。
 また,痛みや騒音に弱い状態を改善できるかどうかについては,「改善しなくてよい」「改善することはできない」と答えた生徒が授業後に増えていた。このことから,多くの生徒が感覚過敏のある人を受容的にとらえられるようになったことがうかがえる。
 一方で,少数ではあるが,授業後も感覚に個人差があることを十分に理解できておらず,感覚過敏の状態を「我慢が足りない」などと感じる可能性のある生徒がいた。このことから,教育の時間や内容,方法については,今後も検討を進めていく必要がある。
また,感覚の違いについて関心が高まったことにより,授業後に,嫌がる同級生をくすぐったり,不快な音を聞かせたりした生徒がいた。これは授業直後の調査で確認されたことであり,生徒の関心の高まりがこれらの行動を一時的に生じさせたとも受けとれる。しかし,発達障害理解教育の後には,「あなたは○○だ」というようなレッテル貼りや,相手の苦手としていることを敢えて体験させるなどの行為をとる生徒が出てくる可能性がある。
 したがって,扱う内容や方法,用いる表現については,教育のデメリットを最小限に抑えられるように,事前に十分に検討しておく必要がある。感覚過敏について伝えた実践では,『発達障害』という言葉を使わなかった。障害という言葉を出すことで,「障害者だから自分たちとは感覚が異なる」と生徒がとらえてしまうことが懸念されたためである。この実践では「ひとによって感覚は異なる」という理解のもとで,その延長線上に「感覚が非常に敏感な人がいる」と受けとめられることをねらった。障害という言葉を出すことで,このねらいが妨げられるばかりか,感覚が自分と大きく違う人は『発達障害』であるというレッテル貼りが起こりうると考えたのである。
 ただし,すべての実践において『発達障害』という言葉を使わなければよいということではない。コミュニケーション障害について伝えた実践では,『自閉症』という言葉を出して説明を行った。このように教育の実践においては,ねらいに基づいて扱う内容や用いる言葉を検討することが必要である。また,教育の後に,子どもたちの間に好ましくない言動が見られた場合には,教員が日々の指導において,そのような不適切な子どもの言動を修正していくフォローが必要である。