[JE05]これからの教育を問う道徳教育の在り方を考える
○田口久美子1, 大津悦夫2, 馬場久志3, 西原弘明#4, 伊田勝憲5(1.和洋女子大学, 2.立正大学, 3.埼玉大学, 4.京都市中学校教員, 5.静岡大学)
企画趣旨
21世紀以降,教育基本法改正(2006年)を機に,学校教育の現場には,教員組織や人事の在り方,教育内容,教育方法など多岐にわたり,大きな地殻変動がひっきりなしに押し寄せている。とりわけ2017年3月に告示された学習指導要領は,特別の教科としての道徳の教科化(すでに2015年に一部改訂済み),小学校高学年の外国語(英語)の教科化などに明らかなように,戦後の教育の大きな転換を印象付ける改訂となった。
戦前において,教育勅語が学校教育に甚大な影響をもたらしていたこと,及び戦後国会において,排除・失効確認の決議を経たことは周知のとおりである。関連して,戦後,教育勅語と関連の深い「修身」が教育課程から排除されたものの,学習指導要領が試案から告示へとその性格を変える過程において「特設道徳」が設定された経緯がある。
今回の改訂にかんがみ,今一度学校教育の歴史を振り返り,道徳の教科化や学習指導要領改訂にかかわる諸問題に関して,学校教育の現状を正面からとらえ,教育心理学の立場から批判的に検討することが必要であると考える。そのうえで,子どもの生活全般の保障を基盤とした豊かな人格形成の視点にたち,今後の学校教育において,留意すべき点について意見交換を行い,これからの教育への希望を探る機会としたい。
そこで,本シンポジウムにおいては,上記をふまえ,3人の話題提供者から報告を行う。大津悦夫からは,「特別の教科道徳」における,目標と教育内容・評価の在り方について,馬場久志からは,大人のための道徳教育論から子ども主体の教育論への可能性をめぐって,中学校で教師をされている西原弘明さんからは,アクティブ・ラーニングをはじめとする教育の実態と子どもたちの学びの要求について,お話いただく。3人の方の話題提供を受け,指定討論者の伊田勝憲さんから,評価や中・高校生のアイデンティティ発達論等からみた課題を提示してもらい,議論を進めたい。
「特別の教科道徳」の目標,指導内容,評価-子どもは何をどのように学ぶか
小・中学校の教育課程に「特別の教科道徳」が「道徳科」として新設され,来年度には小学校で全面実施されようとしている。しかし,教科指導により,特定の価値観やその価値観に基づく振る舞いをすることを教えてよいのかという根本的な問いに対する答えはえられていないように思われる。
道徳教育の要としての「特別の教科道徳」の目標(小学校)は,1.よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うために,2.道徳的諸価値についての理解を基に,3.自己を見つめ,物事を多面的・多角的に考え,4.自己の生き方についての考えを深める学習を通して,5.道徳的な判断力,心情,実践的意欲と態度を育てるとされている。この目標には,伝統的な教科の目標とは異なる記述が見られる。それは,1.よりよく生きるため,3.自己を見つめる,4.自己の生き方について考える,などである。これらは,個人によって違いがあることは当然である。さらに,3.には「物事を多面的・多角的に考える」とあるが,そうした個人による違いをふまえながらも,5.の目標を達しなければならないということになる。「考え,議論する」道徳ともいわれているが,その指導は,押しつけにならないだろうか。
「特別の教科道徳」の評価は,自由記述による個人内評価にするという。個人内評価を行うことは教科指導における評価の論理から考えると矛盾している。自由記述の内容では「学習活動において児童生徒がより多面的・多角的な見方へと発展しているか, 道徳的価値の理解を自分自身との関わりの中で深めているか」といったことに重点をおくとされている。このような方法は,教員には評価のために一層過大な負担を強いることになる。他方,子どもは自由記述であればこそ,その内容を深刻に受け止め,担任の評価を気遣うであろう。従来,戦後道徳教育は「学校の教育活動全体を通じて行う」とされてきたが,この原則が蔑ろにされようとしている。 大津悦夫(立正大学)
肥大化する学校教育の中での道徳教科
今般の学習指導要領では,背景に近年の認知モデルを根拠とした知識への強い依存が特徴として注目されるが,他方で子どもの生活に影響する問題として,社会の変化に対応するためという学習量の増大が見過ごせない。「学習内容の削減を行うことは適当ではない」(中教審答申)などと表明されている。同時に示された学校標準授業時数でも,週五日制の学校では上限といえる状況になっているが,多くの学校ではこれをさらに上回る年間授業時数を設定しているのが実態である。また学習時間や学習量という量的な面だけでなく,子どもの生活全体が学校を規準としたものになりつつあるという質的な面も,生活時間など学校時間外への学校の関与のあり方から指摘できる。
そうして肥大化する学校教育において,教育内容が必要論としてもたらされることが,さらに重い問題となる。育成すべき資質・能力という文言を代表として,今日の教育施策には「べき」という必要論が多用される。子どもの育成だけでなく,教員研修の法規などでも見られる。これらの上からの育成論は,人材論という性格を帯び,そこでは個よりも社会の経済発展や秩序が優先させられているとの懸念を抱かざるを得ない。そうであれば,心理学がこだわるべき個の問題として,これらの動きへの批判的検討がなされてよいだろう。道徳教育は特にその危うさを持つものとして,注目される。一人の人としての成長発達を保障することの意味を改めて問い直しながら,導入される教育内容も支援策も検討する必要がある。
教えなければならないという論調が強まっている今日,それとは逆に,子どもは何を学びたいのか,今の教育環境は子どもの視点からどのように見えているのか。そうした観点で,大人のための道徳教育論から学習者主体の教育論への転換可能性を探りたい。 馬場久志(埼玉大学)
中学生がどのように学んでいるか,彼らは何を学びたいのか
“アクティブ・ラーニング”の導入が進められ,授業の中に“話し合い”活動を入れたプランの提出が求められた。例としてあげられた授業計画は,1.導入(前時の復習)3~5分,2.本時の目標提示・学習内容の説明 20分,3.目標を深める話し合い 10分,4.話し合いの整理 10分,5.まとめ5分,というようなものだった。この4月から学校を異動になり,そこで2年生を担当することになったので,1年生での授業の様子を聞いた。びっくりしたのは,上の例の授業パターンをすでに1年間実践してきたというのだ。
社会科は,2011年の指導要領改訂で地理が2~3の国・地域から世界の6州を,2~3の都道府県から北海道から九州の7地方を教えるというように,学習内容が増えた。にもかかわらず授業時間は戦後2番目に少ない。どのように内容を精選するのか難しく,必要な基本的事項を指導するためには時間が足りない。なぜなら,一度授業で扱えば,それだけで生徒にとって身につくものにはならないからである。特に遅れがちな生徒にとって,言葉・用語の読みや意味の理解,教科書のどこに何が記述されているかなど,目標に到達するまでに学習しなければならないことがたくさんある。学習内容の理解のために必要な知識を指導する時間が足りない。“話し合い”に取る時間がない。
知識が不十分なまま“話し合い”をすれば,一部生徒の主張に傾くか,質の低い討論になる。話し合いは,獲得した知識を深め,さらに疑問・課題が明確になり,生徒にとってわかりやすい言葉を使った相互理解になる可能性がある。授業はもともと,教師と生徒,生徒と生徒のやりとりを通して成立する。今さらアクティブと言われて“強制”されるものではない。
中学生の要求は「わかる授業」である。その目標を達成するための手段の一つ“アクティブ・ラーニング”が目標になっているのはおかしい。「できる」経験が意欲を高める。先輩たちが研究し実践してきた「わかる」「できたという喜びを味わう」授業は,どのように実現されるかを日々考え,目標・授業・評価・回復指導を悩みながら取り組んでいる。
西原弘明(京都市中学校教員)
21世紀以降,教育基本法改正(2006年)を機に,学校教育の現場には,教員組織や人事の在り方,教育内容,教育方法など多岐にわたり,大きな地殻変動がひっきりなしに押し寄せている。とりわけ2017年3月に告示された学習指導要領は,特別の教科としての道徳の教科化(すでに2015年に一部改訂済み),小学校高学年の外国語(英語)の教科化などに明らかなように,戦後の教育の大きな転換を印象付ける改訂となった。
戦前において,教育勅語が学校教育に甚大な影響をもたらしていたこと,及び戦後国会において,排除・失効確認の決議を経たことは周知のとおりである。関連して,戦後,教育勅語と関連の深い「修身」が教育課程から排除されたものの,学習指導要領が試案から告示へとその性格を変える過程において「特設道徳」が設定された経緯がある。
今回の改訂にかんがみ,今一度学校教育の歴史を振り返り,道徳の教科化や学習指導要領改訂にかかわる諸問題に関して,学校教育の現状を正面からとらえ,教育心理学の立場から批判的に検討することが必要であると考える。そのうえで,子どもの生活全般の保障を基盤とした豊かな人格形成の視点にたち,今後の学校教育において,留意すべき点について意見交換を行い,これからの教育への希望を探る機会としたい。
そこで,本シンポジウムにおいては,上記をふまえ,3人の話題提供者から報告を行う。大津悦夫からは,「特別の教科道徳」における,目標と教育内容・評価の在り方について,馬場久志からは,大人のための道徳教育論から子ども主体の教育論への可能性をめぐって,中学校で教師をされている西原弘明さんからは,アクティブ・ラーニングをはじめとする教育の実態と子どもたちの学びの要求について,お話いただく。3人の方の話題提供を受け,指定討論者の伊田勝憲さんから,評価や中・高校生のアイデンティティ発達論等からみた課題を提示してもらい,議論を進めたい。
「特別の教科道徳」の目標,指導内容,評価-子どもは何をどのように学ぶか
小・中学校の教育課程に「特別の教科道徳」が「道徳科」として新設され,来年度には小学校で全面実施されようとしている。しかし,教科指導により,特定の価値観やその価値観に基づく振る舞いをすることを教えてよいのかという根本的な問いに対する答えはえられていないように思われる。
道徳教育の要としての「特別の教科道徳」の目標(小学校)は,1.よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うために,2.道徳的諸価値についての理解を基に,3.自己を見つめ,物事を多面的・多角的に考え,4.自己の生き方についての考えを深める学習を通して,5.道徳的な判断力,心情,実践的意欲と態度を育てるとされている。この目標には,伝統的な教科の目標とは異なる記述が見られる。それは,1.よりよく生きるため,3.自己を見つめる,4.自己の生き方について考える,などである。これらは,個人によって違いがあることは当然である。さらに,3.には「物事を多面的・多角的に考える」とあるが,そうした個人による違いをふまえながらも,5.の目標を達しなければならないということになる。「考え,議論する」道徳ともいわれているが,その指導は,押しつけにならないだろうか。
「特別の教科道徳」の評価は,自由記述による個人内評価にするという。個人内評価を行うことは教科指導における評価の論理から考えると矛盾している。自由記述の内容では「学習活動において児童生徒がより多面的・多角的な見方へと発展しているか, 道徳的価値の理解を自分自身との関わりの中で深めているか」といったことに重点をおくとされている。このような方法は,教員には評価のために一層過大な負担を強いることになる。他方,子どもは自由記述であればこそ,その内容を深刻に受け止め,担任の評価を気遣うであろう。従来,戦後道徳教育は「学校の教育活動全体を通じて行う」とされてきたが,この原則が蔑ろにされようとしている。 大津悦夫(立正大学)
肥大化する学校教育の中での道徳教科
今般の学習指導要領では,背景に近年の認知モデルを根拠とした知識への強い依存が特徴として注目されるが,他方で子どもの生活に影響する問題として,社会の変化に対応するためという学習量の増大が見過ごせない。「学習内容の削減を行うことは適当ではない」(中教審答申)などと表明されている。同時に示された学校標準授業時数でも,週五日制の学校では上限といえる状況になっているが,多くの学校ではこれをさらに上回る年間授業時数を設定しているのが実態である。また学習時間や学習量という量的な面だけでなく,子どもの生活全体が学校を規準としたものになりつつあるという質的な面も,生活時間など学校時間外への学校の関与のあり方から指摘できる。
そうして肥大化する学校教育において,教育内容が必要論としてもたらされることが,さらに重い問題となる。育成すべき資質・能力という文言を代表として,今日の教育施策には「べき」という必要論が多用される。子どもの育成だけでなく,教員研修の法規などでも見られる。これらの上からの育成論は,人材論という性格を帯び,そこでは個よりも社会の経済発展や秩序が優先させられているとの懸念を抱かざるを得ない。そうであれば,心理学がこだわるべき個の問題として,これらの動きへの批判的検討がなされてよいだろう。道徳教育は特にその危うさを持つものとして,注目される。一人の人としての成長発達を保障することの意味を改めて問い直しながら,導入される教育内容も支援策も検討する必要がある。
教えなければならないという論調が強まっている今日,それとは逆に,子どもは何を学びたいのか,今の教育環境は子どもの視点からどのように見えているのか。そうした観点で,大人のための道徳教育論から学習者主体の教育論への転換可能性を探りたい。 馬場久志(埼玉大学)
中学生がどのように学んでいるか,彼らは何を学びたいのか
“アクティブ・ラーニング”の導入が進められ,授業の中に“話し合い”活動を入れたプランの提出が求められた。例としてあげられた授業計画は,1.導入(前時の復習)3~5分,2.本時の目標提示・学習内容の説明 20分,3.目標を深める話し合い 10分,4.話し合いの整理 10分,5.まとめ5分,というようなものだった。この4月から学校を異動になり,そこで2年生を担当することになったので,1年生での授業の様子を聞いた。びっくりしたのは,上の例の授業パターンをすでに1年間実践してきたというのだ。
社会科は,2011年の指導要領改訂で地理が2~3の国・地域から世界の6州を,2~3の都道府県から北海道から九州の7地方を教えるというように,学習内容が増えた。にもかかわらず授業時間は戦後2番目に少ない。どのように内容を精選するのか難しく,必要な基本的事項を指導するためには時間が足りない。なぜなら,一度授業で扱えば,それだけで生徒にとって身につくものにはならないからである。特に遅れがちな生徒にとって,言葉・用語の読みや意味の理解,教科書のどこに何が記述されているかなど,目標に到達するまでに学習しなければならないことがたくさんある。学習内容の理解のために必要な知識を指導する時間が足りない。“話し合い”に取る時間がない。
知識が不十分なまま“話し合い”をすれば,一部生徒の主張に傾くか,質の低い討論になる。話し合いは,獲得した知識を深め,さらに疑問・課題が明確になり,生徒にとってわかりやすい言葉を使った相互理解になる可能性がある。授業はもともと,教師と生徒,生徒と生徒のやりとりを通して成立する。今さらアクティブと言われて“強制”されるものではない。
中学生の要求は「わかる授業」である。その目標を達成するための手段の一つ“アクティブ・ラーニング”が目標になっているのはおかしい。「できる」経験が意欲を高める。先輩たちが研究し実践してきた「わかる」「できたという喜びを味わう」授業は,どのように実現されるかを日々考え,目標・授業・評価・回復指導を悩みながら取り組んでいる。
西原弘明(京都市中学校教員)
