The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Sep 15 - Sep 17, 2018Keio University Hiyoshi Campus
The Japanese Association of Educational Psychology
The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Sep 15 - Sep 17, 2018Keio University Hiyoshi Campus

[準企記]実学(サイヤンス)する教育心理学隣接する学問との対話

安藤寿康1, 鹿毛雅治2, 市川伸一3, 松下佳代#4, 木原俊行#5, 志水宏吉#6, 松浦良充#7(1.慶應義塾大学, 2.慶應義塾大学, 3.東京大学, 4.京都大学, 5.大阪教育大学, 6.大阪大学, 7.慶應義塾大学)
企画趣旨
 本学会総会第60回を記念して,あらためて教育心理学のあり方について問うてみたい。
 かつて教育心理学の「不毛性/実践性」が盛んに議論されていた時代があった。しかし,「実践」を旗印に掲げ,研究と実践がともに発展することを目指すようになった1990年代後半以降,この学問自体のあり方自体を問う機会は激減した。それから四半世紀を経た現在,果たして,教育心理学はその不毛性を克服し,実践性を獲得したのであろうか。あるいは,「不毛性/実践性」という問いの立て方自体をも問い直すべきなのであろうか。教育に関連する諸学問の進展は急速であり,教育をめぐる社会動向もダイナミックに変化している。そのような状況の中で,教育心理学を再考し,この学問のアイデンティティを再確認することには大きな意義があろう。
 そのためのアプローチとして,本企画ではその名に「教育」を冠する諸学問との対話を試みたい。同じテーマや対象に研究関心を持ちながら,研究手法や理論背景の異なる「お隣の学問」とは本来,学び合える関係であるにもかかわらず,ともすると学問の壁に阻まれ,これまで相互にコミュニケーションする場が限られてきた。とりわけ,教育心理学は主にその方法論や学史から心理学としてのアイデンティティを強く自覚してきたこともあり,教育諸学と交流しようという積極的な姿勢がみられなかった。しかし,この学問の歴史やそこでの役割,研究テーマや知見の蓄積,その影響力や実績に目を転じれば,すでに教育学の一翼を担っていることは明らかであり,今や教育学としてのアイデンティティが問われているとさえいえるのではなかろうか。
 そこで本記念シンポジウムでは,隣接する学問領域の研究者と対話をすることを通して,今日的な観点から教育心理学のあり方についてあらためて問うことを目的とする。具体的には,(1)教育心理学と隣接諸学問の違いや関連性,(2)教育心理学への要望や期待,協同の可能性等について話題を提供してもらい,それらを踏まえつつ教育心理学(さらには教育学全般)のあり方を問い直し,今後の研究の連携の可能性を探っていきたい。

教育心理学(者)のアイデンティティと隣人関係
市川伸一
 あくまでも全体的な傾向であるが,教育心理学(者)のアイデンティティの特徴は,「心理学の一部であるという意識の高さ」と「教育学の一部であるという意識の低さ」にあるように思える。
 もともと日本において,第二次大戦後にアメリカの影響で教職課程の必修科目として「教育心理」が設置され,学習心理学者たちが急遽その役職を担ったという経緯がある。日本教育心理学会も,日本心理学会から分家したもので,人的にも研究内容的にも基礎心理学に近かった。今でも,本学会員が,他の学会としてどこにはいっているかといえば,心理学系の学会が多くあがるであろう。
 だから,教育心理学者は実験や調査・測定など,いわゆる実証科学的な方法でデータを収集したり分析したりするのは好きでもあり得意でもある。また,理論としても学習や発達に関わる一般的なものが多い。その一方で,教育現象そのものには関心が薄い。たとえば,教育の歴史,思想,制度,政策といった社会科学的な領域や,授業改善,教科指導,教員養成といった具体的・実践的問題に対する関心もけっして強くなかった。
 しかし,近年の流れを見ると,教育心理学の中では,「教育実践」という言葉がとびかうようになり,1999年には,学会誌『教育心理学研究』の中に,原著論文の一環として「実践研究」というジャンルも創設された。そこでは,教育現場に直接はいっての観察研究もあれば,自ら行った実践を対象化したり,現場の教員とともに実践をつくっていく研究もある。
今後,より大きなプロジェクトの中で,実践を核にしながら教育諸科学が連携協力すれば,それぞれの分野が試され,鍛えられるという建設的な関係が構築されていくのではないだろうか。

教育方法学の拡張と危機―教育心理学との対話の必要性―              
松下佳代
 教育方法学は,教育実践を対象とし,さまざまな学問分野の方法や知見を用いながら,教育実践の解明と変革をめざす学問である。教育心理学,教育社会学,教育工学,教育哲学,教育史学,教育行政学などと違って,教育方法学には親学問がない。教育方法学は,教育実践という対象領域(授業,学習,カリキュラム,評価,教師,生活指導など)によって規定された学問のジャンルであって,特定の学問分野(ディシプリン)を基盤として成立した学問ではないのである(佐藤, 1996)。
 だが,今日,教育実践を対象にできる学問分野は数多く,しかもそこでは,単に教育実践を価値中立的に記述・分析するにとどまらず,一定の規範性を内包して教育実践の改善を提言するところまで踏み込んだ研究が行われるようになっている。その結果,上の定義にあてはまる広義の教育方法学の範囲が拡張する一方で,従来,教育方法学を中心的に担ってきた学問コミュニティによる研究(狭義の教育方法学)は他分野との差別化を通して純化され痩せ細ってきている。解釈学的研究が学会誌の約半数を占め(吉田, 2014),量的研究や開発研究はほとんどなく,また,ICT活用や大学教育に関する研究もほとんどない――今や,教育方法学(狭義)は,notで定義される学問という様相を呈している。教育方法学の危機である。
 教育心理学との対話は,このような危機を乗り越えていく上で不可欠である。本報告では,評価研究を素材に,その対話のあり方を提案する。評価研究は,教育方法学と教育心理学のアプローチが大きく異なるジャンルである。両者を架橋することによって生まれる新しい地平を示したい。

実践に接近する学問としての教育工学―その特長と課題               
木原俊行
 1960年代に,教育工学研究は萌芽した。その際の定義(坂元 1968)をひもとくと,教育工学がその内容の複合性やその方法の学際性を特徴とする学問であることを確認しうる。ただし,教育工学研究は,その発展過程で,その特徴を別のベクトルにも求めるようになった。坂元(2000)や坂元・永野(2012)による教育工学の定義においては,「教育改善」「実践に貢献」「教育の問題解決」といった,研究の意義に関する叙述が増える。今日,教育工学は,教育学の諸研究の中でも,「問題解決」志向が強いことを,その特色としていると言えよう。筆者は,教育心理学の研究の中にも,同じ志の下に営まれているものが少なくないと考える。
 しかし,教育工学と教育心理学では,問題解決のアプローチがやや(もしかしたら,かなり)異なる。前者では,アクション・リサーチが尊ばれている。研究者が,所属する組織や担当する授業の改善を図り,そのために,自ら実践を計画・実行・評価するという研究デザインが組まれる。さらに,その実践に,新しいテクノロジーが位置づく場合も多い。
 それらの特色は,実践に接近する学問としての教育工学の「特長」でもあるし,「課題」でもある。というのも,ある事例の固有の文脈や状況を前提とするアクション・リサーチの蓄積は,「参照可能な具体例」を呈することはできても,「価値ある理論」の創出に結実しにくいからだ。また,テクノロジーの重視は,それが日進月歩であるがゆえに,研究知見のインパクトを時間的に限定してしまう。さらには,そうしたテクノロジーを教育現場に普及させるという価値をいたずらに強化する役割さえ果たしてしまう。教育心理学の学術グループは,教育工学のそれに比して,その歴史が長い。それゆえ,前述した,教育工学研究が陥りがちな状況を批判的・批評的に説く役割を果たしていただきたいと筆者は願う。

教心と教社の共生は可能か
志水宏吉
 以前,教育心理学会主催のシンポジウムにスピーカーとしてお招きいただいたことがある。学力格差の克服をテーマにしたそのシンポ,一貫してアウェー感をぬぐうことができず,終了後の気分も,不全感というかフラストレーションに満ちたものであった。
 本シンポの企画趣旨に,以下の記述がある。「今や教育学としてのアイデンティティが問われているとさえいえる。」 教育を「人間の発達と学習にかかわる事象を考察する学問」であると規定した場合,本シンポの趣旨文にもあるように,教育心理学は,過去の「不毛性/実践性」をめぐる論争を経て,今や実践科学たる教育学の一翼を担いつつあると言えるのかもしれない。 
 片や,私のディシプリンである教育社会学には,そのような問題意識は今でも希薄である。「教社」は「教育学」ではなく,あくまでも「社会学」である,というのが多くのメンバーの共通認識だ。もちろん私も含め,教社の実践性を増すことを目標に経験的研究を進めてきた人間は少なくないのであるが。
 上のような「温度差」を生み出している主要な原因は,教心の方が教社よりもそもそも教育学に近い性格をもつからだろう。教育学同様に個人の発達にこだわる教心に対して,教社はそうではなく,社会から個人への矢印(構造的・状況的制約)を議論の前提とし,その相互関係を問題にする。
 当日の報告では,「学力格差の克服」という課題に立ち戻って,教心と教社がいかにコラボしうるのかという問題を改めて考えてみたい。「共生」には,さまざまな位相や局面がある。「教心と教社の共生」の可能性について論じたい。