The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Sep 15 - Sep 17, 2018Keio University Hiyoshi Campus
The Japanese Association of Educational Psychology
The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Sep 15 - Sep 17, 2018Keio University Hiyoshi Campus

[JG01]現代青年の対人関係その神話と現実

岡田努1, 大谷宗啓2, 白井利明3, 松井豊#4, 萩原建次郎#5(1.金沢大学, 2.滋賀大学, 3.大阪教育大学, 4.筑波大学, 5.駒澤大学)
 現代の青年について,さまざまな「対人関係」の特徴が語られている。すなわち,対人関係が希薄である,人目を気にする,内向きで消極的であるなどである。そうした特徴の多くは否定的なトーンで語られ,糺されるべき事柄であるというニュアンスが含まれている。反対に暗黙の理想的な青年像として「元気,活発で強い」「外向き指向」「グローバル」な青年の姿が想定されており,そのような人材を育成すべく,教育現場も社会も方向付けられている。
 しかし本当にこれらの特徴は否定的なものなのだろうか?また,それらの特徴は現実に今の日本の若者の特徴なのか?こうした疑問について,新たな視点から,その虚実について,青年心理学,社会教育学の若手研究者など含めて検討できればと考えている。
 話題提供者のうち大谷宗啓氏は,司会の白井利明氏とともに「現代青年の友人関係は希薄化したのか-青年バッシングという世代間格差に抗して-」という論文を先日発表し(白井・大谷,2017 心理科学,38),友人関係の希薄化論がもつ青年への否定的まなざしの問題点について,調査データに基づいて論じた。また萩原建次郎氏は,「居場所――生の回復と充溢のトポス」という書籍を著し(萩原,2018春風社),若者の「居場所」についての研究成果を発表している。これらの若手研究者に加え,金沢大学先魁プロジェクト「グローバル時代における若年世代の価値と規範に関する人間科学」および科学研究費基盤研究(B)「計量社会学的方法による若年層の価値と規範に関する国際比較研究(いずれも研究代表者:轟亮)での,日米での若者の価値観や意識の比較調査などから見える青年像を岡田が報告する。
 指定討論者には社会心理学を中心に数多くの成果を発信されてきた松井豊氏に登壇願い,大局的な視点から意見を頂く。また青年の時間的展望に関する研究などで知られる白井利明氏に司会として全体のとりまとめをしていただく。

対人関係における心理社会的早熟の可能性
大谷宗啓
 青年期の友人関係は彼らの社会化と個人化に重要な役割を果たしているとされてきた。その役割が危うくなっているのではないかと危惧する形で1980年代半ばに登場したのが希薄化論であった。全人格的な融合を避け疎隔的・部分的な関係にとどめようとする志向性,自己開示や傷つき・傷つけられることを避け表面的で円滑な関係を求める傾向が見られるとした議論である。その後の友人関係研究,生徒指導,教科指導内容等は,希薄化論の強い影響下で展開した。それを強く批判し相対化する形で1990年代末頃に登場したのが選択化論であった。高まっているのは希薄さではなく,状況や気分に応じて複数の相手・複数の自己を使い分ける柔軟さであるとした議論である。以降しばしば,「希薄か選択的か」,「希薄も選択的もか」といった問いが議論・検討の的となってきた。
 希薄化論と選択化論は,友人関係のあり方の変化・新しさを論じた点と,注目した対人行動はほぼ共通しており,大きく異なったのは解釈・意味づけである。では,希薄化論や選択化論が注目した対人行動は,当事者である青年にはどのように解釈・意味づけられているのであろうか。彼らにとって,どのような主観的体験なのであろうか。大学生を対象とした自由記述調査と半構造化面接の結果からは,(a)既知の一般的なメカニズムに則った対人行動として理解可能であること,(b)青年期向きの行動ではないと彼ら自身が認識している――にも関わらず実行されている――こと,(c)学生生活への適応のみならず就職後の適応が強く意識されていることが窺えた。
 今日の青年の友人関係は,伝統的青年観に照らせば新奇に見える。しばしば「未熟」や「不全」の語で語られるように,青年期よりも児童期に近い姿に見えるかも知れない。かし対人行動のメカニズムに照らせばごく一般的な行動である今日の青年の友人関係は,「発達の遅れ」や「新しい形」ではなく,成人的・職業人的な対人行動の前倒し採用であり,前成人期・成人期への心理社会的早熟として捉えることもできるのではないか。
 仮に発達の遅れであれば「中・高生ならばともかく大学生になっても実行されている事例」が定型から離れた要注意事例となろう。一方で心理社会的早熟であれば「大学生ならばともかく中・高生で早くも実行されている事例」の方が,より定型から離れた要注意事例となろう。ひいては,教員・保護者が担う指導・支援も変えることになる。
 この話題提供では,「現代青年の友人関係は新奇なものである」,「未熟である」,以上2つを神話に位置づけ,それらを相対化する視点として「前成人期・成人期への心理社会的早熟である可能性」を提起する。

大人がまなざす若者像と若者自身の語りから見える若者-いくつかの事例を手がかりに-
萩原建次郎
 例えば地域の青少年育成指導,部活動などの場面において,成人男性の青少年指導者の間で「若者らしく,明るく前向き」という言葉は好んで使われるフレーズである。目標を立てて,それにむかって前のめりに突き進む。まるで直線的に的に向かって飛んでいく一本の矢のように,大人による若者や若さへの期待は,しばしば指導場面や親(とくに父)子の会話の中などで表面化する。それは生産力中心の近代社会が要請する強壮な大人の視線の特徴でもある。あるいは若者に向けている「内向き」であるとか,「チャレンジ精神に欠ける」といった評価の枠組みそれ自体を問うとき,むしろ浮かび上がってくるのは若者を見失った「いまどきの大人」ではないか。そうした「いまどきの大人」が経済的には豊かな家庭で,経済尺度からすれば「勝ち組」といわれるとしても,利便性や効率性に支えられた生活において,子育てが自己実現や「自分磨き」の延長となり,わが子を客体(モノ)化・私物化しているだけかもしれない。そうした大人(親)の相手をさせられている子どもや若者側に回って見れば,生きていることの空虚さや,他者とのかかわりへの怯えを抱え込みつつも,逆に今ここに生きていることの手ごたえや人と人との心からのふれあいを希求していることも透けて見えたりする。
 このように「若者」を他世代や時代状況,文化,風土との関係性から切り離し,自己完結した存在として取り出すことはできない。若者たちは大人の理解の超えたところで,好き勝手に生きているわけではなく,大人や社会,制度,文化,風土を空気のように吸い,ときには違和感を持ちつつも,それらから期待されている役割や,価値意識を自ら学び取りながら,彼らなりの解釈をして自己形成している。彼らの視線の先には同じく現代を生きている大人や社会がある。裏を返せば,若者は日々大人(親,教師,地域など)の視線とそこに含まれている暗黙の価値や意味を感じ取りながら,社会や他者を経験している。
 本シンポジウムでは,そうした若者に向けられている大人の視線に焦点をあて,同時代を生きている大人がどのような価値意識を持ち,どのような関係性を彼らに求めているのかを,いくつかの事例から検討したい。「いまどきの若者」という視線を大人が向けるとき,そこには「今どき」に対置される大人側のフィルター,すなわち若者への暗黙の期待や価値の枠組みがある。その一方で若者自身の語りからは,人間の弱さや痛みへの共感性,他者とのふれあいやかかわりへの希求といった強壮な大人・社会の視線からこぼれ落ちる世界が見えてくる。それは若者世代だけではない。老人や子ども,女性,障がい者,在住外国人といった生産力を中心とした世界の周縁に位置づけられていく人々にもまたがって広がっていくものとして,他世代と通底する世界でもある。生産力の頂点に立つ大人の操作的欲望の肥大化,利便性や効率性,目標達成志向の生活に,大人も若者も子どもも,生きていることの豊かさを感じ取ることが出来るのだろうか。それは本シンポジウムのテーマを超え出てしまうかもしれないが,今回の問題提起の根底にある問いである。

「日本人の若者が傷つきやすい」のか?日米比較研究から
岡田 努
 現代の若者の友人関係は,他者の目を気にし,お互いに傷つけ合う事を避け,そのために表面的に軽躁的に振る舞うとしばしば言われている。このことは,日本の青年の「内向き指向」といった評価とも関連づけられ,日本の青年の弱点として,経済的な国際競争力の低下への懸念の中で語られがちである。一方で他者を傷つけないように気遣う傾向は,他者と円滑な関係を維持する意義もあり,必ずしも否定的な意味を持つとは限らず,岡田(2011)はそうした配慮が青年の自尊感情の高さと関連することを見いだしている。
 指定討論者は2016年総会における自主シンポジウムにおいて,企業が採用の際に重視する人材として「コミュニケーション能力,主体性,チャレンジ精神」などに注目しながらも,一方で語学力や留学経験などはほとんど重視していないこと,また重視されるパーソナリティ特性がもっぱら外向的な特性に限られていることを指摘した。
では実際に日米の若者の友人関係に大きな違いが見られるのだろうか?辻(2015)によると,アメリカの20~24歳の若者の50%以上が「まわりから友だちがいないように見られるのは耐えられない」と考えていることを見出した。このように,青年が他者の視線を気にする傾向は必ずしも日本特有のものとは言えない。そうであるならば,日本の青年に向けられた否定的評価は必ずしも実体を表しているとは限らない可能性がある。
 岡田(2017)は日本における現代青年の友人関係に関する尺度を英訳し,18歳から39歳のアメリカ人に対して実施した。その結果,全体として観測値の平均中心よりもAgree寄りで,特に「円滑な関係指向」についてこの傾向が顕著であった。しかしながら,青年期からそれ以降にかけての友人関係のあり方は,アメリカ人データにおいては,年代が高いほど円滑さを志向する方向にあるものの,年代間での大きな変化は見られなかった。
 本シンポジウムでは,その後実施したアメリカにおけるデータと日本人におけるデータを比較しながら,日米での友人関係についてどのような違いが見られるかについて紹介したい。