The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Sep 15 - Sep 17, 2018Keio University Hiyoshi Campus
The Japanese Association of Educational Psychology
The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Sep 15 - Sep 17, 2018Keio University Hiyoshi Campus

[準企シ]授業改善心理学からの提言

鹿毛雅治1, 秋田喜代美2, 今井むつみ3, 楠見孝4, 遠藤利彦5, 石黒広昭6, 奈須正裕7, 小林宏己#8(1.慶應義塾大学, 2.東京大学, 3.慶應義塾大学, 4.京都大学, 5.東京大学, 6.立教大学, 7.上智大学, 8.早稲田大学)
企画趣旨
 よりよい授業を創り出すことは教師にとって永遠の課題であろう。そもそも「よい授業」とはどのようなものなのか,そして授業をよりよくするとはどのような営みなのだろうか。そのような問いにあらためて向き合い,教師が具体的な実践に活かしていくためのヒントを心理学の理論に基づいて提供し,ともに考えを深めていくことを目的として,本公開シンポジウムを企画した。
 具体的には,心理学の研究領域として「学習・発達」,「思考」,「感情」,「動機づけ」,「社会・文化」を取り上げ,各話題提供者が「よりよい授業を教師が創っていく上で大切にすべき点」について,心理学理論に基づいて整理し,提言する。また,授業研究,授業実践の観点から指定討論者がコメントし,登壇者相互に討論を行う。

生きた知識をはぐくむ教育:子供の言語の学習から考える             
今井むつみ
 「主体的な学び」や「アクティブラーニング」ということばは広く社会に普及している。しかし,それを謳った実践は,必ずしも主体的な学びが促進されないものになっていることが散見される。これは実践者各自が,なぜ主体的な学びが大事なのか,主体的な学びと記憶重視の従来型の教育・学びがどう違うのかについて認知的な観点からの理解がなされていないからである。「アクティブラーンング」はグループ学習のような形式のことを指すわけではない。認知科学では,知識には「生きた知識」と「死んだ知識」があるとする。「生きた知識」とは,問題解決に使える知識だ。「死んだ知識」はその逆で,覚えてはいても,それをいつ,どのように使ったらよいのかわからないので,それを使って何もできない状態にある知識である。「生きた知識」を生む学びこそがアクティブラーニングなのである。
 子供の母語の習得はアクティブラーニングそのものである。子供は母語のことば一つ一つをすでに学習したことばと関係づけ,その意味を考え,そのことばをすでにもっている語彙の知識と統合する。その過程をすべて自分で行うので,これほどの「主体的な学び」はない。母語のことばはすぐに新しい状況に使える「生きた知識」となる。逆にいうと,定義を教えられてそれを暗記しても,その定義が自分の知識と統合されなければそのことばは生きた知識にはならないのである。本発表では,子供の母語習得の過程をヒントに,学校教育において,生徒が「生きた知識」の体系を自ら作り上げていく支援ができるのかを考え,提言する。

コンピテンシー育成のための授業改善
楠見 孝
 これまでの授業は,各教科において知識・スキルを教えることを重視してきた。今後の授業改善として,コンピテンシー(知識・スキル・態度と価値を統合的に働かせる能力)育成(OECD Education 2030)を重視した以下の3つを提案したい。
 第1は,教科および教科横断的な知識の育成である。ここでは,教科の知識を踏まえて,教科横断的知識も,各教科そして総合的な学習の時間において教える。さらに,それらの知識が職業や生活の場でどのように使われ,役立てることができるかという転移可能性を,学習者に考えさせる。
 第2は,第1の知識を生かすために,認知的・メタ認知的スキルを育成することである。各教科の授業において,教科固有の考え方,認知的・メタ認知的スキル(批判的思考法や探究の手法,学習方略などを)を教えて,学習者に意識させ,習得・活用できるようにする。さらに,探究的課題などの中で活用,応用できるようにする。
 第3は,態度と価値の育成である。これらは,授業において答えが1つでない論争的なテーマ(例:移民,エネルギー)を取りあげて,討論することを通して,他者の多様な価値観を知り,相手の価値観や信念を尊重し,合意形成する経験を通して学ぶ。そのほかにも,授業において,背景の異なるゲストを招いたり,教室の外に出て,多様な他者と出会い,課題解決の困難を知り,協働する経験を重ねることが考えられる。

「排情主義」から「活情主義」へ
遠藤利彦
 従来,感情は,授業現場においては,相対的に好ましからざるもの,より直截に表現するならば,「制御されるべきもの」("regulatee"),場合によっては積極的に排除されるべきものとして在ったと言えるのかも知れない。学習上の特定目標の達成のために,多くの場合,感情はそれを妨げるものと見なされ,専らそれを徹底管理し得る力,すなわち感情制御スキルの重要性が暗黙裡に前提視されてきたと言えるのである。しかし,近年,感情心理学の飛躍的進展の中で,むしろ,時に適応的な学習を円滑に「制御するもの」("regulator")としての感情に理論的かつ実践的関心が寄せられつつある。本シンポジウムでは,こうした動向に従って,感情を排除・最小化することによってではなく,どちらかと言えば,それを活用・最適化する中で,効果的な授業を創出するための新たな方途を探りたいと考える。より具体的には,①教師-生徒間の感情的絆としてのアタッチメントが,いかに生徒の安定した動機づけや学習・探索活動を可能ならしめるか,また②学級全体の感情的風土(emotional climate)が,教師および生徒の教育信念やメンタルヘルス等にいかに影響され,そして,生徒の学習への取り組みをどのように左右し得るのか,さらに③短期的にではなく中期・長期的視座をもって生徒の学習成果を伸張させようと企図する際に,教師および生徒がいかなる感情知性(emotional intelligence)を備えることが望ましいのか,等について話題提供を行うものとする。

学習者の視座から環境をデザインする
鹿毛雅治
 学習者の動機づけは,授業を実践する上で最も重視されるポイントの一つであろう。ともすると教育する側には「~させる」という「使役の発想」が見え隠れし,そこで生起する外発的動機づけのみでは,学習の質という観点から教育効果の限界が明らかになっている。むしろ,学習者を「主語」と位置づけ,教師が彼らの学習体験を常に想像するような態度を基盤として,授業を具体的な学習環境として創造することが求められている。
 学習者を「主語」とした場合,彼らは授業をどのように体験しているのだろうか。例えば「期待×価値理論」によれば,学習者は課題に「私にはできるだろうか」「私にとって価値あるものだろうか」という問いを持ちつつ向き合っている。「エンゲージメント」概念によれば,目下の学習課題に対して認知的,感情的,行動的に没頭状態であるか否かが問われる。自己決定理論によれば,有能さ,自律性,関係性の各基本的心理欲求が満たされるような学習の場であるかどうかが,学習者の学習や成長の決定的な規定だとされる。
 授業改善を問うためには,まず以上のような学習者の体験に立脚した視座から学習者一人ひとりを理解し,その上で学習環境を構想し,それを具体化するとともに,学習環境をダイナミックな現在進行形の場ととらえて柔軟に展開することが教師に求められるだろう。この点に関して学習動機づけに関する心理学は,動機づけデザインモデル(学習者の動機づけに焦点化したデザイン原理)を提案しており,それらは授業改善を考える上で示唆に富む。具体的には,①課題環境デザイン(課題のタイプ・困難度,個人差への対応),②コントロール環境デザイン(応答性,随伴性,権限性),③目標―評価環境デザイン(目標システム,評価構造)に整理することができよう。当日は,学習動機づけに関する主要な理論を取り上げるとともに,それらに対応するデザインの指針について話題提供する予定である。

子どもたちは授業で何を学んでいるのか
石黒広昭
 学習によって知識の量や質が変化するのは当然であるが,重要なのはそれらが相互作用することによって人格の変容(transformation)が生じることである。つまり,「発達」によって「自分」が更新されていく。どのような実践への参加でも常に何らかの学習が生じる。実践は他者に開かれ,個人内で完結することがないという意味で社会的であり,他者や人工物との出会いがその実践を豊かなものとする。「発達」した新しい自分にとって,既知の世界は新奇なものとして知覚され,新たな学習対象を得る。授業も実践の一つである。授業という場において子どもたちは何を学んでいるのであろうか。そこでは上記の意味での「発達」が生じているのであろうか。残念ながらさまざまな調査に現れる日本の子どもたちの学習内容に対する興味・関心や自尊感情(self-esteem)の低さは,「学ばされ上手」ではあっても「自ら学ばない」子どもたちの存在を示唆している。学びを楽しめない子どもたちの指摘は何も今に始まったことではないし,学校や授業だけがその責を負うべきものでもない。しかし,授業を通して子どもたちが学びを楽しみ,未知の世界に向けて探究をはじめるならどんなにかよいだろう。学びを希求する子どもたちはどのように生まれるのか。今回の報告では,社会文化歴史的アプローチの立場から学習,学校,そして子どもたちの学習実践を検討することで授業について考えてみたい。