Presentation Information
[T3-O-13]Geological Examination of the Hōjō Stone: Insights into the Site Associated with Kamo no Chōmei’s Hermitage
*Noriko MATSUDA1, Kantaro FUJIOKA2, Yuya KYOTANI3 (1. Kyoto Prefectural University, 2. Shizuoka University , 3. STUDIO QTN)
Keywords:
Hōjō Stone,Kamo no Chōmei,Tamba group
鴨長明(1153年頃~1216年)の方丈は、そこで書かれた『方丈記』(1212年)と共によく知られている。その立地は『方丈記』により、日野(現京都市伏見区)の山腹であったと考えられる。
組み立て式で移動可能な鴨長明の方丈の建築はこれまで多くの研究者らの関心を集めてきたが、方丈が日野の山中のどのような場所に建っていたのか、また建ち得るのかという点に関する考察はきわめて少ない。
その一方で、一般的には、日野船尾の山腹にある大岩「方丈石」が鴨長明の方丈跡とされ、道標や石碑も設置されるなどして親しまれてきた。これについて本報告では、しかし方丈石は果たして方丈の敷地たりうるのかを、地質学及び建築学の知見を統合して検討する。
主な論点の一つめは、一丈(約3メートル)四方の平面形状と大きさをもち、かつ東側に火床のある三尺(約90センチメートル)余りの庇を差し出していた方丈(『方丈記』)が、そのまわりに生活上必要な動作空間も確保しつつ、現在の方丈石上に果たして設置可能なのかという点である。方丈石は上面が6×7メートルほどあるが、かなりの凹凸と勾配があり、また岩の両側面は切り立っている。この岩に対してどのように方丈の建築と周辺の動作空間を確保しうるかを現地及び3Dモデル上で検討し、結論としては設置困難であると思われることを指摘する。
論点の二つめは、『方丈記』からは、方丈が岩の上にあったか否かはまったくわからないにも関わらず、なぜ方丈石が鴨長明の方丈跡とみなされてきたのかということである。これについて、中近世の方丈跡訪問記などから検討する。
論点の三つめは、方丈石の西側上部に相対的に新しい剥離面が2面認められることから、方丈石はある時期に欠けた可能性があることと、方丈石の観察から、大岩ではあるが方丈石自体が転石(落石)である可能性を指摘する。
加えて、方丈石の地質(丹波層群チャートを主体とする可能性が高い)、方丈石底部を取り巻く複数回の土石流痕、方丈石上方の斜面にある断面が平滑な露頭の状況、方丈石の平板測量・3D測量の結果など、2024〜25年にかけて行った現地での調査・観察結果についても報告する。
組み立て式で移動可能な鴨長明の方丈の建築はこれまで多くの研究者らの関心を集めてきたが、方丈が日野の山中のどのような場所に建っていたのか、また建ち得るのかという点に関する考察はきわめて少ない。
その一方で、一般的には、日野船尾の山腹にある大岩「方丈石」が鴨長明の方丈跡とされ、道標や石碑も設置されるなどして親しまれてきた。これについて本報告では、しかし方丈石は果たして方丈の敷地たりうるのかを、地質学及び建築学の知見を統合して検討する。
主な論点の一つめは、一丈(約3メートル)四方の平面形状と大きさをもち、かつ東側に火床のある三尺(約90センチメートル)余りの庇を差し出していた方丈(『方丈記』)が、そのまわりに生活上必要な動作空間も確保しつつ、現在の方丈石上に果たして設置可能なのかという点である。方丈石は上面が6×7メートルほどあるが、かなりの凹凸と勾配があり、また岩の両側面は切り立っている。この岩に対してどのように方丈の建築と周辺の動作空間を確保しうるかを現地及び3Dモデル上で検討し、結論としては設置困難であると思われることを指摘する。
論点の二つめは、『方丈記』からは、方丈が岩の上にあったか否かはまったくわからないにも関わらず、なぜ方丈石が鴨長明の方丈跡とみなされてきたのかということである。これについて、中近世の方丈跡訪問記などから検討する。
論点の三つめは、方丈石の西側上部に相対的に新しい剥離面が2面認められることから、方丈石はある時期に欠けた可能性があることと、方丈石の観察から、大岩ではあるが方丈石自体が転石(落石)である可能性を指摘する。
加えて、方丈石の地質(丹波層群チャートを主体とする可能性が高い)、方丈石底部を取り巻く複数回の土石流痕、方丈石上方の斜面にある断面が平滑な露頭の状況、方丈石の平板測量・3D測量の結果など、2024〜25年にかけて行った現地での調査・観察結果についても報告する。

