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[T3-O-15]On the Mikage-ishi as the name of stone material

*Tohru SAKIYAMA1 (1. Institute of Geo-history, Japan Geochronology Network NPO)
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Keywords:

granite,rock name,culture geology,archeology,history

 花崗岩の石材名として「御影石」という用語がある.「御影石」は本来神戸市東灘区の御影にちなんでつけられたものであるが,一方で花崗岩全般に使用される用語でもあり,考古学の報告書などではしばしば混乱を招く場合がある.ここではその用語の使用実態を文化地質の観点から歴史的に概観する.
1.「御影石」の由来 
 「御影石」の名称は古く,江戸時代初期(1645年)の俳諧論書である毛吹草に摂津地域の名産として「御影飛び石」があげられ,1797年の摂津名所図会および1799年の日本山海名産図会では「御影石」として石材運搬や採石の様子が絵図とともに記されている.御影石は本来六甲山地で採石された岩石であり,御影の浜(現在の住吉川河口付近~石屋川河口付近)から各地に搬出されたことから名付けられたものであるが,これらの図会が記された時期には,採石地の主体は海岸付近から六甲山地内へ移っていたとされる.
2.「御影石」使用の実態
 現在の石材業において花崗岩質の石材を「御影石」と呼ぶことは極めて一般的であり,特に各地の銘石を地名をつけて「〇〇みかげ」と呼ぶことが多い,また色合いによって「桜御影」「白御影」「青御影」「黒御影」のような呼び方も多い. 石材業以外で頻繁に岩石名が使用される分野として考古学があげられる.国立奈良文化財研究所作成の全国文化財総覧(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja)で「御影石」を検索すると275の刊行物と6編の論文が見つかる.その多くは発掘調査や文化財調査の報告書である。それらを見ると阪神間の文化財を対象とした報文において「御影石」とは六甲山地の花崗岩に限定して使用されている.一方,より遠方の地域での刊行物に記されている「御影石」の多くは花崗岩全般を指していることが,文面から判断される.しかし中には六甲山地域の石材が流通したことを明確に示した報告書もあり,そこでの「御影石」は六甲山地のものを指している.また中には文面だけではどちらの意味で使用されているのか読み取れないこともある。考古学研究者の中でも「御影石」という用語の使用法は、研究者によって異なるようである。
3.「御影石」が花崗岩の石材名となった時期
 それでは六甲山地以外の花崗岩類を「御影石」と呼ぶようになったのはいつからなのだろうか.その事例として広島県尾道と山梨県甲州市の花崗岩をあげる。尾道の花崗岩はアルカリ長石の斑晶を有する角閃石黒雲母花崗岩で、古くから「尾道石」として地域の名産品となっていたが、江戸時代末期に編纂された地誌「尾道志稿」の中で、享保6年(1721年)に献上した品物として「石細工」と「みかげ石」があげられ、「先年より当所の石の名をみかげ石と申し伝える」と記述されている。したがってこの頃に尾道の花崗岩をあえて「御影石」と呼ぶように決められたことになる. もう一つの事例「甲斐国誌」は文化11年(1814年)に出版されたもので、甲斐(現在の山梨県)地域の名産品として「御影石」が記されている。そこでは「御影石」の例として「京戸山から産出するものが上質である」と述べられている。京戸山は山梨県甲州市と笛吹市の境界に位置する山で,ここから北麓の甲斐大和にかけて現在も採石が行われている.この周辺にあるのは中新世の角閃石黒雲母花崗閃緑岩で,中世の宝篋印塔など多数の歴史的石造物もあることから,ここでいう「御影石」はこの花崗閃緑岩であると考えられる.この二例から,江戸時代には各地の花崗岩類を「御影石」と呼ぶようになっていたことがわかる. なお江戸時代末期の小豆嶋名所図会(香川県,1941)では,小豆島の石について「石は摂州の御影石を彷彿させる」と書かれており,両者の色合いは違うが似た部類の岩石であるという認識があったと考えられる.このことから六甲山地の花崗岩とはかなり見かけが異なる尾道の斑状角閃石黒雲母花崗岩や甲斐の角閃石黒雲母花崗閃緑岩も,類似の岩石であり,それらを同じ名称で呼ぼうとする意識はあったようである。
4.考察
 花崗岩の名称は特定の基準によって定められた学術用語であり,それらが石材であるか考古遺物であるかにかかわらず,学術書や公的文書のなかで「御影石」という用語の使用は極力避けるべきであろう.一方御影産の花崗岩という意味での「御影石」は歴史的に意味がある用語である.それでは花崗岩全般を「御影石」と呼ぶのは間違いと言って良いのだろうか? 少なくとも江戸時代には「御影石」と呼ぶ風習ができ,現在まで引き継がれてきた用語の使用は,その時代の人々の石を見る眼を映し出すものであり,その歴史をたどることは文化地質的に意味のあることである.結局どの使用法も意味があるのであるが,「御影石」を使用する場合には必ずどの意味で使用しているかを明記することが重要である.