Session Details
[SY81]シンポジウム81_わたしたちは患者さんの死とどう向き合うか
Fri. Jun 20, 2025 10:45 AM - 12:45 PM JST
Fri. Jun 20, 2025 1:45 AM - 3:45 AM UTC
Fri. Jun 20, 2025 1:45 AM - 3:45 AM UTC
K会場(神戸ポートピアホテル 本館 B1階 偕楽1)
司会:鶴身 孝介(京都大学大学院医学研究科脳病態生理学講座(精神医学))、射場 亜希子(兵庫県立はりま姫路総合医療センター)
メインコーディネーター:射場 亜希子(兵庫県立はりま姫路総合医療センター)
サブコーディネーター:桂木 賢太郎(京都大学大学院医学研究科脳病態生理学講座(精神医学))
メインコーディネーター:射場 亜希子(兵庫県立はりま姫路総合医療センター)
サブコーディネーター:桂木 賢太郎(京都大学大学院医学研究科脳病態生理学講座(精神医学))
オンデマンド配信対象外
医療者である以上、死に関わらないことは難しい。精神障害の悪化は自殺の主な要因であり、故に精神科医療が自殺予防に果たす役割は大きい。精神科医療者は自殺未遂者対応や緩和ケア、グリーフケアを担うなど、死や自殺への対応には比較的慣れているとさえ言えるだろう。
しかし、その対象が単なる「患者」ではなく、「私の患者さん」である場合はどうだろう。精神科医療は「患者さん」と医療者の関係性で成り立つものであり、「患者さんの死」という出来事は医療者へ強い影響を与える。「患者さんの死」の中でも、特に自殺は私達医療者を感情的に揺さぶる。悲しい、だけではなく、後悔や自責の念が湧いてくる。自殺の背景は様々な要因が関係し、医療の枠組みのみでは完全に防ぐことはできないと頭では理解している一方で、医療者の関わりによって防ぐ余地があったのではないかという思いも抱く。また、「患者さん」の背景は多種多様であり、死に至る要因が明らかにならないことも多い中で、「患者さんの死」に無理矢理、解釈や意味づけをしようとしたり、日々の診療に追われて忘れたふりをしたりしながら、やるせない気持ちを持て余しているのではないだろうか。様々な死に遭遇する精神科医療においても、「患者さんの死」へ向き合う姿勢を顧みられることは少ないが、臨床を続ける上で避けられない、重要な事象であると考える。
「患者さんの死」によって、精神科医療者としてどんな患者でも多少なりとも貢献できるという幻想が砕かれ、不完全な自分と向き合わざるを得ない。1人で向き合うにはあまりにも苦しいが、自分の不完全性を語る恥ずかしさや、「患者さん」への後ろめたさから語ることを躊躇してしまうこともあるだろう。また、「患者さんの死」はその「患者さん」の個別性や、ともに歩んだ経過、育んできた関係性によって感じ方が異なるため、同じ医療者でも分かり合えないと感じるかもしれない。
死や自殺を語ることには躊躇がなくても、そのような個別の体験である「患者さんの死」を語ることは忌避されがちである。それも死をどう防ぐかではなく、自分がどう感じたか、どう経験したかを語ることはとても勇気がいる。しかし、そのような経験を共有し、共通点や個別性があるものだと捉えることは、患者さんの死との向き合い方という、これまで顧みられることの少ない事象への理解を深めるきっかけとなり、精神科医療者として働き続ける上でとても意義深い気づきが得られると考える。
真摯に臨床に取り組んでこられたシンポジストからそれぞれの経験をお話しいただき、大学教授まで務めた経験豊富な齋藤利和氏から指定発言をいただく予定である。フロアの参加者からも積極的にご意見や経験の共有をいただきたい。
しかし、その対象が単なる「患者」ではなく、「私の患者さん」である場合はどうだろう。精神科医療は「患者さん」と医療者の関係性で成り立つものであり、「患者さんの死」という出来事は医療者へ強い影響を与える。「患者さんの死」の中でも、特に自殺は私達医療者を感情的に揺さぶる。悲しい、だけではなく、後悔や自責の念が湧いてくる。自殺の背景は様々な要因が関係し、医療の枠組みのみでは完全に防ぐことはできないと頭では理解している一方で、医療者の関わりによって防ぐ余地があったのではないかという思いも抱く。また、「患者さん」の背景は多種多様であり、死に至る要因が明らかにならないことも多い中で、「患者さんの死」に無理矢理、解釈や意味づけをしようとしたり、日々の診療に追われて忘れたふりをしたりしながら、やるせない気持ちを持て余しているのではないだろうか。様々な死に遭遇する精神科医療においても、「患者さんの死」へ向き合う姿勢を顧みられることは少ないが、臨床を続ける上で避けられない、重要な事象であると考える。
「患者さんの死」によって、精神科医療者としてどんな患者でも多少なりとも貢献できるという幻想が砕かれ、不完全な自分と向き合わざるを得ない。1人で向き合うにはあまりにも苦しいが、自分の不完全性を語る恥ずかしさや、「患者さん」への後ろめたさから語ることを躊躇してしまうこともあるだろう。また、「患者さんの死」はその「患者さん」の個別性や、ともに歩んだ経過、育んできた関係性によって感じ方が異なるため、同じ医療者でも分かり合えないと感じるかもしれない。
死や自殺を語ることには躊躇がなくても、そのような個別の体験である「患者さんの死」を語ることは忌避されがちである。それも死をどう防ぐかではなく、自分がどう感じたか、どう経験したかを語ることはとても勇気がいる。しかし、そのような経験を共有し、共通点や個別性があるものだと捉えることは、患者さんの死との向き合い方という、これまで顧みられることの少ない事象への理解を深めるきっかけとなり、精神科医療者として働き続ける上でとても意義深い気づきが得られると考える。
真摯に臨床に取り組んでこられたシンポジストからそれぞれの経験をお話しいただき、大学教授まで務めた経験豊富な齋藤利和氏から指定発言をいただく予定である。フロアの参加者からも積極的にご意見や経験の共有をいただきたい。
[SY81-1]患者さんの死と向き合い続ける意味
○阿部 かおり (独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター)
[SY81-2]「患者さんの死」を巡って
○奥平 富貴子 (東北会病院)
[SY81-3]患者さん等の死をめぐる考察
○中野 温子 (浪速少年院)
[SY81-4]治療関係のスペクトラム:深い関係性と適切な距離感を求めて
○橋本 望 (地方独立行政法人岡山県精神科医療センター)
[SY81-5]管理職医師は患者の死とどう向き合うべきか~葛藤を越えて~
○佐久間 寛之 (独立行政法人国立病院機構さいがた医療センター)
[指定発言]指定発言
○齋藤 利和 (社会医療法人博友会平岸病院)