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[3701-07-07]Remains of placer gold mining in the early Edo period

○Mika AOKI1 (1. Kyoto Prefectural University)
Chairperson:久間 英樹(九州大学)

Keywords:

plecer gold,vein gold

日本列島で産金がはじまったのは奈良時代である。産金がはじまった背景には国家仏教として受容した影響が大きく、奈良の大仏に知られるように仏像に金を用いるためであったと考えられる。産金値は陸奥国が日本列島で最も古いとみられ、「みよしぼり」といって平野にある砂礫層から砂金を採集したもので黄金山産金遺跡などでみられる。
 1500年代に入ると鉱脈から金を採取する「山金」の採鉱が行われるようになる。この時期の山金の採鉱は甲斐国で湯之奥金山(中山金山・茅小屋金山・内山金山)、黒川金山の事例が知られる。江戸時代になると山金での採鉱は秋田藩などでも取り入れられるようになる。日本列島での金の生産方法の変換の背景には、金需要の拡大があったことは言うまでもない。また、それを可能にした硬い鉱石を粉砕する技術(金挽臼;回転石臼)の導入がある。
 しかし、江戸時代初期にあっても山金採鉱と並行して砂金の採取が行われていた。近年では北海道今金町で美利河砂金採掘跡などでは広範囲に砂金を採取したとみられる流しの遺構が広範囲で確認されている。
 本発表では江戸時代初期を中心とした砂金採掘遺構を中心に考古学的な検討を加えることとする。