セッション詳細

[MV]映画上映と鼎談_「心の傷を癒すということ」を語る

2025年6月20日(金) 15:45 〜 18:05
K会場(神戸ポートピアホテル 本館 B1階 偕楽1)
司会:田中 究(兵庫県立ひょうごこころの医療センター)、宮地 尚子(一橋大学大学院社会学研究科共生社会研究分野)
メインコーディネーター:田中 究(兵庫県立ひょうごこころの医療センター)
サブコーディネーター:宮地 尚子(一橋大学大学院社会学研究科共生社会研究分野)、上野 千穂(京都市児童福祉センター診療所)
オンデマンド配信対象外
「こころのケア」という言葉が、わが国で使われ始めたのは1980年代である。しかし、1995年の阪神・淡路大震災後にこの言葉の使用が急速に増え、自然災害のみならず大きな事件や犯罪の際にも使われるようになった。このために1995年を「こころのケア」元年とよぶことさえみられる。昨日までの当たり前の生活が根こぎとなり、その中で人々は心理的不調を覚え、そして何らかの精神医学的介入を要する状態になり得ることなどが、報道や報告によって広く知られることになった。その震災からの被災者の状況とその後の心理的経過を、被災者として支援者として「被災地のカルテ」として描き、約1年に渡って新聞紙上にレポートした精神科医安克昌(神戸大学精神神経科)は、それらを纏め1996年に「心の傷を癒すということ」として出版した(同年、サントリー学芸賞受賞)。それは、「誰もが心を病みうる」ことを伝え、同時に精神科医療の役割を拡げる端緒となり、さらに「心を病む」当事者への認識を新たにさせ、「心を傷」をもつ人への精神医療者の支援のあり方を示した。この著作は、その後、桑原亮子氏が脚本化し、同名のNHKドラマとして2020年に放映され、加えて、2021年に劇場版として安達もじり監督により映画化された。
「弱いっていうのは大事なことだ。他人の弱さがわかるから」「医者の仕事というのは、そばに寄り添うこと」「こころのケアとは、誰も独りぼっちにしないこと」と述べ、若い精神科医に「ゆっくり進むことでみんなが見落としたもの見つけられると思う」と伝える。被災者が抱える「なぜ他ならぬ私に震災が起こったのか」「なぜ私は生き残ったのか」「震災を生き延びた私はこの後どう生きるのか」という問いに関心を持たずしてこころのケアなどありえない、こころのケアとは「社会の品格に関わる問題だ」と述べる。「苦しみがそこにある時、それは発する場をもたない。その人の傍らに佇んだとき、はじめて感じられるものであり、臨床の場とはそのような場に他ならない。そばに佇み、耳を傾ける人がいて、はじめてその問いは語りうるものとして開かれる。これを私は『臨床の語り』と呼ぼう」と安医師は記した。
2020年39歳で早逝した彼が遺し、そしてわれわれに伝えた言葉はどのように広がっているだろうか。阪神・淡路大震災から30年を迎えた神戸の地で「心の傷を癒すということ」の上映と鼎談をおこない、精神科医療のいまを検討する機会としたい。

[MV-1]精神科医「安克昌」が残したこと

田中 究 (兵庫県立ひょうごこころの医療センター)

[MV-2]「心の傷を癒すということ」のメッセージを読む

宮地 尚子 (一橋大学大学院社会学研究科共生社会研究分野)

[MV-3]「心の傷を癒すということ」制作について

安達 もじり (日本放送協会大阪放送局)