セッション詳細
[SY27]シンポジウム27_精神療法の対話ー精神分析、認知行動療法、森田療法、精神病理学、芸術療法の治療的根拠と目指すところ
2025年6月19日(木) 13:30 〜 15:30
H会場(神戸国際会議場 5階 502会議室)
司会:池田 暁史(大正大学/個人開業)、富澤 治(とみさわクリニック)
メインコーディネーター:池田 暁史(大正大学/個人開業)
サブコーディネーター:富澤 治(とみさわクリニック)
メインコーディネーター:池田 暁史(大正大学/個人開業)
サブコーディネーター:富澤 治(とみさわクリニック)
精神科臨床において精神療法は薬物治療と並び、精神医療のユーザーの症状や、実存的苦しみ、種々の困難の解決に貢献してきた。
一方で精神療法は、均一性、再現性という西洋医学的な価値観と常に対立する側面がある。精神療法には紛れもなく「技術」としての側面があるためである。素朴な善意による共感でも、単なる思いつきによる「お悩み解決」でもない。そこには「練習」によってしか修得しえない技術がある。
「失敗しながら練習する」ことが基本的に許されない医学的な技術は、失敗をしない配慮をした形で、人の訴えを聞き、その意味を考え、自分の考えを伝える練習をしなくてはならない。通常、精神療法の技術を練習する方法としては、先達の「陪席」、過去の知見の学習、スーパービジョン、自分が「患者」として精神療法を受ける体験、後輩への指導を通しての内省的気づきなどがあるだろう。このような「練習」の意味とその成果を、どのようにしてその専門性の外側にいる者に提示し、説得し、理解と賛同を得るのか。精神療法の未来はそこにあるように思える。
また精神分析と認知行動療法、森田療法と芸術療法、精神病理学と認知行動療法は、表面的には全く違う治療技法のように思えるが、果たしてそうなのか。それぞれの治療理論と実践を互いにぶつけ合うことによって新たな治療の地平が開かれるのではないか。そしてそれがひいては各技法の特異性や、精神療法共通の価値も再確認され、他領域の人たちへの訴求力も増すのではないだろうか。
治療を受けるユーザーや専門家である精神科医、さらにその外側の社会に対して、様々な精神療法のあり方を共に議論することを通して、未来に向けた新たな精神療法のあり方を検討してみたい。
一方で精神療法は、均一性、再現性という西洋医学的な価値観と常に対立する側面がある。精神療法には紛れもなく「技術」としての側面があるためである。素朴な善意による共感でも、単なる思いつきによる「お悩み解決」でもない。そこには「練習」によってしか修得しえない技術がある。
「失敗しながら練習する」ことが基本的に許されない医学的な技術は、失敗をしない配慮をした形で、人の訴えを聞き、その意味を考え、自分の考えを伝える練習をしなくてはならない。通常、精神療法の技術を練習する方法としては、先達の「陪席」、過去の知見の学習、スーパービジョン、自分が「患者」として精神療法を受ける体験、後輩への指導を通しての内省的気づきなどがあるだろう。このような「練習」の意味とその成果を、どのようにしてその専門性の外側にいる者に提示し、説得し、理解と賛同を得るのか。精神療法の未来はそこにあるように思える。
また精神分析と認知行動療法、森田療法と芸術療法、精神病理学と認知行動療法は、表面的には全く違う治療技法のように思えるが、果たしてそうなのか。それぞれの治療理論と実践を互いにぶつけ合うことによって新たな治療の地平が開かれるのではないか。そしてそれがひいては各技法の特異性や、精神療法共通の価値も再確認され、他領域の人たちへの訴求力も増すのではないだろうか。
治療を受けるユーザーや専門家である精神科医、さらにその外側の社会に対して、様々な精神療法のあり方を共に議論することを通して、未来に向けた新たな精神療法のあり方を検討してみたい。
[SY27-1]無意識を想定するとはどういうことか――七転び八起きの精神分析――
○池田 暁史1,2 (1.大正大学, 2.個人開業)
[SY27-2]精神科医療のなかでの認知行動療法
○中川 敦夫 (聖マリアンナ医科大学)
[SY27-3]森田療法の回復の目指すもの-他の精神療法との対話の基盤として-
○塩路 理恵子 (東京都立大学健康福祉学部)
[SY27-4]芸術療法の訴求性と陥穽(かんせい)
○富澤 治1, 山下 晃弘2, 横山 恭子3 (1.とみさわクリニック, 2.医療法人社団緑会佐藤病院, 3.上智大学)
[SY27-5]臨床精神病理学と精神療法-現象学的無先入観、了解、心の共鳴
○古茶 大樹 (聖マリアンナ医科大学神経精神科学)