セッション詳細
[SY103]シンポジウム103_社会の中で精神科医療の守備範囲はどこまでか
2025年6月21日(土) 8:30 〜 10:30
C会場(神戸国際会議場 3階 レセプションホール)
司会:伊藤 順一郎(メンタルヘルス診療所しっぽふぁーれ)、東 奈央(つぐみ法律事務所)
メインコーディネーター:伊藤 順一郎(メンタルヘルス診療所しっぽふぁーれ)
サブコーディネーター:渡邉 真里子(ちはやACTクリニック)
メインコーディネーター:伊藤 順一郎(メンタルヘルス診療所しっぽふぁーれ)
サブコーディネーター:渡邉 真里子(ちはやACTクリニック)
精神科医療は「社会防衛」を担っているという言説がある。
「精神障害者は危険である」という言葉を肯定する精神科医はさすがに少数になっているように思われるが、「患者が夜中に大声で叫んでいて困る、何とかしてくれ」とか「患者が家族に暴言をはいていて怖い、入院させた方がいいのではないか」というような相談に悩んだことのある精神科医は少なからずいるであろう。
しかし、患者と呼ばれる人が叫んだり暴言をはいたりするというのにも、何らかの理由は必ずある。彼らのことばに耳を傾けていれば、彼らがいかに苦悩し葛藤しているのかも明らかになる。苦悩に寄り添おうと、すこしでも助けになろうと関わり始めるのと、周囲からの「事件防止」の期待にこたえようと関わり始めるのとでは、処遇に大きな隔たりが生まれる。前者では本人との共同意思決定が必須であろうし、後者では非自発的入院による社会からの隔離など、本人の意思によらない決定が選択肢として大きくなる。
他方、精神疾患を持った者が何らかの犯罪を犯した場合、それをすべて「精神疾患を有するがための行為」と決めつけることは当然できない。犯罪の背景には貧困や、孤立、状況に対する絶望などもあるからである。しかし、リアルな臨床では、ここで警察と精神科医療のあいだのせめぎあいが存在しており、しばしば「精神病患者なのだから医療で処遇せよ」という圧力が大きくなる。
歴史的には確かに精神科医療は社会防衛的役割を担わされてきた。「保護義務者制度」はそのなかで、家族にも「精神障害者が自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督」する義務を負わせてきた。しかし時流の中でこれは2014年に廃止にいたる。2022年の国連の障害者の権利に関する委員会の総括所見では、「障害者の非自発的入院は、自由の剥奪に相当する、機能障害を理由とする差別であると認識し、主観的又は客観的な障害又は危険性に基づく障害者の非自発的入院による自由の剥奪を認める全ての法規定を廃止すること」が日本政府に求められた。「医療又は保護に欠くことのできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができる」という精神保健福祉法の再検討、端的に言えば、強制的な治療を選択肢として取らない精神科医療の実現が求められたのである。
そこで、本シンポジウムでは、社会との関係の中で精神科医療が負う必要のない責任の枠や範囲について考えたいと思う。社会のためという文脈で必要以上に負わなくてもよい責任を負って、それが患者の人権侵害となっているということはないか。権力の分散・責任の分担のなかでうまれる「すき間」に風通しの良い空間が生まれるということはないであろうか。
まず、弁護士の立場からの問題提起を受け、地域で活動する福祉職・精神科医・研究者の各立場から多面的な対話を重ね、誰か1人・どこかの1つの医療機関が責任を担うのではなく、社会のなかのプレイヤーとして、さまざまな人々が責任を分担し合える地域社会を目指す、その足がかりを模索したい。
「精神障害者は危険である」という言葉を肯定する精神科医はさすがに少数になっているように思われるが、「患者が夜中に大声で叫んでいて困る、何とかしてくれ」とか「患者が家族に暴言をはいていて怖い、入院させた方がいいのではないか」というような相談に悩んだことのある精神科医は少なからずいるであろう。
しかし、患者と呼ばれる人が叫んだり暴言をはいたりするというのにも、何らかの理由は必ずある。彼らのことばに耳を傾けていれば、彼らがいかに苦悩し葛藤しているのかも明らかになる。苦悩に寄り添おうと、すこしでも助けになろうと関わり始めるのと、周囲からの「事件防止」の期待にこたえようと関わり始めるのとでは、処遇に大きな隔たりが生まれる。前者では本人との共同意思決定が必須であろうし、後者では非自発的入院による社会からの隔離など、本人の意思によらない決定が選択肢として大きくなる。
他方、精神疾患を持った者が何らかの犯罪を犯した場合、それをすべて「精神疾患を有するがための行為」と決めつけることは当然できない。犯罪の背景には貧困や、孤立、状況に対する絶望などもあるからである。しかし、リアルな臨床では、ここで警察と精神科医療のあいだのせめぎあいが存在しており、しばしば「精神病患者なのだから医療で処遇せよ」という圧力が大きくなる。
歴史的には確かに精神科医療は社会防衛的役割を担わされてきた。「保護義務者制度」はそのなかで、家族にも「精神障害者が自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督」する義務を負わせてきた。しかし時流の中でこれは2014年に廃止にいたる。2022年の国連の障害者の権利に関する委員会の総括所見では、「障害者の非自発的入院は、自由の剥奪に相当する、機能障害を理由とする差別であると認識し、主観的又は客観的な障害又は危険性に基づく障害者の非自発的入院による自由の剥奪を認める全ての法規定を廃止すること」が日本政府に求められた。「医療又は保護に欠くことのできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができる」という精神保健福祉法の再検討、端的に言えば、強制的な治療を選択肢として取らない精神科医療の実現が求められたのである。
そこで、本シンポジウムでは、社会との関係の中で精神科医療が負う必要のない責任の枠や範囲について考えたいと思う。社会のためという文脈で必要以上に負わなくてもよい責任を負って、それが患者の人権侵害となっているということはないか。権力の分散・責任の分担のなかでうまれる「すき間」に風通しの良い空間が生まれるということはないであろうか。
まず、弁護士の立場からの問題提起を受け、地域で活動する福祉職・精神科医・研究者の各立場から多面的な対話を重ね、誰か1人・どこかの1つの医療機関が責任を担うのではなく、社会のなかのプレイヤーとして、さまざまな人々が責任を分担し合える地域社会を目指す、その足がかりを模索したい。
[SY103-1]精神医療はシームレスであるべきか?
○池原 毅和 (東京アドヴォカシー法律事務所)
[SY103-2]未来を掴む -限界を認め、助けを求め、負えない責任を手放し、本来の役割を差し出し合い困難を打破する-
○蓑島 豪智 (御荘診療所)
[SY103-3]精神障害者へのケア責任についての一考察~重い精神障害のある人への地域生活支援を通じて~
○金井 浩一 (一般社団ライフラボ相談支援事業所しぽふぁーれ)
[SY103-4]精神障害者家族と社会福祉制度
○風間 朋子 (関西学院大学人間福祉学部社会福祉学科)