講演情報

[14-O-D004-07]認知症の母を想う娘への支援趣味である裁縫を活かして

*福岳 比菜乃1 (1. 長野県 介護老人保健施設かりんの里)
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入所中に転倒し、骨折した認知症のある92歳K氏に対して、退院後の再入所後、ADLと意欲向上の目指し、残存機能と生活歴を組み合わせたケアを実施した。歩行器歩行訓練と趣味である裁縫を取り入れた。その結果、歩行器歩行は見守りで行え、裁縫では対象者と娘分の巾着を制作する事ができた。家族との関わりを取り入れたケアから意欲と活動量が向上し、制作した巾着を渡す時、娘から母への想いを引き出せた関わりを報告する。
<はじめに>
今回、92歳要介護2でアルツハイマー型認知症の方が、初回の入所期間中に転倒され、右大腿骨転子部骨折で入院となり、ADLと意欲の低下が見られた。そのため、歩行の再開と趣味である裁縫を取り入れ意欲を引き出すと共に家族との繋がりを持つことで在宅復帰を目指せるのではないかと考えた。その経過を報告する。
<事例紹介>
対象者:K氏 女性 92歳 要介護2 認知症日常生活自立度2bR5年4月27日初回入所。5月8日、施設内での転倒により右大腿骨転子部骨折受傷。手術を受けるため入院、R5年5月28日に再入所となる。
既往歴:高血圧、大動脈閉鎖不全症、アルツハイマー型認知症
ADL:移動は車椅子使用。動作は自立。難聴のため意思疎通が難しい。
生活歴:6人兄弟の4番目。23歳で結婚し2人の子供を育て、32歳で夫が亡くなり昼は会社、夜はホテルで働いていた。現在のキーパーソンの娘は資金的に養育が難しく、高校進学時に姉夫婦の元へ養女に出している。平成8年に娘自宅近くのアパートに移り一人暮らしをしながらホテルの仕事を平成28年までしていた。共同浴場に通ったり畑仕事をしていたが、物忘れがではじめ平成30年6月にアルツハイマー型認知症と診断される。その後一人での生活が困難になり同年10月から娘宅で一緒に生活を始める。自宅では趣味である雑巾縫いを集中して行っていた。
<期間>7月24日~8月20日 
<方法> 歩行:連日10時に歩行器使用しフロア一周の実施。(約200m) 歩き出しに膝折れになりやすいため注意して行う。
裁縫:午前30分、午後30分、好きな柄の布を選択していただき巾着の作成を行う。
K氏と娘の2つ分を5種類の布の中からお好きな柄を選んでいただき制作を実施。集中すると長時間行ってしまうため時間で区切り、針やハサミの管理を行い怪我がないように注意する。
<結果>
歩行:初めは歩行スピード早い様子みられていた。歩行中下肢の痛みや息切れする様子なく声掛けに対し「大丈夫」と話された。歩幅が狭くなりすぎず、姿勢が前のめりにならないように確認しながら行い、後半は見守りでしっかり歩行できている様子みられた。
裁縫:認知症のため制作したことは忘れてしまっても形に残すことで「自分が娘に作った物」としてその瞬間だけでも認識できればと思い2人分の巾着の制作を行った。K氏の好きな柄や娘の好きそうな柄を一緒に考え「この柄がいいね。色もきれい。」と短い文での会話をしながら行った。完成した巾着は家族カンファレンスの際K氏から娘にお渡しすることができた。K氏は巾着の作製については覚えていなかったが、娘に渡した時の笑顔があり会話のきっかけとなった。認知症の進行に困惑していた娘だが、巾着を手にし「多くの事を望んではいけない。生きていてくれるだけで幸せ。」と涙をうかべた。
<考察>
期間中に在宅復帰とはならなかったが、歩行と、趣味であった裁縫で娘との関わりを取り入れた計画をたて活動量を上げることができた。岩佐氏は「言葉にはできなくても認知症の当事者は、実はとても雄弁にいろいろなことを伝えているものです。家族への愛も。」といわれている。認知症があり上手く言葉として気持ちを伝えることができないK氏であったが、自ら作成した巾着を渡した時の柔らかい表情は娘に向けてのメッセージのように感じた。そして巾着の作製も忘れていたK氏であったが、娘の「多くを望んではいけない。生きていてくれるだけで幸せ」との言葉には、母への想いがつまっていた。これは生活歴から若かりし頃のK氏の苦労を知り、晩年一緒に暮らすことができた娘の根底にあった母への想いを引き出せ、手作りのお揃いの巾着の作製は形として残り、母と娘とのつながりを意味付けた支援であったといえる。
<結論>
認知症がありすぐに忘れてしまう方でも、自ら作成し形として残る物があると思い出すことができる。