講演情報
[14-O-C003-07]超高齢者A氏の終末期ケアの検討
*清水 恒伸1 (1. 三重県 みえの郷)
自施設で取り組んだ終末期ケアの1事例を報告する。入所後、脳梗塞を発症し終末期となったA氏は、嚥下障害により経口摂取困難となり家族は胃瘻造設を希望された。家族の思いを理解し、主治医をふまえスタッフと協働し、A氏の持てる力を生かし最期まで生きることを支えるケアを行った。終末期と診断後2か月後に亡くなった今回の事例を通し、終末期・看取りケアについて見つめ直す良い機会となり報告した。
【はじめに】
終末期ケアの内容は家族及び職員が本人にとって最善と考えるケアであり、最期までの過ごし方を常に考え計画し実施していくことである。自施設では最期を迎える利用者が年間約20名おり看取り対応している。入所時に終末期のあり方、終末期になった場合の対応について確認をしているが積極的な治療は望まず、苦痛なく過ごすことを望まれることがほとんどである。今回の終末期ケアにおいて、家族の思いを理解しA氏の持てる力を生かし最期まで生きることを支えるケア行った。この事例を通し終末期・看取りケアについて見つめ直す良い機会となりここに報告する。
【事例紹介】
90歳代女性、慢性心不全、慢性腎不全、呼吸不全にて内科病棟治療後、当施設に入所。
入所時の状態は認知症があり、辻褄が合わない話しをするが会話は可能。食事は食べこぼしがあるがセッテングすれば自分で食事摂取可能。ベッド上で過ごすことがほとんどであるが、家族面会時は全介助にて車椅子移乗していた。
入所数か月後、2回目の脳梗塞(左頭頂後頭葉)を発症。意識障害、右片麻痺、全失語の症状があり、心房細動の既往もあり保存療法で経過観察。発症後14日目よりバイタル安定し開眼はあるが指示は入らなくなり、嚥下障害にて食事摂取不可能となり持続点滴となる。
【看護の実際】
脳梗塞発症時、終末期であることを主治医から家族にIC施行。家族に看取りの覚悟を持って臨んでいただけるように伝えた。入所時から定期的に家族面会があり、家族との関係性は良く、終末期時は毎日、面会できるように対応した。面会時はA氏の状態がわかりやすく理解できるように伝え変化の状態を適切に伝えた。現在の状態、今後の経過と施設で過ごす場合に出来ること、出来ない医療処置について提供できるケアについて伝え、施設で可能な医療処置として酸素吸入、吸痰、補液の点滴を希望され実施した。
状態の良い時に特浴し、脳を刺激するために開眼時はテレビを見せてあげたいと家族の希望があり日中はテレビ鑑賞を行った。全身浮腫状態となった時は、利尿剤使用、輸液量を減量、褥瘡予防としてエアーマットに交換し適切なポジショニングで対応した。
家族は毎日面会する中、開眼し視線が合うことがあり生きる事への期待から胃瘻造設を希望された。再度、主治医と家族面談を行いリスクについて説明し、家族間で本人にとって最善と考える最期までの過ごし方について話し合いを持ってもらった。結果、胃瘻造設希望されたため、バイタルが安定した時期に口腔から食事ができないかとお茶ゼリーを試みた。飲み込み不可能なため主治医より胃瘻造設について消化器内科医師と相談。慢性心不全など既往症が多数あり、脳梗塞発症後は心不全悪化があり胃瘻造設はできないと判断。再度検討し、経鼻経管栄養で開始することになった。経鼻チューブ挿入後は、左上肢の動きがあるためクッションを利用し経鼻チューブを抜かないように配慮した。水分注入を1日1回から徐々に増やし状態変化がなかったため経管栄養開始でき家族は喜ばれていたが経管栄養開始2日後死亡となった。
【考察】
面会時はA氏の状態を理解しやすいように意識して伝えた。川上は「特別なことがなくても経過を直接伝えることで十分注意していますというメッセージが伝わる」と述べている。状態が落ち着いているのか、死に向かっているのか家族が看取り期を乗り切るためには必要であったと考える。
また、川上は「高齢者の終末期ケアにおいては生活を整えることによって、その生命過程を自然のままに進行させながら穏やかさや安楽を得られることが終末期の大きな目標である」と述べている。排泄ケア、清潔ケア、褥瘡予防や呼吸が苦しくないように体位を整えるなど最良の状態に整え、その状態を維持するようスタッフと協働してケアを行った。しかし、家族の生きることへの期待や希望に沿って経鼻経管栄養を実施したことは本人にとって最善のケアであったかどうかは疑問に残った。家族会議を行い納得いくまで議論を重ねての結果ではあるが本人の意向は無く、また、自然な経過を尊重し消耗を最小限にできたか振り返ると、経管栄養は死に向かっている生命の消耗状態の時に更に消耗さていたのではないかと感じた。
【おわりに】
今回の事例を通し本人にとってどうであったか考えさせられた。看護・介護者、家族の自己満足のケアになってはならず、本人にとって何が一番良いケアなのか、生命の自然な経過を邪魔しないよう本人の苦痛を緩和した終末期ケアを提供することを改めて考える良い機会となった。最後に、家族の愛を受け最期に経管栄養であったが食事ができたことをA氏が喜んでいることを願う。
終末期ケアの内容は家族及び職員が本人にとって最善と考えるケアであり、最期までの過ごし方を常に考え計画し実施していくことである。自施設では最期を迎える利用者が年間約20名おり看取り対応している。入所時に終末期のあり方、終末期になった場合の対応について確認をしているが積極的な治療は望まず、苦痛なく過ごすことを望まれることがほとんどである。今回の終末期ケアにおいて、家族の思いを理解しA氏の持てる力を生かし最期まで生きることを支えるケア行った。この事例を通し終末期・看取りケアについて見つめ直す良い機会となりここに報告する。
【事例紹介】
90歳代女性、慢性心不全、慢性腎不全、呼吸不全にて内科病棟治療後、当施設に入所。
入所時の状態は認知症があり、辻褄が合わない話しをするが会話は可能。食事は食べこぼしがあるがセッテングすれば自分で食事摂取可能。ベッド上で過ごすことがほとんどであるが、家族面会時は全介助にて車椅子移乗していた。
入所数か月後、2回目の脳梗塞(左頭頂後頭葉)を発症。意識障害、右片麻痺、全失語の症状があり、心房細動の既往もあり保存療法で経過観察。発症後14日目よりバイタル安定し開眼はあるが指示は入らなくなり、嚥下障害にて食事摂取不可能となり持続点滴となる。
【看護の実際】
脳梗塞発症時、終末期であることを主治医から家族にIC施行。家族に看取りの覚悟を持って臨んでいただけるように伝えた。入所時から定期的に家族面会があり、家族との関係性は良く、終末期時は毎日、面会できるように対応した。面会時はA氏の状態がわかりやすく理解できるように伝え変化の状態を適切に伝えた。現在の状態、今後の経過と施設で過ごす場合に出来ること、出来ない医療処置について提供できるケアについて伝え、施設で可能な医療処置として酸素吸入、吸痰、補液の点滴を希望され実施した。
状態の良い時に特浴し、脳を刺激するために開眼時はテレビを見せてあげたいと家族の希望があり日中はテレビ鑑賞を行った。全身浮腫状態となった時は、利尿剤使用、輸液量を減量、褥瘡予防としてエアーマットに交換し適切なポジショニングで対応した。
家族は毎日面会する中、開眼し視線が合うことがあり生きる事への期待から胃瘻造設を希望された。再度、主治医と家族面談を行いリスクについて説明し、家族間で本人にとって最善と考える最期までの過ごし方について話し合いを持ってもらった。結果、胃瘻造設希望されたため、バイタルが安定した時期に口腔から食事ができないかとお茶ゼリーを試みた。飲み込み不可能なため主治医より胃瘻造設について消化器内科医師と相談。慢性心不全など既往症が多数あり、脳梗塞発症後は心不全悪化があり胃瘻造設はできないと判断。再度検討し、経鼻経管栄養で開始することになった。経鼻チューブ挿入後は、左上肢の動きがあるためクッションを利用し経鼻チューブを抜かないように配慮した。水分注入を1日1回から徐々に増やし状態変化がなかったため経管栄養開始でき家族は喜ばれていたが経管栄養開始2日後死亡となった。
【考察】
面会時はA氏の状態を理解しやすいように意識して伝えた。川上は「特別なことがなくても経過を直接伝えることで十分注意していますというメッセージが伝わる」と述べている。状態が落ち着いているのか、死に向かっているのか家族が看取り期を乗り切るためには必要であったと考える。
また、川上は「高齢者の終末期ケアにおいては生活を整えることによって、その生命過程を自然のままに進行させながら穏やかさや安楽を得られることが終末期の大きな目標である」と述べている。排泄ケア、清潔ケア、褥瘡予防や呼吸が苦しくないように体位を整えるなど最良の状態に整え、その状態を維持するようスタッフと協働してケアを行った。しかし、家族の生きることへの期待や希望に沿って経鼻経管栄養を実施したことは本人にとって最善のケアであったかどうかは疑問に残った。家族会議を行い納得いくまで議論を重ねての結果ではあるが本人の意向は無く、また、自然な経過を尊重し消耗を最小限にできたか振り返ると、経管栄養は死に向かっている生命の消耗状態の時に更に消耗さていたのではないかと感じた。
【おわりに】
今回の事例を通し本人にとってどうであったか考えさせられた。看護・介護者、家族の自己満足のケアになってはならず、本人にとって何が一番良いケアなのか、生命の自然な経過を邪魔しないよう本人の苦痛を緩和した終末期ケアを提供することを改めて考える良い機会となった。最後に、家族の愛を受け最期に経管栄養であったが食事ができたことをA氏が喜んでいることを願う。