講演情報

[14-O-C004-06]親しまれた施設での看取りケアを考える

*小林 真也1 (1. 長野県 長野県阿南介護老人保健施設アイライフあなん)
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家族間での介護方針に「認識のずれ」が生じることがある。多職種で協働して利用者家族に関わっていくことで「認識のずれ」を修正することができた。親しまれた施設で穏やかな最期を迎えられるように、看取りケアに取り組んでいるケースを報告する。
はじめに
長野県介護老人保健施設アイライフあなん(以下当施設と略す)は長野県下伊那南部5町村(以下5町村)で唯一の病院である長野県立阿南病院の附設施設として平成6年に病床数50床で開所した。当施設がある長野県下伊那郡阿南町は診療圏の中心的な町であるが、人口は約4,000人、診療圏である5町村は広大な山地と渓谷が大部分を占めている。県内でも特に過疎化が深刻な地域であり、高齢化率43.7%(2024年3月現在)と、長野県平均の33.1%を大きく上回っている。この状況下の中、高齢の入所者とその家族の関わりから、看取りケアを行う施設としての役割を考えていく必要があると考えた。
目的
2005年には日本の死亡者数が出生数を上回り「多死社会」と呼ばれる人口減少の時代に突入したと言われている。当施設の診療圏のように、老老世帯・独居の方々が自宅で最期を迎えるには、人的な資源が乏しく希望に沿う環境が整いにくい状況にあり、過疎地と呼ばれる地域でよく見られることであると想像できる。
当施設でも昨年から看取りケアを始め、数名の方を看取る中、入所者の看取りにどのように向き合うべきか、遠方にいる家族とどのように関わるべきかという課題に直面した。長期間介護施設で生活している入所者の場合、その施設は既に第二の家であり、スタッフは家族に近い存在になっている。特に遠方に住む家族は、親の現状を十分把握しておらず、元気なままで過ごしていると思っている場合もある。日々、年老いていく過程の中、家族と職員との間で本人の状態や介護方針の「認識のずれ」が生じている。その「認識のずれ」が少なくなるように状態が変化した時には情報提供を行ってきた。しかしその際、入所者の家族との情報提供に困難が生じることが少なくない。その中で、慣れ親しんだ当施設で穏やかな生活を送り、最期を迎えることができるよう家族に働きかけた事例を報告したい。
事例
約4年間、入所を繰り返していたA氏98才女性。大腿骨骨折の既往あり。心筋梗塞を発症したのちADLが著しく低下。現在はベット上での生活を余儀なくされている。施設入所前は、長男夫婦と生活していたが、長男も介護が必要な状態となったため、介護力の不足から自宅での生活は困難になり当施設へ入所となった。老衰の進行により、他施設への移動ができない状態となった。
当施設の取り組み
当初、キーパーソンである長男の妻は、「今まで頑張ってきたので、これ以上は無理をさせたくない」と話していたが、遠方に住む娘らはA氏の現状が見えず「治療をして元気になってほしい」と積極的な治療を望んでいた。家族内の医療・介護方針に食い違いが見られていると考えられた。キーパーソンである長男の妻に判断を任せることは負担も大きいと考え、当施設から遠方の娘らに現状を確認していただくための面会を計画した。医師より医学的な見地に立った説明を行い、直接A氏と面会したことで、A氏の現状を理解して頂いた。
その結果、娘らからも「親しんできた施設で最期までお願いしたい」と介護方針が変わり意見が一致したため、当施設での看取りを行うこととなった。
感染対策を行い、家族面会の機会を繰り返し設定した。体調が安定したこともあり、長年自宅に帰る機会もなかったことから、自宅の受け入れ環境が整えば、外出という計画を立てた。しかし、コロナ流行に加えA氏の身体状況も不安定となり中止とした。そのためスタッフが自宅に赴き、人生の思い出の詰まった自宅の状況を撮影し、A氏に見て頂いた。映像を見ながら、懐かしい苦労話や楽しかった事、普段見ることの少ない笑顔で懐古する表情が印象的であった。また、「みんなとにぎやかに過ごしてほしい」とのA氏と家族の希望に沿うように、日中は自室に一人で過ごすのではなく、他の入所者が集まるホールにベッドで過ごし、歌やレクリエーションなどの活動をしている場で一緒に過ごせるようにした。本人は閉眼していることがほとんどであるが、時折開眼し目で追う姿や歌を口ずさむ姿を見ることができている。多職種でカンファレンスを定期的に行い、家族と情報を共有することで穏やかな最期を迎えられるように介護介入を行っている。
まとめ
人生の最期の迎え方に関する全国調査のアンケートで、最期を迎えたい場所は「自宅」と答える方が圧倒的に多い。過疎地にあっては、家族が遠方であること、老老介護など家庭事情の他に、地理的不利や介護対象者の人口が少ないことから、事業として成立しにくいため、民間事業者の参入は期待が薄い。今後も行政に頼るしかない社会資源の状況は、解決し難い問題となっている。つまり、自宅を最期の安住の地にという選択をできる住民は、過疎地域では限られた存在と言える。また人生の最期に重要だと思う回答では「自宅は安心できる」という事が理由として挙げられている。しかし、視点を変えて考えると、自宅というハード面の環境は提供できなくても、安心というソフト面は施設で提供することが可能であり第二の家として成り得ると考える。今回の事例のように、家族間の介護方針や本人の心身の状況についての認識のずれが生じた場合、利用者、家族についてそれぞれ理解し、多職種で協働していくことが重要である。また、利用者、家族へのアプローチを欠かさないことで、信頼関係を築き、関わる全ての人が同じ方向を向いて共生進化していくことが可能であると考える。