講演情報

[15-O-L015-02]悲嘆と向き合いながら日常生活を過ごす~共に入所中の妻を看取った利用者との関りを通して~

*片岡 智香1 (1. 東京都 介護老人保健施設ハートランドぐらんぱぐらんま)
PDFダウンロードPDFダウンロード
共に入所していた妻の看取りを体験した夫は、妻の生前よりも主体的に生活を過ごしていた。悲嘆から立ち直れるプロセス提供をできていたのか、その心情や感情を知るためにナラティブアプローチの作業提供を行った。その結果、悲嘆と向き合い、人生を前向きに送ろうとする心情を吐露することができた。安心して悲嘆の感情を表出できること、自己の居場所をつくることが支援に必要なことではないかと考えられた。
【はじめに】
 看取りを体験した遺族は、身体的ストレス、精神的ストレスを感じながら、喪失体験を痛感し、日常生活を過ごしている。その際には、一身上に現れるあらゆる反応があり、悲嘆から立ち直るためのケアが重要となってくる。今回、演者(以下、OT)はご夫婦で老健施設入所となり、入所後看取りとなった妻と、その妻を看取った夫(以下、A氏)を支援する機会を得た。A氏は現在も当施設に入所し、施設生活を送っている。今回、A氏に対しての取り組みを振り返り、支援者側が感じたことを以下に報告する。

【事例紹介】
 A氏男性90代。(自立度A2/認知度IIa)訪問介護等のサービスを利用しながら寝たきりの妻と二人の時間を大切にして在宅生活を過ごしていた。A氏が呼吸困難で急性心不全のため入院となり、体力が戻らず廃用が進行し、ADLの低下がみられ在宅復帰が困難となる。先に入所していた妻と一緒に過ごせるようにという家族の思いから、入院より1ヶ月後に当施設入所となった。

【経過】
 入所後のA氏は生活に対しての意欲が低く、本人希望の臥床対応の時間が多かった。食事動作を除くADLは全介助レベル、移乗動作は二人介助、車椅子の移動も介助にて行っていた。リハビリに参加はできるが積極的な訓練は望まず、起き上がりの声掛けをしても動作に移すまでに時間を要し、数回の立ち上がり練習に取り組むのが精一杯の状態であった。
妻の老衰が進行して施設側からは看取りケアを提案されるが、妻に対する思いが強いA氏は受け入れられず、家族、医師、看護師、支援相談員、施設ケアマネージャーと何度も話し合いを重ねてようやく承諾して看取り開始となった。
看取り対応を開始して1週間で、妻は最期を迎えた。妻を看取った翌日には目に涙を溜めていたが、それ以降は毅然と振る舞い、妻が生前の時よりも主体的に日常生活を過ごしていた。

【取り組み】
 看取り開始からご逝去までの時間は短かったにも関わらず、A氏がそれまでよりも主体的に生活を送れることに、OTは「なぜそのように生活を送れるのだろう、喪失感や悲嘆はすべての遺族が感じるものではないか、悲嘆から立ち直れるプロセスを提供できていたのか」等の疑問が浮かんだ。そこでA氏の心情や感情を知るために、妻の死後、ナラティブアプローチの作業提供を行った。ナラティブ(narrative)とは過去の自分を振り返って、自分の物語を語ることで、物事をどのように経験したか、外在化し、知ることができるとされている。ナラティブアプローチ提供以降は日常の困りごとや生活のことやリハビリなど、自分のことに目を向けられるような声掛けを行った。

【結果】
 ナラティブアプローチの作業を行うと、20-50代では両親世帯と自分の世帯を養っていたため毎日忙しく過ごしてきたこと、55歳で定年退職をしてから70代までは人生で一番楽しい時期であった。楽しく過ごせてきたが、徐々に体力低下を実感し、90代で人生スロープは下降をしていく。現在についてA氏は「今は今で幸せなのかもしれない。自分のことを考えられるのは今だからね。」という結論で締めくくり、悲嘆と向き合いながらも前向きに人生を送ろうとする心情を吐露することができた。
その後はリハビリにも意欲的になり、予定時間を伝えておくと開始前にはベッドから起き上がり端座位になり、準備体操をして待っている。自主的に手指の訓練をしたいと、ご家族に大きめのスポンジ製サイコロを持ってきてもらい、臥床中に手指の体操をしている。「歩いてみたい、歩けるかな」と目標を挙げられるようになり、平行棒内の歩行練習、さらに階段昇降練習やマシンリハにまで取り組めるようになっている。移動時には車椅子を自操し、居室から食事席までの移動を自ら行っている。「今、一番意欲的に取り組んでいるもの」を尋ねると「リハビリだね。大変だけど楽しいよ。部屋の写真には毎朝手を合わせているよ。ありがとう。」と笑顔で話される。

【考察】
 OTはA氏に対してナラティブアプローチを通してこれまでの人生や妻を看取った悲しみ、悲嘆と向き合う心情を語る場を提供し、それ以降は「黙って、寄り添うこと」を心掛けた。日々過ぎていく日常に目を向けてもらうことが目的であった。その関わり方が最善であったかはわからないが、安心して、痛む心に向き合う時間のきっかけづくりができたのではないかと考える。A氏にとって、自分のための時間を過ごせているのは生きる意欲、次のステップに向かうための準備にもつながったのではないか。命には限界があり、寿命には従うしかないという気持ちの切り替えがあったのかもしれない。一緒に過ごしてきた思い出を噛みしめ、ゆっくり悲嘆と向き合い、自己消化して過ごしてきたのだろう。そのなかで日常を過ごすA氏は、老いていく事に対して後ろ向きではなく、新しいことに取り組むことで生活に変化が生まれ、柔軟に受け入れることができているのではないか。

【終わりに】
 安心して悲嘆の感情を表出できること、自己の居場所をつくることが看取った側、家族への支援に必要なことではないかと今回の関わりを通して感じた。人生では得ること、喪うことが起こりうる。A氏に対しては、これからの自分の人生も大切にしていただきたいと願う。今後も寄り添い、気持ちを分かち合うことを心得て支援に関わっていきたい。

【参考文献】
介護と医療研究会(2024.初版)『看取りケア 介護スタッフのための医療の教科書』株式会社翔泳社
水野治太郎(2017.初版)『ナラティブアプローチによるグリーフケアの理論と実際-人生の語り直しを支援する-』株式会社金子書房