Presentation Information
[J-P-13]Deformed load structures in the Miocene Morozaki Group at the Toyohama Sakai seashore in Minamichita-town,Chita Peninsula,central Japan★日本地質学会ジュニアセッション奨励賞★
*Nagoya Senior High School Nagoya Junior High School1 (1. Nagoya Senior High School and Nagoya Junior High School)
研究者生徒氏名:牧野 航大(Kouta Makino)・堀越 健太郎(Kentaro Horikoshi )・鈴木 凜士(Rinto Suzuki)・足立 健人(Kento Adachi)
宮川他(2021)は愛知県知多半島南西に存在する内海断層が中新世に半地溝をつくる正断層としてはたらいていたとし,地下半島地下の基盤上面が内海断層側つまり南西側に傾くモデルを提唱している。我々は,当時内海断層の北東側で堆積した師崎層群が層理面を北東側に傾けていたことを示す堆積構造の変形を発見した。海中断層である内海断層のおよそ450m-550m北東側にあたる,南知多町豊浜坂井地先の師崎層群豊浜層分布域である海岸を2021年より調査している。海岸の潮間帯には1.5mを超える高さの海食崖が2つある。2021年・2022年の調査では国道側の海食崖からは生痕や斜交葉理や荷重痕など多くの堆積構造が観察された。しかし,沖側の海食崖からは上部の一部に斜交葉理と平行葉理が観察されただけで,多くの部分で堆積構造が見つかっていなかった。沖側の海食崖は国道側の海食崖に比べて観察可能時間が短く,生物を壁面から除去するのに手間が掛かり,観察できた面積が狭かったために堆積構造が見つけにくかった。そこで,沖側海食崖を2023年3月より追加して調査した。調査日程は 2023年3月24日,2023年3月25日,2024年3月27日,2024年3月28日,2024年6月8日,2024年6月22日の6日間である。沖側の海食崖の下部が水面上に出ている時間帯に現地調査により海食崖の生物に覆われていない部分を探して,露頭の表面に出ている岩石を観察・記録した。白色の粒子,および黒色の自形を示す鉱物粒子を火山噴出物(火山灰)と判定し,それ以外を砕屑物と見なし,粒径はルーペによる観察で,体積で50%以上を占める代表的な粒子を選定し,その粒子が1mmの間に何個並べられる大きさであるか見積もり,記録した。想定した堆積構造は平行葉理,斜交葉理,その他の葉理,漣痕,生痕,荷重痕,火炎構造,コンクリーション,であり,それらの堆積構造および化石が認められた場合は記録することにしていた。その結果,荷重痕が並ぶ層準が沖側海食崖から3層準見つかり,さらに,3層準とも荷重痕が非対称変形していることが判明した。露頭の壁面が南南西を向いており,上位・中位・下位どの荷重痕も左手前に飛び出した部分がくるように変形している。斜面の剪断変形によって荷重痕が変形する場合,傾斜方向の反対側に荷重痕が飛び出すように変形するため,変形当時の層理面はおおむね北東から東の方向に傾いていたことになる。中位の変形荷重痕の飛び出しを使って傾斜方向を測定すると,傾斜方向はN60度Eとなった。また,上位の変形荷重痕の直上に見られる漣痕とその下の斜交葉理から堆積当時の古流向を測定するとS65度Eとなった。北西から南東に延びる内海断層の北東500mの地点の海食崖で師崎層群豊浜層にN60度Eの方向に層理面が傾斜していたことを示す変形荷重痕を見いだしたことから,豊浜層堆積時の堆積盆の中心は内海断層の北東500mよりもさらに北東側にあったことがわかる。タービダイトが堆積した当時の古流向は斜面の傾斜方向と斜交するS65度Eで,内海断層に沿って,北西から南東へと向かう流れであった。傾斜方向と流向が斜交する原因は,内海断層が急崖をつくっていて,それに沿う流れが卓越しやすい地形であったからと思われる。上位と中位の荷重痕は二村(2020)が南知多町長谷崎の豊浜層から報告したものに形態と大きさが類似しているが,二村(2020)は変形に系統性がなく変形時の層理面に傾斜がなかったとしている。この違いは,長谷崎の方が内海断層から離れており,堆積盆中央に近かったからではないか。
キーワード:師崎層群,荷重痕,内海断層,変形,堆積構造
宮川他(2021)は愛知県知多半島南西に存在する内海断層が中新世に半地溝をつくる正断層としてはたらいていたとし,地下半島地下の基盤上面が内海断層側つまり南西側に傾くモデルを提唱している。我々は,当時内海断層の北東側で堆積した師崎層群が層理面を北東側に傾けていたことを示す堆積構造の変形を発見した。海中断層である内海断層のおよそ450m-550m北東側にあたる,南知多町豊浜坂井地先の師崎層群豊浜層分布域である海岸を2021年より調査している。海岸の潮間帯には1.5mを超える高さの海食崖が2つある。2021年・2022年の調査では国道側の海食崖からは生痕や斜交葉理や荷重痕など多くの堆積構造が観察された。しかし,沖側の海食崖からは上部の一部に斜交葉理と平行葉理が観察されただけで,多くの部分で堆積構造が見つかっていなかった。沖側の海食崖は国道側の海食崖に比べて観察可能時間が短く,生物を壁面から除去するのに手間が掛かり,観察できた面積が狭かったために堆積構造が見つけにくかった。そこで,沖側海食崖を2023年3月より追加して調査した。調査日程は 2023年3月24日,2023年3月25日,2024年3月27日,2024年3月28日,2024年6月8日,2024年6月22日の6日間である。沖側の海食崖の下部が水面上に出ている時間帯に現地調査により海食崖の生物に覆われていない部分を探して,露頭の表面に出ている岩石を観察・記録した。白色の粒子,および黒色の自形を示す鉱物粒子を火山噴出物(火山灰)と判定し,それ以外を砕屑物と見なし,粒径はルーペによる観察で,体積で50%以上を占める代表的な粒子を選定し,その粒子が1mmの間に何個並べられる大きさであるか見積もり,記録した。想定した堆積構造は平行葉理,斜交葉理,その他の葉理,漣痕,生痕,荷重痕,火炎構造,コンクリーション,であり,それらの堆積構造および化石が認められた場合は記録することにしていた。その結果,荷重痕が並ぶ層準が沖側海食崖から3層準見つかり,さらに,3層準とも荷重痕が非対称変形していることが判明した。露頭の壁面が南南西を向いており,上位・中位・下位どの荷重痕も左手前に飛び出した部分がくるように変形している。斜面の剪断変形によって荷重痕が変形する場合,傾斜方向の反対側に荷重痕が飛び出すように変形するため,変形当時の層理面はおおむね北東から東の方向に傾いていたことになる。中位の変形荷重痕の飛び出しを使って傾斜方向を測定すると,傾斜方向はN60度Eとなった。また,上位の変形荷重痕の直上に見られる漣痕とその下の斜交葉理から堆積当時の古流向を測定するとS65度Eとなった。北西から南東に延びる内海断層の北東500mの地点の海食崖で師崎層群豊浜層にN60度Eの方向に層理面が傾斜していたことを示す変形荷重痕を見いだしたことから,豊浜層堆積時の堆積盆の中心は内海断層の北東500mよりもさらに北東側にあったことがわかる。タービダイトが堆積した当時の古流向は斜面の傾斜方向と斜交するS65度Eで,内海断層に沿って,北西から南東へと向かう流れであった。傾斜方向と流向が斜交する原因は,内海断層が急崖をつくっていて,それに沿う流れが卓越しやすい地形であったからと思われる。上位と中位の荷重痕は二村(2020)が南知多町長谷崎の豊浜層から報告したものに形態と大きさが類似しているが,二村(2020)は変形に系統性がなく変形時の層理面に傾斜がなかったとしている。この違いは,長谷崎の方が内海断層から離れており,堆積盆中央に近かったからではないか。
キーワード:師崎層群,荷重痕,内海断層,変形,堆積構造
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