Presentation Information
[本部企画-S2-1]Is “Being able” the only right answer?Bodily possibilities and diversity
*Ai Tanaka1 (1. Tokyo Gakugei University)
<演者略歴>
東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科、修了。博士(教育学)。武蔵大学人文学部、明星大学教育学部を経て、現職。専門は、体育哲学、身体教育学。
東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科、修了。博士(教育学)。武蔵大学人文学部、明星大学教育学部を経て、現職。専門は、体育哲学、身体教育学。
「身体」とはなにか、そして、私たちは「身体」をどのように捉えるべきか。この問い立てに対し、本シンポジウムに掲げられている「冗長性」や「不可視性」は、有効な視点であるように思われる。演者の立場からは、現象学という学問の知見を借りながらこの問いについて再考を試みたい。
考察の手がかりの一つとして、「身体的可能感」を取り上げる。この概念は、体育やスポーツ実践における「できる」か「できない」かの現象のうち、「できない」から「できる」までの過程で、無自覚のうちに本人が抱く感じを指す。この概念を、通常認識されている「できる」との対比から〈できる〉と表記すれば、この〈できる〉は、人間が積極的に行動を起こす際のいわゆる「意欲」にも影響を及ぼすと考えられる。また、これらのことを学校教育という枠組みの中で評価することの難しさについても、とくに「不可視性」との関係から問題提起したい。
また、上記の議論に加え、「できる」ことの価値を認めつつも、「できない」ことにも「人と人を結び付ける」という独自の意味があることについて、スポーツやパラスポーツの実践場面にみられる能力志向という観点から議論を展開したい。
考察の手がかりの一つとして、「身体的可能感」を取り上げる。この概念は、体育やスポーツ実践における「できる」か「できない」かの現象のうち、「できない」から「できる」までの過程で、無自覚のうちに本人が抱く感じを指す。この概念を、通常認識されている「できる」との対比から〈できる〉と表記すれば、この〈できる〉は、人間が積極的に行動を起こす際のいわゆる「意欲」にも影響を及ぼすと考えられる。また、これらのことを学校教育という枠組みの中で評価することの難しさについても、とくに「不可視性」との関係から問題提起したい。
また、上記の議論に加え、「できる」ことの価値を認めつつも、「できない」ことにも「人と人を結び付ける」という独自の意味があることについて、スポーツやパラスポーツの実践場面にみられる能力志向という観点から議論を展開したい。
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