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[スポーツ文化-B-08]セメンヤ事件における対立構図の再考(哲)身体的インテグリティ対女子競技のインテグリティ
*Tomoki Matsumiya1 (1. Toyo Univ.)
2018年、国際陸上競技連盟(IAAF。現世界陸上競技連盟:WA)は、DSD(からだの性の多様な発達)を有する女性選手が女子種目に参加する条件として、経口避妊薬の服用等によって、血清中テストステロンを一定の基準以下に抑制することを求める規定、いわゆる「DSD規定」を制定した。セメンヤ事件は、南アフリカのキャスター・セメンヤがDSD規定の停止を求め、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に仲裁を申し立てた事例である。
CASは、セメンヤを含むすべての選手が競技に参加する権利と、男子選手と比較して生物学的に不利な女子選手の権利とが相反し、両立し得ないとしたうえで、DSD規定が女子種目の公平性を守るために必要であり、手段(経口避妊薬の服用等)についても適切であるとし、セメンヤの訴えを退けた。
CASの裁定に対しては、女子競技における包摂性と公平性を中心に議論がされてきたが、経口避妊薬服用の要求については、身体の根源的権利である「身体的インテグリティ」(他者から身体への介入を受けず、あるがままの身体でいる権利、あるいは、その人にとって良好な状態でいる権利)が侵害されているにもかかわらず議論が乏しい。
そこで、本発表において、セメンヤ事件が「身体的インテグリティ」対「女子競技のインテグリティ」という対立の構図を有し、CASがスポーツにおける「女子」を狭く定義したうえで、セメンヤの身体的インテグリティが女子競技のインテグリティに収まらないがために、セメンヤを女子競技から排除したことを指摘する。
多様な性のあり方をめぐっては、スポーツのみならず、政治の舞台でも対立や分断が生じている。スポーツの世界では、性別二元制を堅持し、公平性にこだわり(あるいは、公平性を名目に)、身体的インテグリティを侵害する事態が起きている。本発表では、身体に関する権利の重要性を説き、これらの権利を守るスポーツのあり方を構想したい。
CASは、セメンヤを含むすべての選手が競技に参加する権利と、男子選手と比較して生物学的に不利な女子選手の権利とが相反し、両立し得ないとしたうえで、DSD規定が女子種目の公平性を守るために必要であり、手段(経口避妊薬の服用等)についても適切であるとし、セメンヤの訴えを退けた。
CASの裁定に対しては、女子競技における包摂性と公平性を中心に議論がされてきたが、経口避妊薬服用の要求については、身体の根源的権利である「身体的インテグリティ」(他者から身体への介入を受けず、あるがままの身体でいる権利、あるいは、その人にとって良好な状態でいる権利)が侵害されているにもかかわらず議論が乏しい。
そこで、本発表において、セメンヤ事件が「身体的インテグリティ」対「女子競技のインテグリティ」という対立の構図を有し、CASがスポーツにおける「女子」を狭く定義したうえで、セメンヤの身体的インテグリティが女子競技のインテグリティに収まらないがために、セメンヤを女子競技から排除したことを指摘する。
多様な性のあり方をめぐっては、スポーツのみならず、政治の舞台でも対立や分断が生じている。スポーツの世界では、性別二元制を堅持し、公平性にこだわり(あるいは、公平性を名目に)、身体的インテグリティを侵害する事態が起きている。本発表では、身体に関する権利の重要性を説き、これらの権利を守るスポーツのあり方を構想したい。
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