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[11教-口-07]教師の準備運動の機能及び教師の意識に関する研究効率性と儀礼性に着目して
*Shiho Akioka1, Satoshi Suzuki2 (1. Tokyo Gakugei Univ. Master Course, 2. Tokyo Gakugei Univ.)
体育授業で行う準備運動は「儀式と思われるほど形式的(遠山、1974)」などと評され、批判の対象となることがある。「形式」は、屈伸に始まる決められた体操を体育係の号令で全員が秩序正しく行う(中村ら、2016)などの状況を指す。この状況に対し、主運動に即した効果的なもの(遠山、1974)や、主体的な学びとしての導入(中村ら、2016)、楽しさと多様な動きを含む運動遊びを準備運動で行うことも提案されてきた(春日ら、2020)。しかし、「形式を捨て去らない限り、準備運動のねらいや効果をいかに論じても、理論と運動の実際とは結びつかず、準備運動の効果をより高めることはむずかしい(松延、1974、p.363)」とされたように、現在に至るまで議論が継続している。元来、学校は非合理的側面を含む様々な儀礼によって、秩序の維持と効率よい集団運営をしており、儀礼構造は特定の個人や地位によって維持・強制されるものではない(稲垣、2007)。さらに、学校で共通理解する身体的規律を学習させるという任務は、体育教師の「集団行動」指導による実現が期待されている(沢田、2001、p.214-215)。また、教師の効果的なマネジメントは、体育授業の成果にプラスの影響がある(高橋、1992)ことや、定型化された授業行動は、授業の複雑さを軽減し、秩序と安定をもたらす(香川ら、1990)と考えられている。このことから、準備運動の行われ方には潜在的な儀礼の機能や社会的な期待が反映されているとも考えられる。これまでの研究では、運動効果の合理性から形式的な準備運動の否定的側面は捉えられてきたが、教師が捉える準備運動の機能に言及した研究は管見の限り多くない。そこで本研究では、体育授業を行う教師を対象に、準備運動を行う意味に関する質問紙調査を行い、その多様な側面の検討を目的とする。詳細については当日報告する。
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