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[02社-口-11]現代におけるメディア・スポーツのリアリティ原像と複製、体験と情報の反転

*Itsuku Sato1 (1. Meiji Univ.)
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本報告では、テレビ中継、判定テクノロジー、eスポーツなど電子メディアのテクノロジーが介在しているスポーツを「メディア・スポーツ」と規定し、そのメディア・スポーツにおけるリアリティの所在について検討する。 
 スポーツとメディアの結びつきは新しいものではなく、新聞やラジオなどはスポーツの普及に大きな影響を及ぼしてきた。しかし、近年の急速なメディア・テクノロジーの進歩とそのスポーツの応用は、前世紀までとは異なる次元でスポーツを変容させつつある。ハンナ・アーレントは、人工衛星が地球の軌道を回り、「人間の条件」が大きく変わりはじめていることに驚愕したが、現代におけるメディア・テクノロジーの進化は彼女の時代を上回る変動をもたらしている。
 アーレントは、複数人の議論の場において他者からその存在を認識され、同定されるところにリアリティを位置づけた。この捉え方によれば、テレビでのスポーツ視聴など、複数人の実在を必要としないメディア・スポーツはリアリティを喪失させていることになる。だが、テレビの視聴やオンラインを通じたテレビゲームでの対戦に、私たちはリアリティを感じてはいないだろうか?現代のメディア・スポーツは本当にリアリティを喪失させていると言えるのだろうか? 
 例えば、ヴァルター・ベンヤミンのアウラの概念を念頭におきながら、樋口聡は現代のメディア・スポーツが「複製技術をめぐるオリジナルとコピーといった観念」を崩壊させた事実を喝破したが、ニクラス・ルーマンの社会システム論に基づきながら、「原像」と「複製」という観念の崩壊が現代のリアリティに有している意味にまで踏み込んだ考察を可能にしているのが大黒武彦の「潜在(ヴァーチャル)社会」論である。本報告では、その「潜在(ヴァーチャル)社会」論の視点から、メディア・スポーツのリアリティについて検討する。

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