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[01史-口-01]近代日本の体育・スポーツ史叙述における「奉納競技」の系譜明治神宮外苑造営・明治神宮大会成立の内在的論理を繙く
*Hiromasa Fujita1 (1. Kokugakuin University)
大正13年(1924)、「明治神宮外苑競技場」が造営されたことに伴い、「明治神宮競技大会」が創始された。この大会の実質的な「産みの親」である内務省保健局長の湯澤三千男は、「神前に技を闘はすといふことは東西共に昔から行はれたことで、我国の往時の奉納試合、西洋のオリンピヤの競技などはこれである。それで、明治天皇の御聖徳をたゝへ奉り、一は運動競技の全国の中心となす意味で、各方面との話を進め、明治神宮例祭を期間に入れて、開会することにしたのである」と「明治神宮競技大会」の由来を語った上で、「外国のスポーツマンシップと、我武士道とを長短補正し、新しい精神でやるところに大なる意味がある。一例をいへば我国の武道は多くは個人的であるが、外国から来た競技のチーム制によつて団体訓練に資するが如きである。/競技は日頃錬磨の結果を、正々堂々と争ふのであつて体育としても亦訓育としても非常に価値の高いものである。〔中略〕神宮競技に競技と云ふ名称を附したのも、こんな理由で、国民生活の上から競技の価値を認めたからである」と述べている(「明治神宮競技につきて」斯の道学会編『運動競技と訓育』中文館書店、大正15年)。当時の史料に即して跡付けると、「明治神宮外苑」は、①神社祭祀に伴う奉納競技空間「馬場」を媒介とした日本の伝統的(内在的)文脈と②オリンピア祭典競技を前提とする国際オリンピックという国際的(外在的)文脈、これら両文脈の結節点に位置付けられた近代的スポーツ施設であり、「明治神宮大会」は、祭典奉納競技空間で行われる「奉納競技」(祭典競技、神前競技)に源流を持つオリンピア祭典競技を前提とする国際オリンピックの日本国内版と言える。このうち本発表では、明治神宮外苑造営・明治神宮大会成立を大きな画期と捉え、その内在的論理を繙くべく、近代日本の体育・スポーツ史叙述で言及された「奉納競技」の系譜を辿りたいと考える。
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