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[01史-口-04]兵庫県における第1回国民体育大会(1946年)の開催準備に関する研究

*Shinobu Akimoto1 (1. Kobe Univ.)
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兵庫県は、これまで、夏季・秋季大会と冬季大会を合わせて5回の国民体育大会(以下国体)を開催してきた。本研究は、このうち、広域開催となった1946年第1回国体が、兵庫県においていかに準備されたのかについて検討しようとするものである。国体から国民スポーツ大会に名称が変更され、今後のあり方が議論されている現在、兵庫県を対象として初開催時の状況を認識しようとする試みには、地域社会と全国的総合スポーツ競技大会とのこれからの関係を展望する上で意義を見出せる。
 国体史研究においては、第1回国体の創設過程を解明した村井論文があるものの、その開催準備についての個別研究は見られない。戦後日本のスポーツの通史研究においても、第1回国体の開催準備に対する関心は薄く、これらの解明に不可欠な史料発掘も進展していない。以上の研究状況を踏まえ、本研究では、秩父宮記念スポーツ図書館において近年利用可能となった、関西準備委員会『第1回国民体育大会記録』、兵庫県地区準備委員会『第1回国民体育大会兵庫県報告書』などの新史料に依拠して、兵庫県における第1回国体の開催準備の経緯について、開催地としての兵庫県選定の背景、関西準備委員会の発会と活動の展開、兵庫県地区準備委員会の対応、の3点から再構成することを課題とした。
 検討の結果、以下の点が明らかになった。1946年7月、関西準備委員会が発足し、春日弘が委員長、田辺五兵衛が総務委員長を務めた。同委員会は関西スポーツ連合や電鉄会社等で構成され、第1回国体の準備を進めた。府県ごとに準備委員会が設けられ、兵庫県ではスポーツ関係者と行政が協力し、輸送は京阪神急行に一任、宿舎や配給も綿密に調整された。第1回国体開催時、大日本体育会の事業部長であった吉田清は、民間主導と評価したが、実際には行政の支援も大きく、開催成功に不可欠な要素であった。

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