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[01史-口-09]カンタベリー入植黎明期に行われたスポーツに関する研究

*Masayuki Enomoto1 (1. Shiga University)
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ニュージーランド(以下、NZ)への入植は19世紀半ばにNZ会社が計画主導した。南島にあるカンタベリー地域は、NZ会社と理念的・人的につながりのあるカンタベリー協会によって入植が進められ、英国の宗教や階級を維持した計画的な都市建設を行おうとした点で、特徴がある。1850年に最初の移民船団が到着し、その多くがオックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジ出身者であったことから、町をクライストチャーチと名付け、イングランド国教会の総本山であるカンタベリーを模した町づくりが行われた。
このような都市建設のなかでスポーツがどのような役割を果たしたのか。NZにおけるスポーツ史研究は、種目史やスポーツクラブの歴史などの蓄積がある。本研究で着目するカンタベリーは、英国のパブリック・スクールの影響を強く受けた形で、1870年代以降クリケットやラグビーが学校や地域のクラブで行われた。特にクライストチャーチは、計画的英国的な都市建設が計画的に行われ、スポーツにおいてもジェントルマン・アマチュアの形式を他のNZの都市に比べて強く受け継いだことが明らかにされている。一方で、これら近代スポーツを受容する1870年代以前に関する研究は乏しく、記念日や祝日に行われた集会の中で、競走などが行われた指摘にとどまる。
本研究では、近代スポーツがカンタベリーで普及する前の時期に着目し、どのようなスポーツ活動が行われ、それが都市建設の中でどのような役割を担ったのかという点について検討することにより、カンタベリーのスポーツ史の空白部分を明らかにする。そのために、1869年から1871年にかけてレクリエーション活動を運営していたPopular Amusement and Entertainment Associationの議事録や当時の新聞を用い、スポーツ活動の記録とアマチュアや階級に関する議論などを整理する。

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