Presentation Information
[P17-09]Comparison of tsunami inundation areas at Noshima, Miyazaki City: The 1662 Hyuga-nada and 1707 Hoei Earthquakes
*Kei IOKI1, Yusuke YAMASHITA2 (1. Geological Survey of Japan, AIST, 2. Miyazaki Municipal University)
九州東方に位置する日向灘では,M7クラスの海溝型地震が数十年間隔で発生している.歴史記録上,日向灘で発生した最大規模の地震は1662年日向灘地震とされている.古文書などによると,この地震は非常に強い揺れを伴い,建物の被害状況などから最大震度は6強程度であったと推定される.またこの地震により津波が発生し,宮崎市沿岸部では津波の高さが4-5 mと推定され,大きな被害をもたらした.しかし津波堆積物や地殻変動などの地質記録や,古文書などの歴史記録等,この地震に関する情報は少なく,この地震や津波の実態は明らかにはなっていない.既存の断層モデルには,宮崎県日南市小目井におけるイベント堆積物の分布範囲と計算浸水範囲の比較,宮崎県沿岸の歴史記録から推定された津波の高さと計算された津波の高さを比較することで構築された1662年日向灘地震の断層モデル(Ioki et al., 2023)がある.この断層モデルの確からしさの検証と,さらなる高精度化を目指し,この地震と津波に関する情報を探した.
宮崎市南部の沿岸に位置する野島は,砂岩泥岩互層の隆起海床と奇形波蝕痕に囲まれた地域である.野島南部には1446年に創建された野島神社が存在する.野島の東には巾着島が存在し,現在は野島と巾着島は人工的に陸続きとなっているが,1600年代頃は巾着島の北西側には砂浜が存在し,満潮時には小さないかだ1隻が通れる程度の浅瀬となっていたらしい.野島南部の海岸付近に存在する野島神社は標高約5 mに位置し,1662年の津波の時は,神社内に植えられているガジュマルの樹が潮をかぶったと言われている.野島神社付近での1662年津波は,神社の標高と同程度か少し高いところまで来たと推測される.また1662年の地震時には野島には集落が存在し,伝承によるとこの集落の間を通る道路を越えて津波がやってきたとされている.海岸線とほぼ平行に走る道路は,標高約5-9 mに位置し,それより内陸の集落は約1-1.5 mの石垣の上に存在する.野島周辺では過去に津波が襲来したため,現在まで津波対策として,石垣を積みその上に家を建てるようになったそうだ.野島での1662年津波は,道路の標高に石垣の高さを加算した程度の高さまで来たと推測される.
1662年日向灘地震による津波の,野島での浸水範囲を復元するため,過去の海岸地形推定が必要となる.津波の数値計算に用いるため,まず国土地理院による基盤地図情報(数値標高モデル),日本水路協会による海底地形デジタルデータM7000シリーズ,現地調査の測量結果等を用いて現在の地形データを作成した.次に漁港,防波堤,突堤などの人工構造物を取り除き,国土地理院による明治時代の測量結果を用いた旧版地図等を参考にして,1662年津波襲来当時の海岸線や島の形等を推定した.
野島にて推定した過去の地形を用いて,1662年日向灘地震の断層モデル(Ioki et al., 2023)を使用し,津波の浸水計算を行った.その結果,計算された津波は,野島周辺では標高約8 m地点まで浸水範囲がおよぶことがわかった.野島での1662年の津波が来たと推測される位置や高さとおおよそ一致することから,この断層モデルで1662年日向灘地震の野島における津波を説明することができた.また同時代に,波源も比較的近い場所で発生した津波の浸水範囲の把握のため,1707年宝永地震の津波との比較を行った.先行研究による1707年宝永地震の断層モデル(Furumura et al., 2011)を使用し,津波の浸水計算を行った結果,野島での計算浸水範囲は標高約3 m地点まで到達し,1662年津波の計算浸水範囲より小さいことがわかった.
宮崎市南部の沿岸に位置する野島は,砂岩泥岩互層の隆起海床と奇形波蝕痕に囲まれた地域である.野島南部には1446年に創建された野島神社が存在する.野島の東には巾着島が存在し,現在は野島と巾着島は人工的に陸続きとなっているが,1600年代頃は巾着島の北西側には砂浜が存在し,満潮時には小さないかだ1隻が通れる程度の浅瀬となっていたらしい.野島南部の海岸付近に存在する野島神社は標高約5 mに位置し,1662年の津波の時は,神社内に植えられているガジュマルの樹が潮をかぶったと言われている.野島神社付近での1662年津波は,神社の標高と同程度か少し高いところまで来たと推測される.また1662年の地震時には野島には集落が存在し,伝承によるとこの集落の間を通る道路を越えて津波がやってきたとされている.海岸線とほぼ平行に走る道路は,標高約5-9 mに位置し,それより内陸の集落は約1-1.5 mの石垣の上に存在する.野島周辺では過去に津波が襲来したため,現在まで津波対策として,石垣を積みその上に家を建てるようになったそうだ.野島での1662年津波は,道路の標高に石垣の高さを加算した程度の高さまで来たと推測される.
1662年日向灘地震による津波の,野島での浸水範囲を復元するため,過去の海岸地形推定が必要となる.津波の数値計算に用いるため,まず国土地理院による基盤地図情報(数値標高モデル),日本水路協会による海底地形デジタルデータM7000シリーズ,現地調査の測量結果等を用いて現在の地形データを作成した.次に漁港,防波堤,突堤などの人工構造物を取り除き,国土地理院による明治時代の測量結果を用いた旧版地図等を参考にして,1662年津波襲来当時の海岸線や島の形等を推定した.
野島にて推定した過去の地形を用いて,1662年日向灘地震の断層モデル(Ioki et al., 2023)を使用し,津波の浸水計算を行った.その結果,計算された津波は,野島周辺では標高約8 m地点まで浸水範囲がおよぶことがわかった.野島での1662年の津波が来たと推測される位置や高さとおおよそ一致することから,この断層モデルで1662年日向灘地震の野島における津波を説明することができた.また同時代に,波源も比較的近い場所で発生した津波の浸水範囲の把握のため,1707年宝永地震の津波との比較を行った.先行研究による1707年宝永地震の断層モデル(Furumura et al., 2011)を使用し,津波の浸水計算を行った結果,野島での計算浸水範囲は標高約3 m地点まで到達し,1662年津波の計算浸水範囲より小さいことがわかった.
