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[S10-08]On the three historical earthquakes in 1070, 1096 and 1177 which shook down the great bell of the Todaiji Temple

*Katsuhiko ISHIBASHI1 (1. Emeritus Prof., Kobe Univ.)
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1.はじめに
奈良市・東大寺の梵鐘(鐘楼とともに国宝)は,天平勝宝四年(752)に鋳造されたと推定されている巨鐘だが,以下の3つの地震で落下したことが記録されている:延久二年十月二十一日(ユリウス暦1070.11.26),嘉保三年十一月二十四日(同1096.12.11),治承元年十月二十八日(同1177.11.20).落下した原因は釣り具の老朽度なども関係したかもしれないが,1096年嘉保地震の場合は,これが南海トラフ巨大地震と考えられているので(例えば,石橋,2014,『南海トラフ巨大地震』岩波書店),長時間続いた長周期地震動による共振現象に起因した可能性が高いと考えてよいだろう.
いっぽう宇佐美・他(2013)『日本被害地震総覧 599-2012』は,1070年延久地震の震央を135.8°E,34.8°N(京都府井手町西端,東大寺鐘楼まで約13km.京都駅まで約21km),Mを6.0〜6.5,1177年治承地震の震央を135.8°E,34.7°N(奈良市佐紀町,同前約4kmと約32km),Mを6.0〜6.5と推定し,『理科年表』の「日本付近のおもな被害地震年代表」(纐纈,2024)もこれらを踏襲している.しかし,震央距離4〜13kmのM6.5程度の地震による強震動は短周期で振動継続時間10秒以下だろうから,一般的に巨鐘が揺れ落ちることは考えにくい(当時の鐘の釣り方はよくわからないが).本発表では,1070年延久地震と1177年治承地震の震央とMを再考する.なお,以下の地震記事は「[古代・中世]地震・噴火史料データベース(β版)」(最終更新日2025.2.17)所収のものを訓み下した(原文はすべて漢文).

2.1070年延久地震
編年体史書の『百錬抄』が「大地震,東大寺の鐘の鈕切り落つ」,同じ『扶桑略記』が「半夜,地震動,洛中の家々の築垣往々頽落す,東大寺□鐘震え零つ,諸國の寺塔間以って壞損す」と記す.『扶桑略記』の「諸國」がどこかわからないが,京都以外に複数の国々の寺などにも被害があったとみられるので,『総覧』の震央・Mは不適当だと考えられる.京都や東大寺からはかなり離れた地域のM7クラスの大地震であり(『扶桑略記』に「二十三日、時々また震う」とある),東大寺での振動継続時間は長かったと推定される.天台密教の僧・承澄(1205-82)撰の『諸法要略抄』(密教の諸種の加持祈祷の故実書)に,「四天王合行法(中略)後三條院の御宇,延久二年十一月二十一日,丑尅地震數尅に及ぶ,山洛恐怖せざるはなし(後略)」とあるが,『百錬抄』と『扶桑略記』には十一月二十一日丑尅の地震記事はないので,この記事が本地震のことかもしれない(十月を十一月と誤記したとすれば).真偽は不明だが,「地震数尅に及ぶ」が興味深い(「尅(刻)」は約15ないし30分;石橋,2023a,地震ii,76,55-61).なお,両書とも地震記事は二十日条だが,「半夜」(子の刻から丑の刻まで)とあるので,発震は二十一日0〜2時頃と考える.

3.1177年治承地震
同時代史料の『玉葉』が「東大寺の大鐘振い落とされおわんぬ」,『百錬抄』が「大鐘の釣切れて大地に落つ」と記す.ほかに,大仏の螺髪(頭部のボツボツ)が落ちたり,宝物庫の一部が損壊したりした.同時代史料の『顕広王記』が「一刻の間大動せしむる也、いまだかくの如き振を見ず」と記し,同じ『仲資王記』が「家の動くこと慥かに尺余を以ってす也」と記すから,京都では長周期の地震動が長時間続いて家屋がゆっくり大きく揺れたと推定される.震央距離30余kmのM6.5程度の地震でそのような地震動が生ずるとは考えられないから,『総覧』の推定は不適切で,かなり遠方のM7以上の大地震だったと判断してよいだろう.東大寺における地震動も長周期・長時間で,梵鐘は共振を生じて釣り具が損傷して落下したと推測される.なお,『総覧』は本地震を二十七日丑刻(2時前後)とするが,4つの同時代史料(上記以外に『愚昧記』)の日時の記述から二十八日1〜3時頃と判断される(石橋,2023b,地震ii,76,195-218).

4.結 論
東大寺の大鐘を揺り落とした1096年嘉保地震は南海トラフ巨大地震であり,長周期・長時間の地震動による共振現象で鐘が落下した可能性が考えられる.1070年延久地震と1177年治承地震は,M6.0〜6.5の東大寺付近の地震という『総覧』『理科年表』の表示は不適切であり,奈良や京都から遠いM7クラス(以上)の大地震と推定される.長周期・長時間の地震動が東大寺大鐘を共振させて落下させた可能性がある.なお,現在の東大寺鐘楼は1206〜10年ころに再建されたものであり,さらに延応元年(1239)に梵鐘が落下して釣り手金具を新調したという(奈良六大寺大観刊行会編,1970,『東大寺一』岩波書店).3回の地震以外の南海トラフ巨大地震などで東大寺大鐘落下が生じなかったのは,様々な条件とともに釣り方の変化などが関係しているのかもしれない.