講演情報

[SY3-8特別発言]【肛門科診療の昨日・今日・明日】~こだわり・工夫の変遷、そして今後~

瀧上 隆夫, 嶋村 ヒロシ, 根津 真司, 鈴木 健夫, 谷浦 允厚, 神尾 翼, 桑田 起雄, 垂水 研一, 竹馬 彰 (チクバ外科・胃腸科・肛門科病院)
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肛門科の歴史は浅くはないが、昔は“肛門疾患はお尻の谷間ではなく、医療の谷間にあった”と聞く。
当院は、恩師である故竹馬浩が、昭和47年に肛門科を専門とした病床数19床の医院として倉敷市の郊外に開設し、現在病床数60床、常勤医8名、肛門手術数約1,100例/年、大腸手術数約110例/年、大腸内視鏡検査約6,500例/年の大腸肛門病の専門病院である。竹馬は岡山大学第一外科の出身で、当時日本大腸肛門病学会総会に大腸疾患の演題発表を行った際、その場で肛門疾患の演題を拝聴し、岡山大学の当時の肛門診療の遅れを目の当たりにした。そこから当時の社会保険中央病院(現 山手メディカルセンター)の故隅越幸男先生の門を叩き、「これからは大腸癌の時代がやってくる。大腸を診ようと思えば、肛門を知ることが大切である」と決意し、肛門科を看板に掲げ開業した。その後竹馬は数多くの肛門疾患の診察、手術を手掛け、見学者や弟子も多く増えていったが、肛門手術に関しては、誰に対しても手の内を隠さず、全てを教授し門戸を広く開放した。
演者は、昭和49年に師 竹馬に痔瘻を手術して頂き、それが縁で昭和53年大学卒業以来、約半世紀に亘って当院で働いている。竹馬の「大腸疾患、肛門疾患の、下部消化管を専門とする病院をつくる」という理念通り、演者にニューヨークの故 新谷弘実先生のもとへ大腸内視鏡検査の研修、ロンドン、セントマークス病院へ肛門診療の研修で留学させた。その後、医院から病院へと前述の業績を上げる病院へと成長させた。
肛門診療も変化している。診断においては”肛門指診“を凌駕するものはないと、演者も豪語していた時代から今や、肛門エコー、MRI無くしては肛門手術は出来ない、という時代になりつつある。痔瘻手術も基本である開放術式で何ら問題はない、原発口の処理を行わない痔瘻の手術はあり得ないという時代から、肛門括約筋温存術式の普及、原発口に触れない肛門管上皮温存術式へと時代も変遷している。
今回のシンポジウムでは、演者が長年、肛門科一筋に携わった歴史を省みて、今後肛門科は生き残れるかについて述べてみたい。