実行委員長挨拶

日本放射化学会第68回討論会(2024)開催にあたって


日本放射化学会第68回討論会(2024)

実行委員長 

静岡大学理学部附属放射科学教育研究推進センター 准教授 矢永 誠人
 


この度、日本放射化学会第68回討論会(2024)を静岡で開催させていただくことになりました。期間は2024年9月23日(月)~25日(水)の3日間を予定しております。

 これまでの討論会の記録をたどってみますと、静岡大学がこの討論会のお世話をさせていただくのは今回が5回目になります。一度目は、塩川孝信先生が世話人として開催された1959年の第3回討論会で、その後、神原富尚先生(1976年、第20回)、長谷川圀彦先生(1994年、第38回)、奥野健二先生(2007年、第51回)が世話人・実行委員長となり、開催されました。いずれも、1958年4月に設置された静岡大学文理学部附属放射化学研究施設(現:理学部附属放射科学教育研究推進センター)の先生方です。

 静岡大学におけるラジオアイソト-プの利用及び放射化学に関する研究は、アメリカからラジオアイソトープが日本に提供された翌年、1951年に始まっております。その後、1954年1月に静岡大学放射性同位元素研究会が設けられ、当時の所在地であった静岡市大岩地区の理科館の一部にラジオアイソトープ実験室が設置され、共同利用に供されておりましたところ、同年3月1日にビキニ事件が発生しました。

 ビキニ事件とは、アメリカが太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験で飛散した「死の灰」により、焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が放射線障害を受けた事件です。アメリカが設定していた危険水域の外にいたにもかかわらず被ばくした第五福竜丸は、アメリカに捕えられるのを恐れて一切打電することなく一目散に焼津に引返しました。3月14日に帰港できましたが、その間に船員に急性放射線障害の症状が現われていました。翌15日に症状の重い2人が東大病院に入院し、16日に新聞報道がなされると日本中が大騒ぎになりました。また、汚染されたマグロの一部が出荷されたことも判明し、「原爆マグロ」の行方を追う報道なども人々を不安に陥れました。そのような中、科学者として最初に船に乗り込み、その汚染状況の調査、処理に当たったのが塩川孝信先生のグループでした。

 塩川先生は、船体、船員、船員が持ち帰ったもの、船員の自宅、市場、マグロを運んだトラック、そして、次々と南方から帰港してくるマグロ漁船の魚など様々なものや場所の汚染を調査しては除染していかれました。さらに、静岡県や焼津市への助言だけではなく、マスコミへの対応、市民からの相談にも応じていました。この間、様々な調査団が焼津に乗り込み、それぞれが勝手な発表を行ったために、地元は混乱し、不安が助長されておりました。静岡県は、塩川先生のグループの指示のみを取り入れ、他は信用しないという態度をとりました。塩川先生は、そのような状況の中で灰の分析に取り組み、4月末には約20核種を同定しました。その際、大いに参考となったのが、マンハッタンプロジェクトの研究記録であるCoryell, Sugarman編、”Nucl. Energy, Ser. Radiochem. Studies of Fission Products” 1~3(1951)とのことです。そして、ベータ線のエネルギー決定には木村健二郎先生から譲り受けたAl吸収板セットが役立ち、また、アメリカのKunin博士より贈られたイオン交換樹脂を利用することによりY-88、Ce-144、Pr-144などが初めて分析できたとのことです。このような塩川先生の先駆的な取り組みが発端となって、静岡大学に地方大学として例を見ない文理学部附属放射化学研究施設が設置されることになりました。

 もとより塩川先生は、「死の灰」の分析をするために静岡大学に着任されたわけではありませんし、ましてや当時の研究室の研究予算の数分の一をかけてまで上記の書籍を購入していたわけでも、イオン交換樹脂の利用を考えたわけでもありません。純粋に分析化学者として、RIを利用した研究を行いたいと思っておられたからです。先生の研究に対する真摯な姿勢、そして人々への誠実な対応など、学ぶべきことが多いと思います。

 日本放射化学会は、このような研究者が集って設立された学会です。現在では、それぞれの研究対象は多岐にわたっておりますが、それ故に様々な角度から物事を捉えることができるのではないかと思います。より多くの方々に静岡に集っていただき、学際的な研究交流の場、活発な議論の場にしていただきたくお願い申し上げる次第です。皆様のお越しをお待ちしております。

 

実行委員会委員長 矢永 誠人
(静岡大学理学部附属放射科学教育研究推進センター)