Presentation Information
[G6-O-5]Paleovegetation change in the midstream area of the Shimada River, Southeast Yamaguchi prefecture, Southwest Japan, 2nd – Pollen analysis results and Historical materials-
*Masami WATANABE1,2, Naohiko TABATA3 (1. Archaeological Research Consultant, Inc., 2. Estuary Research Center, Shimane Univ., 3. Arcaeological Museum, Yamaguchi Univ.)
Keywords:
Pollen Analyse,Paleovegetation,Historical materials,Yamaguchi pref.,The midstream area of the Shimada River
はじめに
山口県南東部、周南市を流れる島田川中流域右岸(北岸)の丘陵上には、弥生時代中期~終末期の高地性集落跡である石光遺跡、天王遺跡、追迫遺跡、岡山遺跡が分布する(谷口編,1988など)。一昨年の口頭発表では、追迫遺跡,天王遺跡と岡山遺跡の間(安田地区)の低地で採取したボーリング試料を対象とした花粉分析及び14C年代測定結果について報告し、高地性集落の眼下に広がる沖積平野と生業の場について考察するとともに、弥生時代以降の古植生変遷について発表した。
本年は、江戸時代の文献資料に記された農産物、及び発掘調査により検出された弥生時代の種実化石(荒木(1953)、宇都宮(1987))と、花粉分析結果(検出された花粉化石)との比較を行い両時期での植物利用(農産物)について述べる。
調査地点・調査方法
図1にボーリング地点と遺跡の関係、及び各地点のボーリング柱状図を示す。SKY-1、2の2地点で機械ボーリングを用いた、トリプルサンプラーによるオールコアサンプルを実施した。また、全ての採取試料は文化財調査コンサルタント(株)の試験室に持ち帰り、トリプルサンプラーから抜き取り、観察後、試料の粒度によって1cm~5cmの厚さで分割を行った。その後、試料観察を基に図1の柱状図を作成した。SKY-1では地表下4mまでの試料を採取したが、表層を除きほとんどが砂礫層であった。一方、SKY-2では地表下2.3m付近まで腐植に富む砂質粘土~シルトが分布し、下位に礫混じり粘土~中粒砂層が続いた。SKY-2の採取試料の観察結果を基に、SKY-2について花粉分析(渡辺;2010による)を実施した。また、一昨年の発表時に圃場整備の影響と捉えていた上部の地層について、年代測定層準の錯誤が判明し、年代測定値に齟齬がないことが分かった。このことから今回の発表では、上部の地層は埋土ではなく、堆積物であると判断した。
花粉分析結果から推定される森林植生と低地での栽培活動
花粉分析結果から、Ⅰ~Ⅴ帯の5局地花粉帯を設定し、更にⅠ帯をa~c亜帯、Ⅲ帯をa、b亜帯に細分した。年代測定結果から、Ⅲ帯b亜帯が弥生時代、Ⅰ帯が江戸時代に相当すると考えられる。
Ⅲ帯b亜帯、Ⅰ帯で推定される古植生の概要を以下に示す。
Ⅲ帯b亜帯ではアカガシ亜属やコナラ亜属、クリ属は減少傾向にあり、分布域の縮小が示唆される。同時期に丘陵上では開発が始まり、集落が展開されるようになることから、開発に伴う伐採が行われた可能性がある。また、コナラ亜属やクリ属は二次林要素であるが、建築部材として多用されており(伊東・山田,2012)、選択的に伐採された可能性がある。低地ではイネを含むイネ科(40ミクロン以上)や、水田雑草を多く含むイネ科(40ミクロン未満)、カヤツリグサ科が急増するほか、オモダカ属、ウナギツカミ節-サナエタデ節、キカシグサ属などの水田雑草を含むタクサが散見されるようになり、低率であるが栽培植物であるソバ属も検出される。
Ⅰ帯では丘陵上での照葉樹林の伐採が進み、薪炭林としてのアカマツ林が拡大していったと考えられる。一方、薪炭林の構成種であるコナラ類の割合は徐々に減少している。薪・炭としてのアカマツとナラ類の用途の違いからコナラ類の伐採が進んだ可能性が指摘できる。また谷筋に生育していたスギも伐採から逃れ、照葉樹林伐採地の湿潤な場所で分布域を広げた可能性もある。特にb亜帯ではスギが急激に分布域を広げる。a亜帯では丘陵上の照葉樹林が縮小を続ける一方で、アカマツ薪炭林が拡大あるいは平衡状態にあったと考えられる。また、スギ林は伐採され、縮小したと考えられる。低地では水田が広がる反面、水田雑草も多く生育していた。また畑では、ソバやソラマメ、アカザ(あるいはヒユ)、葉菜、根菜類が栽培されていたと考えられる。
謝辞
本研究を進めるに際し、ボーリング用地の御提供を頂いた地権者、耕作者の方々、ボーリング作業を実施していただいた株式会社宇部建設コンサルタント、試料の分割・整理、データ整理、図面作成など本研究の多くの部分に協力いただいた文化財調査コンサルタント株式会社 平佐直子氏、以上の方々に厚くお礼申し上げます。 また、本研究には日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(C) 課題番号20K01074(代表者 田畑直彦)を利用した。
引用文献
荒木(1953)『島田川 周防島田川流域の遺跡調査研究報告』,129-133,宇都宮(1987)『岡山遺跡』,101-107,谷口哲一編(1988)『天王遺跡』,渡辺正巳(2010)『必携考古資料の自然科学調査法』,174-177.,
山口県南東部、周南市を流れる島田川中流域右岸(北岸)の丘陵上には、弥生時代中期~終末期の高地性集落跡である石光遺跡、天王遺跡、追迫遺跡、岡山遺跡が分布する(谷口編,1988など)。一昨年の口頭発表では、追迫遺跡,天王遺跡と岡山遺跡の間(安田地区)の低地で採取したボーリング試料を対象とした花粉分析及び14C年代測定結果について報告し、高地性集落の眼下に広がる沖積平野と生業の場について考察するとともに、弥生時代以降の古植生変遷について発表した。
本年は、江戸時代の文献資料に記された農産物、及び発掘調査により検出された弥生時代の種実化石(荒木(1953)、宇都宮(1987))と、花粉分析結果(検出された花粉化石)との比較を行い両時期での植物利用(農産物)について述べる。
調査地点・調査方法
図1にボーリング地点と遺跡の関係、及び各地点のボーリング柱状図を示す。SKY-1、2の2地点で機械ボーリングを用いた、トリプルサンプラーによるオールコアサンプルを実施した。また、全ての採取試料は文化財調査コンサルタント(株)の試験室に持ち帰り、トリプルサンプラーから抜き取り、観察後、試料の粒度によって1cm~5cmの厚さで分割を行った。その後、試料観察を基に図1の柱状図を作成した。SKY-1では地表下4mまでの試料を採取したが、表層を除きほとんどが砂礫層であった。一方、SKY-2では地表下2.3m付近まで腐植に富む砂質粘土~シルトが分布し、下位に礫混じり粘土~中粒砂層が続いた。SKY-2の採取試料の観察結果を基に、SKY-2について花粉分析(渡辺;2010による)を実施した。また、一昨年の発表時に圃場整備の影響と捉えていた上部の地層について、年代測定層準の錯誤が判明し、年代測定値に齟齬がないことが分かった。このことから今回の発表では、上部の地層は埋土ではなく、堆積物であると判断した。
花粉分析結果から推定される森林植生と低地での栽培活動
花粉分析結果から、Ⅰ~Ⅴ帯の5局地花粉帯を設定し、更にⅠ帯をa~c亜帯、Ⅲ帯をa、b亜帯に細分した。年代測定結果から、Ⅲ帯b亜帯が弥生時代、Ⅰ帯が江戸時代に相当すると考えられる。
Ⅲ帯b亜帯、Ⅰ帯で推定される古植生の概要を以下に示す。
Ⅲ帯b亜帯ではアカガシ亜属やコナラ亜属、クリ属は減少傾向にあり、分布域の縮小が示唆される。同時期に丘陵上では開発が始まり、集落が展開されるようになることから、開発に伴う伐採が行われた可能性がある。また、コナラ亜属やクリ属は二次林要素であるが、建築部材として多用されており(伊東・山田,2012)、選択的に伐採された可能性がある。低地ではイネを含むイネ科(40ミクロン以上)や、水田雑草を多く含むイネ科(40ミクロン未満)、カヤツリグサ科が急増するほか、オモダカ属、ウナギツカミ節-サナエタデ節、キカシグサ属などの水田雑草を含むタクサが散見されるようになり、低率であるが栽培植物であるソバ属も検出される。
Ⅰ帯では丘陵上での照葉樹林の伐採が進み、薪炭林としてのアカマツ林が拡大していったと考えられる。一方、薪炭林の構成種であるコナラ類の割合は徐々に減少している。薪・炭としてのアカマツとナラ類の用途の違いからコナラ類の伐採が進んだ可能性が指摘できる。また谷筋に生育していたスギも伐採から逃れ、照葉樹林伐採地の湿潤な場所で分布域を広げた可能性もある。特にb亜帯ではスギが急激に分布域を広げる。a亜帯では丘陵上の照葉樹林が縮小を続ける一方で、アカマツ薪炭林が拡大あるいは平衡状態にあったと考えられる。また、スギ林は伐採され、縮小したと考えられる。低地では水田が広がる反面、水田雑草も多く生育していた。また畑では、ソバやソラマメ、アカザ(あるいはヒユ)、葉菜、根菜類が栽培されていたと考えられる。
謝辞
本研究を進めるに際し、ボーリング用地の御提供を頂いた地権者、耕作者の方々、ボーリング作業を実施していただいた株式会社宇部建設コンサルタント、試料の分割・整理、データ整理、図面作成など本研究の多くの部分に協力いただいた文化財調査コンサルタント株式会社 平佐直子氏、以上の方々に厚くお礼申し上げます。 また、本研究には日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(C) 課題番号20K01074(代表者 田畑直彦)を利用した。
引用文献
荒木(1953)『島田川 周防島田川流域の遺跡調査研究報告』,129-133,宇都宮(1987)『岡山遺跡』,101-107,谷口哲一編(1988)『天王遺跡』,渡辺正巳(2010)『必携考古資料の自然科学調査法』,174-177.,
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