Presentation Information
[T14-O-4](Invited) background environment for Satoyama and Satoumi landscape of Noto Peninsula considering from the earthquake in 2024
*Tatsuto AOKI1 (1. Faculty of Regional Development Studies, Kanazawa University)
【ハイライト講演】2024年の能登半島地震は大きな被害をもたらしましたが,その一方で地盤の隆起や地すべりといった地学現象は,長い年月をかけて能登の里山里海の景観や暮らし,産業の基盤を形づくってきました.本講演では,能登半島地震を「災害」として捉えるだけでなく,地学的時間軸の中で,地域の自然・文化を育んできた視点から紹介していただく. ※ハイライト講演とは...
Keywords:
The 2024 Noto Peninsula Earthquake,uplift,land slide,Satoyama-Satoumi landscape,Geopark
能登半島北岸の海底活断層(南傾斜の逆断層)を震源として2024年1月1日に発生した能登半島地震(M7.6,最大震度7)では,石川県能登地方を中心に,災害関連死492人を含む722人の死者・行方不明者,3万棟を超える全半壊の住家被害が生じた.
能登半島北岸の広い範囲では,断層活動に伴って最大4mを超える地盤隆起が生じ,海岸部では海底が露出して新たな海成段丘が生じた.海岸の隆起は港湾の干出を引き起こし,発災直後に海路を用いた人命救助や物資搬送に大きな障害となっただけでなく,基盤産業である漁業の復旧・復興の阻害要因となっている.発災から2年半以上が経過した現在でも,復旧のめどが立っていない漁港が数多い.能登半島の広い範囲に海成段丘が分布していることは古くから指摘されており(たとえば,太田・平川 1979など),能登半島が第四紀を通じた長期にわたって隆起を継続してきた土地であることを示している.令和6年能登半島地震も,繰り返し発生して能登半島を形成してきた一連の地震の最新の一回と位置付けることができる.
能登半島の隆起とそれにともなって形成された海成段丘の存在は,能登の伝統的な産業や生活にとって,基盤的な環境となっている.能登の伝統産業として有名な輪島塗は,その製造工程において「地の粉」という珪藻土を蒸し焼きして生成した粉末と漆を混ぜて木地に塗って下地としている.この工程は輪島塗と名乗る上での要件となっている.また,珠洲では珪藻土を用いた切り出し七輪の生産が行われているほか,揚浜式塩田(後述)での製塩に用いるかまどの材料としても用いられてきた.能登半島の珪藻土は,およそ1500万年前の日本海の形成に伴って海底に堆積した珪藻を含む珪質粘土層である.日本海形成期の正断層群が,およそ300万年以降に日本列島が圧縮場に転換したことに伴うインバージョンテクトニクスによって逆断層に転じ,隆起することによって陸化したことで,現在では陸上で採掘可能となっている.すなわち,能登半島地震のような地震が繰り返してきたことが,これらの産業の基盤を生じさせてきたことになる.また隆起によって形成された海成段丘では能登の伝統的産業の一つである揚げ浜塩田による製塩が行われてきた.潮位差の小さな日本海側ででは,干満差を用いて塩田に海水を引き込む入浜式塩田ではなく,人力で塩田に海水を運搬する揚浜式塩田で製塩が行われてきた.この方式の塩田では,できるだけ海岸線に近接することと,波浪の影響を受けないことの両立が求められる,地震隆起によって生じた最低位段丘はこの条件を満たすことから,1958年の臨時塩業措置法施行までは,能登半島北岸の海岸に沿って最低位段丘を利用した塩田が広く分布していた.また,高位の海成段丘は農業に用いられている.能登半島の農作物の中には,粘土質土壌である「赤土」からなる圃場で生産されたことを特徴としてアピールされているものが複数ある.この「赤土」は過去の温暖期を経ることによって形成されてきた古赤色土であり,傾斜の緩やかな海成段丘上で土壌層が第四紀を通じて流失を免れてきたことによって形成されてきた.
令和6年能登半島地震に伴って生じた地学現象として,隆起の他に特筆すべきものとして地すべり・崩壊を挙げることができる.能登半島の北岸部は地すべりの密集地帯であり,能登半島地震時にも多くの地すべりが活動した.それに伴って,各所で道路網が寸断して多くの集落が孤立したことで,住民の広域二次避難が必要となり,多くの災害関連死が生じた遠因ともなっている.一方で,地すべりは傾斜の緩やかな地形面と水源を生じさせることで,農地の基盤環境となってきた.代表的な場所が「能登の里山里海」のシンボルでもある輪島市の「白米千枚田」である.半島内でも隆起速度が速く起伏が大きな北岸において,耕作地となる平坦面は限定的な分布となっていた.こうした地域にあって,地すべりによって提供される平坦面は重要な耕作地として活用されてきた.一方で,離散的なで小規模な地すべり地の分布に依拠して集落が成立することから集落の分布も離散的となり,高度経済成長期以降の過疎高齢化や,能登半島地震時の孤立集落の多発にもつながっている.
令和6年能登半島地震に伴う地学現象は,短期的には「自然災害」として認識される現象である一方,長期的には能登の里山里海の基盤環境を形成し,能登の産業・文化を支えてきた.震災復興の施策の一つとして,震災遺構を用いたツーリズムが進められているが,能登半島地震を「災害」として捉えるだけでなく,地学的時間軸の中で能登の環境を形成してきたプロセスとして理解していくことも意識している.県としてもジオパーク化も視野に入れた取り組みを行っているところである.
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