Presentation Information
[J-P-9]Discovery of Specimens Used in *The Illustrated Color Guide to Japanese Minerals (1936)*
*Musashi High School *1 (1. Musashi High School)
研究者氏名:村上凛太朗
1922年開校の旧制武蔵高等学校の流れをくむ武蔵高等学校中学校(東京都練馬区)には,動植物標本や岩石鉱物・化石標本,模型や掛図など多数の博物学標本が残っている。本校に限らず,古くに創立した学校には多数の標本が残っていることがあるが,展示以外に活用されることは少なく,場所を取ること・管理が大変なことなどから,校舎の立て直しなどで,廃棄・移管されることも少なくない。廃棄されることの背景には,標本目録や台帳などがないため「どんなものがあるか分からない」,あるいは場所を取る上に,使用することもなく「どう扱っていいのか分からない」ということがある。私たちは,まず「どんなものがあるか分からないこと」を解決するために,ナンバリングとラベル起こしや簡易同定に基づく台帳作成や,写真を撮ってカタログを作り,整理をしている。その過程で,収蔵されている鉱物標本の中に,1936年に松邑三松堂から出版された和田八重造・粟津秀幸共著の『原色日本鉱物図譜』の図版と一致する標本を数点見つけることができた。
岩石鉱物標本は,学校の標本室,地学実験室,地学準備室,廊下に保管・陳列されている。今回,地学実験室と廊下に展示されている標本を対象に,55標本のナンバリングを行い,同時に写真撮影を行った。鉱物の名前を調べるために手元にあった図鑑でみたところ,ある標本が『原色日本鉱物図譜(1936年)』の図版12に掲載されている写真と良く似ているものがあることに気付いた。その標本は「異極鉱」で,形と大きさ,模様が酷似しており,図鑑に使われた標本であることが分かった。この標本にはラベルが欠けていたが,図鑑に基づくと岐阜県吉城群神岡銅山産であることが確認できた。そのほか,図版10に掲載されている赤鉄鉱や褐鉄鉱(高師小僧)なども一致した。それらの標本にはラベルがあり,いずれも岩本鉱物販売所のもので,購入標本とみられた。一方,岩本鉱物のラベルがついているものの図鑑と対応しない標本もあった(孔雀石など)。
『原色日本鉱物図譜』は,旧制浦和高等学校地質鉱物学教室で講師を務めていた和田八重造(1870-1961)と粟津秀幸(1886-1945)の共著である。和田八重造は,旧制浦和高校と同時期に旧制武蔵高校でも講師として勤務しており,図鑑が出版された1936年当時も,旧制武蔵高校に在勤中であった(武蔵学園記念室調べ)。そのため,和田が個人所有していた標本が,武蔵高校にそのまま残されていた可能性がある。今回見つかった図鑑使用標本の,標本本体や標本ケース,ラベルには,図鑑と結びつけるような記述はなく,図鑑で使用された標本ということは,標本そのものから知ることはできず,今回の発見は全くの偶然といえる。
『原色日本鉱物図譜』の序には坪井誠太郎が記しており,当時流行しはじめたフルカラー写真の原色図鑑で,鉱物の美麗な色彩が表現されている。56図版で,240標本あまりが掲載されている。掲載されている写真のうち,いくつの標本が残っているのかは,調査中である。『原色日本鉱物図譜』に使われた標本の一部は,共著である粟津の標本が残っている埼玉県立自然の博物館(埼玉県秩父郡)でもみつかっており(楡井・田口,2009),今後関連を調べたい。
本研究により,学校に無造作に陳列・保管されていた鉱物標本の由来が特定でき,学校の歴史と関係する標本であること明らかになった。そのため,標本を恒久的に保管するに足る意義付けができたといえる。また,当時の旧制高等学校で実物を教材として使い学んでいたことも間接的に裏付けることができた。今後は,『原色日本鉱物図譜』の図鑑としての評価に加え,図鑑で使用された標本が見つかったことがどんな価値があるのか,考えていきたい。
参考文献
楡井・田口,2009.ニュースレター瀞,9:2-3.
キーワード
旧制高等学校,鉱物標本,図鑑使用標本,戦前,和田八重造
1922年開校の旧制武蔵高等学校の流れをくむ武蔵高等学校中学校(東京都練馬区)には,動植物標本や岩石鉱物・化石標本,模型や掛図など多数の博物学標本が残っている。本校に限らず,古くに創立した学校には多数の標本が残っていることがあるが,展示以外に活用されることは少なく,場所を取ること・管理が大変なことなどから,校舎の立て直しなどで,廃棄・移管されることも少なくない。廃棄されることの背景には,標本目録や台帳などがないため「どんなものがあるか分からない」,あるいは場所を取る上に,使用することもなく「どう扱っていいのか分からない」ということがある。私たちは,まず「どんなものがあるか分からないこと」を解決するために,ナンバリングとラベル起こしや簡易同定に基づく台帳作成や,写真を撮ってカタログを作り,整理をしている。その過程で,収蔵されている鉱物標本の中に,1936年に松邑三松堂から出版された和田八重造・粟津秀幸共著の『原色日本鉱物図譜』の図版と一致する標本を数点見つけることができた。
岩石鉱物標本は,学校の標本室,地学実験室,地学準備室,廊下に保管・陳列されている。今回,地学実験室と廊下に展示されている標本を対象に,55標本のナンバリングを行い,同時に写真撮影を行った。鉱物の名前を調べるために手元にあった図鑑でみたところ,ある標本が『原色日本鉱物図譜(1936年)』の図版12に掲載されている写真と良く似ているものがあることに気付いた。その標本は「異極鉱」で,形と大きさ,模様が酷似しており,図鑑に使われた標本であることが分かった。この標本にはラベルが欠けていたが,図鑑に基づくと岐阜県吉城群神岡銅山産であることが確認できた。そのほか,図版10に掲載されている赤鉄鉱や褐鉄鉱(高師小僧)なども一致した。それらの標本にはラベルがあり,いずれも岩本鉱物販売所のもので,購入標本とみられた。一方,岩本鉱物のラベルがついているものの図鑑と対応しない標本もあった(孔雀石など)。
『原色日本鉱物図譜』は,旧制浦和高等学校地質鉱物学教室で講師を務めていた和田八重造(1870-1961)と粟津秀幸(1886-1945)の共著である。和田八重造は,旧制浦和高校と同時期に旧制武蔵高校でも講師として勤務しており,図鑑が出版された1936年当時も,旧制武蔵高校に在勤中であった(武蔵学園記念室調べ)。そのため,和田が個人所有していた標本が,武蔵高校にそのまま残されていた可能性がある。今回見つかった図鑑使用標本の,標本本体や標本ケース,ラベルには,図鑑と結びつけるような記述はなく,図鑑で使用された標本ということは,標本そのものから知ることはできず,今回の発見は全くの偶然といえる。
『原色日本鉱物図譜』の序には坪井誠太郎が記しており,当時流行しはじめたフルカラー写真の原色図鑑で,鉱物の美麗な色彩が表現されている。56図版で,240標本あまりが掲載されている。掲載されている写真のうち,いくつの標本が残っているのかは,調査中である。『原色日本鉱物図譜』に使われた標本の一部は,共著である粟津の標本が残っている埼玉県立自然の博物館(埼玉県秩父郡)でもみつかっており(楡井・田口,2009),今後関連を調べたい。
本研究により,学校に無造作に陳列・保管されていた鉱物標本の由来が特定でき,学校の歴史と関係する標本であること明らかになった。そのため,標本を恒久的に保管するに足る意義付けができたといえる。また,当時の旧制高等学校で実物を教材として使い学んでいたことも間接的に裏付けることができた。今後は,『原色日本鉱物図譜』の図鑑としての評価に加え,図鑑で使用された標本が見つかったことがどんな価値があるのか,考えていきたい。
参考文献
楡井・田口,2009.ニュースレター瀞,9:2-3.
キーワード
旧制高等学校,鉱物標本,図鑑使用標本,戦前,和田八重造
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