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[スポーツ文化-B-05]身体を基盤にした他者了解の考察(哲)共通感覚論を手がかりに

*Yuta Ikeda1 (1. Tsukuba Univ.)
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現在、体育・スポーツにおいて、人種やジェンダー、障がいといった多様性への理解が求められている。多様性の尊重を目標とするオリンピック・パラリンピック教育や、インクルーシブ体育による他者理解の実践などがその例といえよう。他者理解には、その人の個性を知識として理解するだけでなく、個性を含めた個人として了解すること、換言すれば、思考による他者の存在の理性的な理解だけでなく、体験による他者の実在の感覚的・感性的な了解が必要とされる。他者理解の取り組みが、体育・スポーツの領域で実施される利点は、この了解にあるといえるだろう。では、そのような了解はいかにして行われるのだろうか。
 カントは、「他のあらゆるひとの立場に自分を置き換える」能力を「共通感覚」と呼ぶ。彼は共通感覚を、思考以前の感覚、人としての「コモンセンス(一般常識)」として捉える。他方で、「共通感覚」という概念を「五感に共通の感覚」と解する系譜も存在する。例えばアリストテレスは、共通感覚を、五感をメタ的に感覚する、すなわち、感覚を感覚する能力であるとする。しかし二つの系譜は、互いに対立するものではない。自己の感覚を感覚する能力は、次第に個体を越えて、他者の感覚を感覚する際の基盤となる。これにより、人はコモンセンスを習得し、他者の実在を感覚的・感性的に了解できるのである。
 感覚にせよ感情にせよ、感性的なものは身体との関係において考えられる。文化や価値観が異なっていても、他者の身振りや声の抑揚から他者の感覚や感情を了解することができるのは、それが身体というあらゆる人に共通の基盤から生起するからである。自己の身体感覚やそれに伴う感情の反省は、めぐりめぐって他者の了解につながる。したがって、多様な他者の了解には、知識や観察による理性的な理解にとどまらず、共通の基盤である身体感覚やそれに伴う感情を反省的に感覚することが必要であると考える。

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