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[学校保健体育-A-01]「教養」教育としての大学体育(哲)
*Hiraku MORITA1, Koji TAKAHASHI TAKAHASHI2, Yamato SATO3, Sanae NAKAJIMA4, Misaki TOEDA5, Kyoko KODANI6, Kazuhiko KAWABATA7, Kazuhiko Amano8, Takayuki HATA9 (1. Osaka University of Health and Sport Sciences, 2. Nagasaki University, 3. Chiba Institute of Technology, 4. Kyoritsu Women's Junior College, 5. Japan Women's University, 6. Tezukayama Gakuin University, 7. Kwansei Gakuin University, 8. Tsukuba University of Technology, 9. Tokai Gakuen University)
教養教育としての大学体育とは何か。多くの実践は、体育が大学教育にふさわしいとされるために、教養教育課程のなかに独自の科目として位置づくことをめざしてきた。例えば、健康、生涯スポーツへの動機づけ、体力向上、協調性、コミュニケーション、運動技能、チームワーク、リーダーシップ、社会人基礎力育成などである。しかし、これらは大学の体育である必要はない。また、他の活動でも獲得可能なものである。大学設置基準の大綱化まで定められていた「一般教育科目」と「専門教育科目」、さらに「人文・社会・自然・外国語・保健体育科目」という科目区分が撤廃されて30年以上がたつ。わざわざ教養教育課程に限定する必要はない。体育は、身体が対象である特徴を活かすなら、さまざま研究分野と学際的な連結を見出すことが可能である。これこそ体育(身体教育)から「教養」をつくりだす可能性である。体育はさまざまな研究分野と関係するので、教養教育課程に限定する必要はなく、専門教育課程とも連携可能である。理論と実践の関係を考察したり、個人の行動が環境や他者に影響を与えることを対象にしたりなど、専門教育で学んだ知識が体育(身体活動)を通して違った新しい形で見えてくる可能性があり、そのような実践が授業でなされるならば、体育はすべての専門に必要な科目として、大学の上級科目として位置づけられる可能性がある。タイトルで「教養」を強調したのは、本来の意味での「教養」、すなわち「人間とは何か、世界はどうあるべきか」、自己を普遍的な文化の担い手としての人格に高めることを視野に入れるためである。これを考慮するなら、この「教養」教育は、専門教育と並列して考えるべきであり、場合によっては専門教育よりも上位に位置づくべきものであろう。この意味での大学体育の追求もなされるべきであろう。
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