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[学校保健体育-A-04]いかに〈特殊体育〉は確立したのか?(史,ア,社)1970年代以降における肢体不自由児への教育実践をめぐる機関誌の分析から

*Kei Hiraga1 (1. University of Tsukuba, Graduate School of Comprehensive Human Sciences)
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本研究は、1970〜80年代に専門領域としての〈特殊体育〉がいかに確立したのかについて、肢体不自由児への教育実践をめぐる機関誌の分析から明らかにする。障害児をめぐる日本の教育システムは戦後に制度化が進み、1979年養護学校義務教育化は従来就学が猶予・免除されていた重度脳性麻痺児の学校への参加を可能にした。また、1971年学習指導要領改訂時、これまで一教科であった「体育・機能訓練」が、領域「養護・訓練」と教科「体育」に分化した。こうして肢体不自由児への体育は、通常教育の体育に接近していった。では、この時期に養護学校で新たに示された教科「体育」を〈特殊体育〉と位置付けると、指導者はその領域に自らの専門性をどのように見出したのだろうか。
 そこで、1970〜80年代における史料①『学校体育』、『新体育』、『体育の科学』、『体育科教育』、『女子体育』、史料②『肢体不自由教育』を分析対象とし、障害児の身体運動(養護・訓練や体育)に関する言及を収集した。特に「肢体不自由児」に言及している論考の一覧化を行い、特集や連載の組み方、著者とその所属について分析を試みた。
 史料①では、肢体不自由児の提示のされ方として、(1)体育の時に問題があるカテゴリーをテーマとして特集が組まれ、その一事例として肢体不自由児が取り上げられるという通常教育との本質的同一性の方向性と、(2)特殊学校での実践や障害児への指導を前傾化して特集が組まれる障害への専門的対応の方向性とが存在した。史料②では、通常教育と肢体不自由児教育の根本は同様だという主張がなされ、体育独自の目標である運動機能の維持向上や技能の習得、社会性の育成や情緒的な発達が目指された。一方、「準ずる」教科として体育の目標を据えつつ実践を成立させるための工夫として、実態の把握やルール・用具の改変、グループ編成がなされ、これらが障害への専門的対応として示された。

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