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[01史-口-08]レイディーズホッケーアソシエ-ション設立(1895年)以前のイングランドにおける女性ホッケークラブによる1886年アソシエーションゲームの受容ロイヤルホロウェイカレッジホッケークラブの活動の検討から

*Shinobu Akimoto1 (1. Kobe Univ.)
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イングランドの女性たちが1895年に設立したホッケーの統括組織、レイディーズホッケーアソシエ-ション(以下LHA)は、設立と同時に、男性のゲームの統括組織であるホッケーアソシエーション(1886年設立)が制定したゲーム、すなわち1886年アソシエーションゲームを一部変更したものを統一ルールとして採用した。本研究では、LHA設立以前に女性のホッケークラブが1886年アソシエーションゲームをいかに受容していたのかについて、LHA設立メンバーでもあったロイヤルホロウェイカレッジ(以下RHC)のホッケークラブの活動に焦点を当て検討した。RHC学事報、RHCホッケークラブ議事録を主要史料とした。RHCの学生たちは、遅くとも1890年1月にはクラブ内ゲームを30名のメンバーで開始した。以降、テニスとクリケットクラブの活発な活動が学時報に記される一方、ホッケークラブにも同様な傾向が見られ、1894/95年のシーズン開始時までにホッケークラブのメンバーは60名を超え、活動日が増加し、対外試合が盛んに実施されるようになった。1892/93年の終わりに、RHCに対し、オックスフォード大学サマヴィルホールから対戦申し入れがあった。この対戦は実現しなかったが、対外試合を経験していなかったRHCは、この申し入れを契機として1886年アソシエーションゲームの受容を意識するようになった。翌1893/94年には、対外試合が実施可能となるよう、1886年アソシエーションゲームのルールブックが購入され、それが厳守されるようになり、ルールに適合するスラゼンジャーのスティックが導入された。RHCにおける1886年アソシエーションゲームは、ホッケークラブの活動の活発化を背景とし、おそらく先行してそのゲームを受け入れていたクラブとの対戦を通して、1893/94年以降、LHAの設立に先立ち受容されていたと言える。

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