Presentation Information
[12人-口-08]日本ラグビーはどのようにアマチュアリズムを解釈したのかオープン化の動向に着目して
*Ryo Imaizumi1 (1. Graduate School of Education. Ibaraki Univ)
(目的)
ラグビーは、1871年にRFUが設立されて以来、多くの人々に楽しまれてきたフットボールの1つである。特に、他のフットボールに比べてアマチュアリズムを長年堅持し続けたスポーツとして認識されている。
しかし、近年、国際的なラグビー統括団体である国際ラグビーボードによって、1995年にプロを容認するオープン化が宣言され、多くの国がプロラグビーの道を歩みだした。しかしこの時、オープン化に対して日本ラグビーフットボール協会は反対し、オープン化したのは2001年であったことから、海外の強豪国と比べて遅れていたことが知られている。
なぜ、日本ラグビーはオープン化に出遅れたのか。それはプロを排除するアマチュアリズムにあると考えられる。そこで、本研究では日本ラグビー発展の経緯を調査し、日本ラグビーが生み出した独自のアマチュアリズムの解釈について明らかにする。
(結果)
海外の選手たちは、クラブチーム主体であるため試合や遠征のたびに仕事を休む必要があった。特にワールドカップが始まってから国同士の競争は激化し、試合や合宿のために仕事を休むことが増え、選手たちの生活に対する影響は増していった。海外の選手にとってオープン化はこうした問題を解消する意味もあったと考えられる。
しかし、日本は企業が母体のチームであるため、選手たちの練習環境、生活、仕事とそれに伴う給与は企業によって保障されていた。この状況は海外から見ればもはやプロであり、日本のラグビー選手たちにとって試合による報酬が出ないことは、海外の選手たちに比べて大した問題ではなかったのだ。
(考察)
日本ラグビーがオープン化以前掲げたアマチュアリズムというのは、実業団の部活動でありながら、スポーツによる利益の追求を批判し、クリーンな態度でスポーツに臨むことだと考えられる。
ラグビーは、1871年にRFUが設立されて以来、多くの人々に楽しまれてきたフットボールの1つである。特に、他のフットボールに比べてアマチュアリズムを長年堅持し続けたスポーツとして認識されている。
しかし、近年、国際的なラグビー統括団体である国際ラグビーボードによって、1995年にプロを容認するオープン化が宣言され、多くの国がプロラグビーの道を歩みだした。しかしこの時、オープン化に対して日本ラグビーフットボール協会は反対し、オープン化したのは2001年であったことから、海外の強豪国と比べて遅れていたことが知られている。
なぜ、日本ラグビーはオープン化に出遅れたのか。それはプロを排除するアマチュアリズムにあると考えられる。そこで、本研究では日本ラグビー発展の経緯を調査し、日本ラグビーが生み出した独自のアマチュアリズムの解釈について明らかにする。
(結果)
海外の選手たちは、クラブチーム主体であるため試合や遠征のたびに仕事を休む必要があった。特にワールドカップが始まってから国同士の競争は激化し、試合や合宿のために仕事を休むことが増え、選手たちの生活に対する影響は増していった。海外の選手にとってオープン化はこうした問題を解消する意味もあったと考えられる。
しかし、日本は企業が母体のチームであるため、選手たちの練習環境、生活、仕事とそれに伴う給与は企業によって保障されていた。この状況は海外から見ればもはやプロであり、日本のラグビー選手たちにとって試合による報酬が出ないことは、海外の選手たちに比べて大した問題ではなかったのだ。
(考察)
日本ラグビーがオープン化以前掲げたアマチュアリズムというのは、実業団の部活動でありながら、スポーツによる利益の追求を批判し、クリーンな態度でスポーツに臨むことだと考えられる。
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