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[12人-口-10]スポーツと儀礼的均衡に関する試論沖縄闘牛における勝負と面目をめぐる回復過程の検討

*Kohei Kogiso1 (1. Kyushu University)
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たとえ遊びだとしても、多くの場合において勝者と敗者が明瞭なる結果として現れるのがスポーツである。そして、あらゆるスポーツの区別なく、その勝負に賭けられているのは面目に代表されるような自尊心や名誉といった象徴的な意味の報酬であり、単なる経済的報酬だけではないこともはっきりしている。
 本研究は、沖縄の闘牛を事例にして勝負に賭けられる面目がどのように生成・維持・回復されるのかについて検討する。特に注目するのが、面目の危機つまり勝負に負けた側の回復過程である。闘牛大会の晩、牛主関係者たちは飲み会を開くことが一般的である。勝てば祝勝会であり、負ければ反省会である。これを私たちが日常的に行う宴会ないし打ち上げと言ってしまえばそれまでだが、ここにミクロな社会実践を切り出してみることも可能である。その一つが「面目」をめぐる様々な相互行為の諸相である。
 コミュニケーションにおける面目の役割とその維持や回復の重要性を指摘したのは社会学者のゴッフマン(Erving Goffman)である。その著書『儀礼としての相互行為』は、コミュニケーションが常に面目の危機を孕んでおり、私たちは多かれ少なかれ日々の中で自己や他人の面目の維持や回復に関与しているということに気づかせてくれる(Goffman1967)。翻って、これをスポーツ、とりわけ競争的なそれに引き寄せてみた時、私たちはどんな方法で面目をめぐる社会的相互行為に参与しているのだろうか。 
 本発表ではゴッフマンの議論を糸口としながら、まず沖縄闘牛における面目を介した人間関係とそこで生じる様々な相互行為の次元を分析していく。次に沖縄闘牛とその勝負によって生じる面目の危機とその再秩序化の過程を、やはりゴッフマンの言葉である「儀礼的均衡」という枠組みから考察する。その上で、スポーツ一般における勝負の後の面目の維持と回復の重要性について多角的に明らかにする。

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