講演情報

[O04-01]十勝岳ジオパークと農業★招待講演

*富島 千晴1 (1.十勝岳ジオパーク推進協議会)

キーワード:

ジオパーク、火砕流堆積、農業

北海道の中央部に位置し,美瑛町と上富良野町の2町で構成されている十勝岳ジオパークにとって,両町にまたがり拡がる“波状丘陵”と呼ばれる大規模な波打つ丘は,一つのシンボルとなっている.この丘の正体は,約200万〜80万年前に発生したカルデラ噴火により噴出した火砕流堆積物(十勝火砕流,美瑛火砕流など)と考えられている(池田・向山, 1983; 西来ほか, 2017).その大部分は農地に活用され,地域住民の生活を支える農業基盤となっている.また,当地域では連作障害を防ぐため,同じ土地で種類の異なる作物を数年単位の計画的な順序で栽培する輪作をおこなっており,区画分けされた農地ごとに様々な農作物が丘を彩ることから,その景観は“パッチワークの丘”とも呼ばれ国内外問わず観光客にも親しまれている.
また一方で,200万年という長い年月の経過により周氷河作用の影響を受けてなだらかになってはいるものの,波状丘陵の傾斜は非常に激しく,農家を悩ませる大きな要因となっている.例えば,上富良野町にある“ジェットコースターの路”と名付けられた直線的に伸びる一本道は約4kmにわたり起伏が激しく,その高低差は最大で約60m以上にも及ぶ.これは,その周囲に広がる畑の勾配の激しさを表しているとも言えるだろう.
このように,太古の火山活動により形成された広大かつ急勾配な土地において,およそ140年前,美瑛町には兵庫県から,上富良野町には三重県から入植団体が入り最初の鍬が入れられた.そして入植から約40年経った1926年5月24日,当地域は火山災害の悲劇に見舞われた.日々噴気を上げる活火山,十勝岳が噴火したのだった.この時発生した火山性泥流は死者・行方不明者合わせて144名の犠牲者を出し,さらにその影響は農地にまで広がった.長い年月をかけて開墾し豊かにした土壌に,硫黄という猛毒が混ざってしまったのだった.特に被害の酷かった上富良野町から,別の地域へと移り住む選択肢もあった中,当地域の人々は開墾時に加えてもう一度客土するなど,農作物を育てる土地へと蘇らすため再び汗を流し,活火山と共生することを決して諦めず現在へと繋いできた.近年では,広大な土地を効率的に作業を進めるため,自動化されたトラクターを活用するなど,様々な農業用機械を駆使して両町のブランド農作物を全国へ出荷している.