講演情報
[O05-01]伝承をどうとらえるか-「袂石」と「さざれ石」★招待講演
*先山 徹1 (1.NPO法人地球年代学ネットワーク 地球史研究所)
キーワード:
石灰質角礫岩、土石流、君が代、礫岩、成長する石
地域に残る伝承・民俗文化には地球科学的現象や災害と密接に関わるものがあり,その関係を議論する分野に地球神話学がある.地域の伝承の中には過去の地質的現象や当時の自然観がもととなって生まれる場合がある.一方で伝承を安易に信じることは,間違った情報や疑似科学を生み出すことにもなる.この両者の事例として袂石(たもといし)とさざれ石について述べる.「君が代」の歌詞「さざれ石の巌となりて」の部分について,前者は「小さな石が大きく成長した」と解釈した例,後者は「小さな石が集まって大きくなった」と解釈した事例でもある.
兵庫県の六甲山地北麓の有馬地域には袂石と呼ばれる巨岩がある.この近くには仏座岩とよばれる巨岩がある.この地域は過去に幾度も土石流に襲われたところである.仏座岩は19世紀の土砂災害時の堆積物に覆われ,袂石はその上位に位置することから,19世紀以降の土石流によって運ばれたものと考えられる.この巨岩には温泉神社の神が着物の袂からとりだして投げた小石が,時とともに大きくなったという伝説がある.小石が大きく成長することはあり得ないが,上流から運ばれて突然現れた巨岩を目にした人々の間でこのような伝説が生まれたとしても不思議ではない.このような伝承には当時の人々の自然観が映し出されている.
一方,各地の神社を訪れると“さざれ石”と呼ばれる岩石が置かれていることがある。その多くは岐阜県揖斐川町の春日地域で産出した石灰質角礫岩である.春日地域にはこの石灰岩礫が集合している産状を見て詠んだ和歌が現在の君が代の歌詞になったという伝承がある.その真偽は不明であるが(鈴木,2003;鴨井,2023),この伝承に着目した地元の郷土史家などが1962年以降,これを“さざれ石”と称して各地の神社などに寄贈したことによって全国に広まった.現在,インターネット上では各地のさざれ石に関する情報があふれている.そこで設置してある看板の写真などから,175の神社などについて,寄進された年代や説明文の内容を検討した.そのうち寄進された年代がわかるもの93個について,寄進が始まった1962年から1999年までの42個は全て石灰質角礫岩であったが,2000年~2026年の53個のうち22個が別の岩石であった.他地域の岩石で最も多いのは京都府舞鶴市にある採石場で得られた舞鶴帯の三畳系円礫岩である.ほかに南部北上帯の二畳系礫岩やグリーンタフ活動に伴う新第三系礫岩などさまざまで,近年では礫岩全般をさざれ石と呼ぶ風潮がある.またそれに伴って,異なる岩石であるにもかかわらず石灰質角礫岩について書かれた文章がそのまま適用された解説文や,地質学的に明らかな間違った解説文などが増加している.さらに当初の解説文には無かった「霊力」や「御利益」などの文言が記されるようになってきている.
小石が集まって礫岩になることは地質学的に確立されている現象である.しかし伝承を事実と捉え,石灰質角礫岩をあてはめて作られた“さざれ石”のストーリーは多くの間違いや混乱を生み出した.一方の袂石にあるような小石の成長は科学的にあり得ない.しかし当時の自然観を考えると、かつて多くの人が石は成長するものと考えていたとしても不思議ではない.地域に残る伝説はそこで暮らしてきた人々の体験や自然観が物語として現れたものである。伝承や伝説に対して地質学を単にあてはめることではなく,それらが生まれた背景を地質学的に探ることが大切であろう.
柳田(1977)は袂石のように時とともに大きくなる岩石の伝説は全国各地に分布し,その伝承をもたらした意識が「君が代」の歌詞につながったとしている.しかしそれらの地球神話学的検討はほとんどなされていない.また現在では存在しないものも多い.これらの伝承を洗い出し,その地質学的背景を探ることが必要である.
文献
鴨井幸彦(2023)「君が代」の一節「さざれ石のいわおとなりて」の地質学的解釈について.地学教育と科学運動,90,71-74.
鈴木博之(2003)「さざれ石」の由来と地質学的考察.地球科学,57,246-252.
柳田国男(1977)『日本の伝説』.新潮文庫,東京,185p.
兵庫県の六甲山地北麓の有馬地域には袂石と呼ばれる巨岩がある.この近くには仏座岩とよばれる巨岩がある.この地域は過去に幾度も土石流に襲われたところである.仏座岩は19世紀の土砂災害時の堆積物に覆われ,袂石はその上位に位置することから,19世紀以降の土石流によって運ばれたものと考えられる.この巨岩には温泉神社の神が着物の袂からとりだして投げた小石が,時とともに大きくなったという伝説がある.小石が大きく成長することはあり得ないが,上流から運ばれて突然現れた巨岩を目にした人々の間でこのような伝説が生まれたとしても不思議ではない.このような伝承には当時の人々の自然観が映し出されている.
一方,各地の神社を訪れると“さざれ石”と呼ばれる岩石が置かれていることがある。その多くは岐阜県揖斐川町の春日地域で産出した石灰質角礫岩である.春日地域にはこの石灰岩礫が集合している産状を見て詠んだ和歌が現在の君が代の歌詞になったという伝承がある.その真偽は不明であるが(鈴木,2003;鴨井,2023),この伝承に着目した地元の郷土史家などが1962年以降,これを“さざれ石”と称して各地の神社などに寄贈したことによって全国に広まった.現在,インターネット上では各地のさざれ石に関する情報があふれている.そこで設置してある看板の写真などから,175の神社などについて,寄進された年代や説明文の内容を検討した.そのうち寄進された年代がわかるもの93個について,寄進が始まった1962年から1999年までの42個は全て石灰質角礫岩であったが,2000年~2026年の53個のうち22個が別の岩石であった.他地域の岩石で最も多いのは京都府舞鶴市にある採石場で得られた舞鶴帯の三畳系円礫岩である.ほかに南部北上帯の二畳系礫岩やグリーンタフ活動に伴う新第三系礫岩などさまざまで,近年では礫岩全般をさざれ石と呼ぶ風潮がある.またそれに伴って,異なる岩石であるにもかかわらず石灰質角礫岩について書かれた文章がそのまま適用された解説文や,地質学的に明らかな間違った解説文などが増加している.さらに当初の解説文には無かった「霊力」や「御利益」などの文言が記されるようになってきている.
小石が集まって礫岩になることは地質学的に確立されている現象である.しかし伝承を事実と捉え,石灰質角礫岩をあてはめて作られた“さざれ石”のストーリーは多くの間違いや混乱を生み出した.一方の袂石にあるような小石の成長は科学的にあり得ない.しかし当時の自然観を考えると、かつて多くの人が石は成長するものと考えていたとしても不思議ではない.地域に残る伝説はそこで暮らしてきた人々の体験や自然観が物語として現れたものである。伝承や伝説に対して地質学を単にあてはめることではなく,それらが生まれた背景を地質学的に探ることが大切であろう.
柳田(1977)は袂石のように時とともに大きくなる岩石の伝説は全国各地に分布し,その伝承をもたらした意識が「君が代」の歌詞につながったとしている.しかしそれらの地球神話学的検討はほとんどなされていない.また現在では存在しないものも多い.これらの伝承を洗い出し,その地質学的背景を探ることが必要である.
文献
鴨井幸彦(2023)「君が代」の一節「さざれ石のいわおとなりて」の地質学的解釈について.地学教育と科学運動,90,71-74.
鈴木博之(2003)「さざれ石」の由来と地質学的考察.地球科学,57,246-252.
柳田国男(1977)『日本の伝説』.新潮文庫,東京,185p.
