講演情報

[O05-P07]奇跡の山 妙義山を見上げた人々★招待講演

*関谷 友彦1、片山 文恵2 (1.ジオパーク下仁田協議会、2.富岡市地域おこし協力隊)

キーワード:

ジオパーク、地形、伝承、山岳信仰

はじめに
妙義山は,長野‐群馬県境の碓氷峠と関東の平野部との境界に位置し,標高約200-300mの丘陵地に,屏風のようにそびえ立つ標高1000-1100mの岩山である.
これらの岩山は安中市,富岡市,下仁田町の3市町にまたがり,表妙義と呼ばれる石門群などの奇岩が見られる場所は,国の名勝地にも指定され,下仁田ジオパークのテーマ「太平洋と日本海を分けた古い火山地帯」の構成サイトにもなっている.(下仁田ジオパークWEBサイト)
妙義山は、際立つ岩山であるがゆえ、古くから信仰の対象、山林修行の地として、また創造活動の対象として人々の生活の一部とされており、伝説なども残されている。本発表では、妙義山を例に、古代からの山に対する自然観について紹介する。
 妙義山の成り立ち
妙義山塊を構成する妙義層は6~4Maに活動した中新世末~鮮新世初期の溶岩や火山砕屑岩からなる.妙義団体研究グループ(2020)によると妙義層は基盤と断層関係で接している.このことから,カルデラを伴う火山活動により,カルデラ盆地内部を妙義層が埋め,火山活動終了後には,カルデラの周辺の基盤の海成層がカルデラ内部よりはやい速度で浸食され、盆地内部の妙義層だけが取り残され岩山になったと考えられている.
 妙義に残る伝説
妙義山の山の中腹には奇妙な穴が残っており、「射ぬき穴」と呼ばれている。山の北側から百合若大臣という大男が,矢を放ち射抜き、射貫かれたは妙義山より西方10キロの下仁田町高立地区に突き刺さり「一本岩」という岩柱になり,そこから流れ出る川は矢川川(現:鏑川)と呼ばれている。後の岩石学的研究で、両者の石は異なるものとされたが、こうした伝説が現代まで残っていることが、人々の生活の中に妙義という山の存在が大きかったことが伺える。
 妙義山と人とのかかわり
 妙義山は、複数の山列からなり、その一つ白雲山の語源は、聳え立つ岩山で上昇気流が発生し、雲がかかりやすいことに由来する。そして、この稜線に雲がかかるとより神秘性が増し、伝説が生まれるのにふさわしい舞台となる。妙義より東方の安中市には、妙義山に日が沈むのを見て、妙義の先に天国があったと考え、山に頭を向けて埋葬したと考えられる縄文遺跡がある(安中市ふさるさと学習館,2009))。また、中世には親の仇をなすために、山に籠り修行し、仇討ち後この山で仏となる修行をした修験の山として、また江戸時代には、妙義詣という紀行文が出版され、幅広い大衆に信仰の山として知られてきた。
 信仰の山‐妙義‐
妙義山の麓富岡市旧妙義町では、現在妙義の山岳信仰を復活させようという動きがある。この地域の山岳信仰は、明治初めの廃仏棄釈により、その痕跡がほとんど残されていないが、近年、現地踏査の中で霊場と思われる場所が発見されたり、日本の山岳信仰の山の文献より妙義が修験の山であることが再確認されてきている。
片山(2024)によると、そもそも山岳信仰とは、自然と共生するための作法や知恵を習得する手段であり、毎日同じ山を歩く、山に向かって手を合わせるといった行為の中で人々は自ずと、自然のサイクルを理解し、自然とのバランスいい付き合い方を身に着けてきたとしている。
 まとめ
近年、様々な技術の進化により私たちは住みやすい暮らしができている一方で、自然との共生の意識が希薄化してしまっている。
下仁田ジオパークでは、地域に残る伝説や、山岳信仰の文化など、そしてそれらの背後にある地球の歴史も伝えつつ、自然と人のこれからについて多くの人に考えてもらえるきっかけとなる活動を展開していきたい。 

 文献
安中市ふさるさと学習館(2009)上毛三山 赤城・榛名妙義の歴史と信仰.1-111P.
片山文恵(2024)妙義山を中心とした山岳信仰のエコツーリズム的観光利用の展開と展望,群馬県立自然史博物館特別展『ぐんまの自然の「いま」を伝える 2024』講演要旨集,ポスター19.
妙義団体研究グループ(2020)群馬県西部の妙義山域における後期中新世火山層序と陥没構造.地球科学,74,1-21.
下仁田ジオパーク・ホームページ(https://www.shimonita-geopark.jp/ 2026年1月確認)