講演情報

[O10-04]地球観測データは音楽芸術のための”天然資源”となりうるか?ー弦楽四重奏第1番《極域エナジーバジェット》の残響★招待講演

*永井 裕人1 (1.立正大学 地球環境科学部)

キーワード:

可聴化、音楽、ERA5、MODIS

地球観測データを音へ変換する手法は可聴化、或いはソニフィケーションと呼ばれ、地球科学の芸術展開おいて新たな地平を開きつつある。音は時間軸上の表現であり、視覚表現とは異なる感覚経路を通じて、現象を直感的に知覚させる力を持つ。しかしこれまでの多くの試みは観測値を音高や音量へ機械的に対応付ける段階にとどまり、音楽作品への応用や鑑賞者に与える情動変化については十分に検討されてこなかった。地球観測物理量の忠実な写像はしばしば単調な音列もしくは単一な出力結果となり、情報は保持されながらも、聴取者の認知や感情に深く作用するには至らない。このことは、物理的忠実性と芸術表現との間の本質的な溝を示している。
  このような問題意識のもと作られたのが弦楽四重奏曲第1番《極域エナジーバジェット》である。本作品では、気候再解析データERA5-Land(放射、降水)および衛星センサMODISの高次プロダクト(地表面温度、雲光学的厚さ)について、北極・南極4地点における1985年以降の時系列変化が抽出され、MIDI形式へ変換された。そして音楽制作ソフトウェア(Digital Audio Workstation)で従来の作曲法を踏まえた意図的な加工により、6分の弦楽四重奏としてまとめられ、音楽家による演奏が録音された。
  制作・発表過程で明らかとなった第一の知見は、観測データに内在する「適度な不規則性」が、旋律に固有の生命感を与える点である。自然の変動は完全な規則性と完全な無秩序の間で表現される。地表面の各種放射量がもつ微妙な揺らぎは、人間が意図して作りにくい「意味のある不規則性」を無制限に作り出す。また不規則性の強度は物理量の選択によってコントロールできる。
  第二に、和声進行のような音の垂直構造は自然には現れにくく人為的に制御するしかない。むしろ同じ物理量で異なる地点から得られた旋律を並行させることで、独自の対位法的な構造が得られることが明らかとなった。
  第三に、演奏から得られる印象は使用された物理量の意味とは連動しない。例えば気温のデータを使ったからといって寒暖のイメージは得られず、それは作曲者が設定した音階・音域・テンポ・リズムなどに依存する。従来のソニフィケーションでは、データの純粋性を守るため、作曲者の介入は避けられてきた。しかし本研究では、旋律配置、時間構造、音色の選択において段階的にアレンジを許すことで、作曲者が意図したナラティブ(物語性)を作品に植え付けることができた。これは地球科学にまつわるストーリーテリングの手段として利用でき、聴衆に自然に受容され、学問への興味関心につながる鑑賞体験を提供できる。
  本作品は iScience 誌(Cell Press)での報告ののち、Nature、National Geographic、Forbes、さらには新聞、ラジオ、テレビ報道を通じて26カ国以上で紹介され、国際的な注目を集めた。その背景には、既存の楽器によって演奏される音楽として構成されたこと、そして自然由来の響きと人為的な旋律とを音楽芸術の語法を参照しながら対比し、結び合わせたことがある。人間の情緒のみならず地球システムの振る舞いをも音楽の源に取り込むものであり、音楽史への一石を投じる試みとも言えよう。
  さらに、音は図表とは異なり、受け手の感情に半ば強制的に働きかける。これは当事者意識を伴う科学アウトリーチの手段として新たな可能性を開く。同時に、本研究で構築した再現可能な変換手法は、地球観測データを科学の対象から芸術創作の源泉へと拡張する。科学者のみならずアーティストも地球科学データの利用者となる可能性を示す。本講演では、このような可聴化手法の意義と展開を論じ、地球観測データがもたらす新たな認識と表現の可能性を展望する。