講演情報
[O10-05]理解のためではない可視化・可聴化 — 世界に在るための表象★招待講演
*松浦 季恒
キーワード:
可視化、可聴化、表象、走査電子顕微鏡、脳波、アート・サイエンス
本発表では、作家であり音楽家でもある立場から、科学技術を用いた制作を通して立ち上がった主観的な感覚と思考を報告する。私は、科学技術を自然の理解のために用いるのではなく、自然を感じるため、そして世界と共に存在していると感じるための経路として用いてきた。本発表で扱う可視化と可聴化、そして表象は、自然を把握するための手段ではなく、世界と接触するための入口として位置づけられる。
私は研究者ではなく、制作を通して世界と関係を結び直すことを試みる作家である。したがって本発表は、客観的な結論や普遍的な理論を提示するものではなく、制作の過程で生じた感覚や思考の共有を目的とする。科学の可視化・可聴化とアートの表象を「不可視の世界に触れる方法」として並置し、その可能性を制作実践を通してひらく。
具体例として、《Withered Plant》と《深心》の二つの作品を紹介する。《Withered Plant》は、数ミリほどの枯れた植物片を走査電子顕微鏡(SEM)で観察・撮影し、取得画像を一次データとして記録・保存(アーカイブ)するとともに、その一次データをもとに写真作品を制作するライフワークである。私が見ようとしているのは、枯れた植物の「死」そのものではない。死の中に残された生命の痕跡や、次の循環へと移行していく気配である。肉眼ではすでに終わったものに見える存在が、顕微鏡という異なるスケールに置かれることで、別の表情をもって立ち上がってくる。
この作品には二つの循環がある。一つは、枯死と分解を経て物質が巡る、植物の物質的な循環である。もう一つは、私が生の途中で行った観察を記録し、DOIとして未来へ残す行為の循環である。内容は異なるが、いずれも未完のまま、次の状態へと渡されていく構造を共有している。
《深心》は、作家自身が計測した睡眠時脳波データを用い、音と光として表象した作品である。脳状態の意味を説明することは目的ではなく、深い眠りを示す指標が現れた区間を起点に、理解以前の層へと働きかける体験を構成している。意識がない私は世界を認識していないが、世界は存在している。私はいないが、私は存在している。このねじれを、説明ではなく体験として置くことで、世界の中に在るという感覚に触れようとしている。
とはいえ、可視化や可聴化、表象だけで世界との共鳴が自動的に生じるわけではない。何に触れているのかという手がかりがなければ、感覚は宙に浮いてしまう。私の表現において、科学的な説明は理解を目的とするものではなく、表象が向かう対象を共有するための手がかりとして必要となる。本発表では、世界と接触するための可視化・可聴化・表象のあり方について、二つの作品を通して提示する。
私は研究者ではなく、制作を通して世界と関係を結び直すことを試みる作家である。したがって本発表は、客観的な結論や普遍的な理論を提示するものではなく、制作の過程で生じた感覚や思考の共有を目的とする。科学の可視化・可聴化とアートの表象を「不可視の世界に触れる方法」として並置し、その可能性を制作実践を通してひらく。
具体例として、《Withered Plant》と《深心》の二つの作品を紹介する。《Withered Plant》は、数ミリほどの枯れた植物片を走査電子顕微鏡(SEM)で観察・撮影し、取得画像を一次データとして記録・保存(アーカイブ)するとともに、その一次データをもとに写真作品を制作するライフワークである。私が見ようとしているのは、枯れた植物の「死」そのものではない。死の中に残された生命の痕跡や、次の循環へと移行していく気配である。肉眼ではすでに終わったものに見える存在が、顕微鏡という異なるスケールに置かれることで、別の表情をもって立ち上がってくる。
この作品には二つの循環がある。一つは、枯死と分解を経て物質が巡る、植物の物質的な循環である。もう一つは、私が生の途中で行った観察を記録し、DOIとして未来へ残す行為の循環である。内容は異なるが、いずれも未完のまま、次の状態へと渡されていく構造を共有している。
《深心》は、作家自身が計測した睡眠時脳波データを用い、音と光として表象した作品である。脳状態の意味を説明することは目的ではなく、深い眠りを示す指標が現れた区間を起点に、理解以前の層へと働きかける体験を構成している。意識がない私は世界を認識していないが、世界は存在している。私はいないが、私は存在している。このねじれを、説明ではなく体験として置くことで、世界の中に在るという感覚に触れようとしている。
とはいえ、可視化や可聴化、表象だけで世界との共鳴が自動的に生じるわけではない。何に触れているのかという手がかりがなければ、感覚は宙に浮いてしまう。私の表現において、科学的な説明は理解を目的とするものではなく、表象が向かう対象を共有するための手がかりとして必要となる。本発表では、世界と接触するための可視化・可聴化・表象のあり方について、二つの作品を通して提示する。
