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[O12-P10]千葉県印西市に残る1923年関東地震の記録

*北原 楓梨1 (1. 栄東高等学校)

キーワード:

1923年関東地震、千葉県印西市に残る日記、地震

§1. はじめに
 著者が所属する理科研究部では、これまで埼玉県内の1923年(大正12年)9月1日に発生した大正関東地震の記録調査を行ってきた。著者は2025年3月理科研究部ホームページにおいて、大正関東地震について研究していることを知り、関東地震の研究を決めた。歴史地震研究は千葉県の未着手地域が多いということがわかり、著者の住まいがある、千葉県印西市に残る関東地震に関する記録を研究対象とした。

§2. 先行研究
 表1より、印西市の木下町(図1において(1)) 、大森町(図1において(2))における、大正関東地震による木造住家被害は、三大被災地の川口町、幸手町、粕壁町 (現在の川口市、幸手市、春日部市)と比較すると少なかったとされている(諸井・武村(2002))

§3. 印西市内の記録

3.1 印西市史 通史編4 近現代
 2024年に印西市教育委員会により発行された『印西市史 通史編4 近現代』より、家屋の倒壊、利根川の堤防の亀裂、煉瓦工場の全壊が読み取れた。また、大正関東地震後の自宅・近所の被害状況、復旧状況、東京方面からの避難者、在日朝鮮人の暴動デマについて永治村(図1において(2)) に住んでいた武藤氏の日記に記述してあったということが『印西市史 通史編4 近現代』に記されていた。

3.2 武藤為誠氏の日記
 『印西市史 通史編4 近現代』より、大正関東地震について記述のあった武藤為誠氏の日記を調査した。武藤氏は千葉県議員で、地域の人々とのお金のやり取りや家族のことがよく書かれていた。また、文頭に天気や風向、文末に華氏での気温が表記されていることが特徴である。

3.3 日記に記録されていた地震
 武藤氏の日記に記録されていた中の9月1日の日記の写真を図2に、日記に記録された地震を表2に記す。大正関東地震は午前11時58分32秒に発生したため、武藤氏の日記には誤差があると考えられる。

3.4 在日朝鮮人の暴動デマ
 熊谷市・本庄市・上里町・寄居町・深谷市等、埼玉県内であったことは(篠田・荒井(2022))より調査されており、印西市でも起きていたことがわかった。次のことが、1923年9月4日の日記に記述されていた。
「 9月4日,不逞朝鮮人警戒のために木下警察署より依頼され,消防組員徵集を区内2ヶ所に見張番を置き,加藤治方を事務所に充用した.このあとも1週間ほど当番制で見張りをしていた.」

3.5 日記に記録されていた被害
 日記には、次のようなことが記されていた。
・奥庭中央にある灯廊が転倒する
・茶壺、瓶、缶等が転落する
・時計が止まる
・泉水が溢れ出る
・鎮守の石塔廊が転落
・その他石碑が転落
 一つの家、またその周辺だけで、これほどの被害があったため、印西市でも大きな被害があったことが予測できる。また、「9月1日から3日にかけて,東京方面で火災,停電が発生した」と記されていた。東京方面で火災が見えたことから、火災の範囲が千葉県にも及んでいたことが考えられる。
 「約3630cmある地面に,3〜9cmくらいの亀裂 が入り,6〜9cmくらいが陥没する」とも記されていることから,液状化現象が起きていたと思われる。印西市における液状化ハザードマップ(図3)によると、武藤氏の住んでいた永治村(図1において(2))の液状化のしやすさは、やや高い、低い、極めて低いである。武藤氏の住んでいた正確な場所はわからないが、液状化が起こっていた可能性も考えられる。

§4. 今後の展望
 日記に記述されていた地震(表2)を宇佐美(2003)と比較して、どの地震であったか照らし合わせ、特定したい。第42回歴史地震研究会(豊岡大会)にて、政府からの言論統制という観点、日記に書かれていた被害状況から予想されるマグニチュードを物理的アプローチで研究してみるのはどうかと研究者の方々からご提案いただいた。併せて研究したい。

謝辞
 印西市木下交流の杜歴史センター(図1において(3))の職員の皆様、本校理科研究部員の沼野泰士氏には武藤為誠氏の日記調査にご協力いただいた。また、理科研究部卒業生(40期生)の上村勇輔氏、(42期生)の篠田海遥氏、理科研究部員の徳田光希氏には、たいへん有意義な助言を頂いた。記してお礼申し上げる。