講演情報

[O12-P16]「霊憲候簿」の気温観測と「弘前藩庁江戸日記」のクロスチェックによる江戸期の気温復元

*仲埜 実由菜1、*牧 優希1 (1. 池田学園池田中学・高等学校)

キーワード:

霊憲候簿、弘前藩庁日記、飢饉、マウンダー極小期

1.動機
人為的な影響が少なかった江戸時代の天候に興味を持ち、過去13年で11の古文書の天気記録をデータベースにして、江戸時代の天候を分析してきた。(Fig.1)
昨年、「霊憲候簿」(1839-1855)の存在を知った。「霊憲候簿」とは、天文学者の渋川景佑が江戸幕府の命で作成した17年間の天文観測記録であり、気温等の記録もある (Fig.1)。また、「弘前藩庁江戸日記」(以下、「江戸日記」)は弘前藩の藩邸(墨田区)における記録で、街の出来事も詳細に書かれた史料である。
2.目的
霊憲候簿にはオランダから入手した寒暖計による気温記録がある。この記録を使った気温の復元は先行研究にない。そこで、記録期間が重複する「江戸日記」とクロスチェックをして、ほぼ江戸時代全体の気温を明らかにする。(Fig.2)
3.方法
⑴天気は気象庁の「出現率の4分類」に近づけて、雪→雨→曇→晴と悪いほうの天気を優先して採用した。「晴」と「曇」が併記の日は、1日のうち、8.5割以上曇っていれば「曇」、8.5割未満であれば「晴」と、空間分布を時間分布に換算して判断した。
⑵和暦を西暦に変換しつつ、日々の天気概況をエクセルに入力した。
⑶霊憲候簿は気温(華氏)の表記に「弱、餘、強、半、半餘、半強」の7種類の接尾語が記されている。そこで、接尾語の解釈を揃えた。
4.データ処理
取得したデータは、霊憲候簿が17年間(5,788日)、江戸日記は201年間(52,554日)であった。1年の1/3の欠測のある年は1つのシーズンが欠けていると判断して集計から削除した。また、2月29日も削除した。
5.データと考察
⑴データ①と考察:霊憲候簿の気温補正 (Table1)。
ア.江戸時代は不定時法であるが、午正は現在の正午にあたる。東京気象台の日最高気温を一番多く記録した時間帯13:07~14:03の平均気温は31.5℃であった。また、午正を含む11:14~12:11の平均気温は31.6℃で日最高気温の差がないことから、観測した時間帯の補正はしなかった。(Fig.3)
イ.霊憲候簿の観測地点は1回移転しており、小石川は標高74m、移転先の九段坂は標高24mで、今の東京気象台の標高6mに揃えて気温減率で補正した。
ウ.華氏で記録された気温を摂氏に変換した。
1853年の夏は高温で、財城の研究を裏づける結果となった。
⑵データ②と考察:先行研究の再確認
平野は東京(1886-1908)の7月の1ヵ月間における晴天日数と平均日最高気温との間に、r=0.76 の正相関があると報告している。平野の研究は短期間だったので、1876-1950年の東京の平均日最高気温と晴天日数の相関を調べると0.68となった。(Fig.4)
⑶データ③と考察:霊憲候簿と江戸日記の7月の晴の出現率の関係
「霊憲候簿の晴の出現率」と「江戸日記の晴の出現率」の相関係数は0.83だった(Fig.5)。また、「霊憲候簿の晴の出現率」と「霊憲候簿の気温」よりも、「江戸日記の晴の出現率」と「霊憲候簿の気温」に、決定係数(R²=0.83)と強い正の相関があった。(Fig.6)
⑷データ④と考察:江戸日記を使った7月の午正の平均気温の復元
「江戸日記の晴の出現率」と「霊憲候簿の月平均気温」に強い相関がみられたことで、江戸日記を使って7月の午正の平均気温を復元した(Fig.7)。1668-1868年の午正の7月の月平均気温は27.2℃だった。
最高気温は近藤の研究で大旱魃とされる1693年の31.0℃だった。最低気温は天保の飢饉の一番被害が苛烈だった1836年の23.3℃だった。
太陽活動の減衰で寒冷化した、マウンダー極小期(1645-1715)の7月の午正の平均気温は28.2℃で、江戸時代の平均より1.0℃高かった。
山口は、「マウンダー極小期は奈良県の樹齢390年超のスギなどの樹木年輪酸素同位体組成の分析で、日本では湿潤、グリーンランドと北半球は寒冷」と報告している。
また、マウンダー極小期の中の4つの飢饉と気温低下年が対応する(Fig.8)。本校の昨年の研究、マウンダー極小期の飢饉年に降水出現率が上昇していたという結果と一致する(Fig.9)。
 
⑸データ⑤と考察:江戸日記を使った8月の午正の平均気温の復元
霊憲候簿の8月の気温と江戸日記の晴の出現率を比較し、1846年の晴の出現率を四分位範囲を利用して、外れ値と判定して除外すると、決定係数0.66となる。得られた回帰式で全期間を復元すると、7月と同様にマウンダー極小期の4つの飢饉で気温低下がみられ、史実と一致した。(Fig.10)
⑹データ⑥と考察:江戸日記を使った8月の午正の平均気温の復元
江戸日記の8月の午正の平均気温と気象台の8月の日最高平均気温の比較をした。江戸日記の日最高気温の8月の平均より、気象台観測以降の気温は2.8℃上がっていた。(Fig.11)
6.まとめ
霊憲候簿の測定精度を「気象台観測と同等」と仮定すると江戸時代の平均気温は7月27.2℃、8月27.8℃だった。7月の最高気温は大旱魃があったとされる1693年の31.0℃、天保の飢饉の1836年が最低気温23.3℃を記録し史実と一致した。
マウンダー極小期の7、8月の気温は、江戸日記の期間全体より高い傾向にあったが、気温低下の年と4つの飢饉の年が対応していた。
7.展望
「弘前藩庁江戸日記」は欠測年があったので、「榊原藩藩政日記」(1658-1878)や「江戸幕府日記」(1603-1868)と比較して気温の復元を試みる。