講演情報

[O12-P95]墨を磨る力が煤粒子径および書作品の色評価に与える影響

*山脇 慧悟1 (1. 福井県立若狭高等学校)

キーワード:

墨を磨る力、煤粒子径、官能評価

【背景と目的】
日本には多くの書に関する歴史的文化財が存在する。書道は現在、ユネスコ無形文化遺産への登録が検討されており、国を挙げた保護・継承の対象となっている。一方で、書作品における「色」や「質感」といった評価は、これまで書家や鑑賞者の経験に基づく主観的判断依存してきた。「なぜこの墨色なのか」「どうして良いと感じられるのか」といった問いに対し、物理的・定量的なデータは十分に示されていない。
本研究では、墨の生成過程における重要な操作条件のひとつである「墨を磨る力(磨墨力)」に着目し、磨墨力が煤粒子の大きさや分布にどのような影響を与えるのかを明らかにするとともに、それが書作品の色評価にどのように関係するのかを検討することを目的とする。これにより、書作品評価の物理的基盤の構築を試みる。
【手法と結果】
本研究では以下の3手法を用いた。
手法1では、墨を磨る力と煤粒子径の関係を調べた。3 Nおよび20 Nの2条件で墨を磨り、上皿ばかりを用いることで力を一定に制御した。さらに、墨を磨る回数、墨を磨るときの角度、墨を磨るときに使う水の量をそろえて実験を行った。磨った墨を1000分の1に希釈し電子顕微鏡で観察した。その結果、3 Nでは粒径が小さく比較的均一な煤粒子が観察されたのに対し、20 Nでは粒径が不均一で凝集体も多く確認された。これらの結果より、磨墨力が煤粒子径およびその均一性を左右する重要な物理因子であることが示された。
手法2では、磨墨力の異なる墨を用いて半紙上に書字し、半紙上の煤粒子分布を走査型電子顕微鏡で観察した。20 N、40 N、70 Nの3条件で磨った墨を用いたが、煤粒子と半紙繊維の明確な識別は困難であった。この要因として、煤粒子が半紙内部へ深く浸透していた可能性、および筆を介することで微細な粒子のみが半紙表面に付着した可能性が考えられた。
手法3では、磨墨力と色評価の関係を官能評価により検討した。1、5、10、20、40 Nの5条件で磨った墨を用い、楷書・ひらがな・行書の3書体、計15作品を作成し、32名を対象に評価を実施した。官能評価の内容は、①年齢②書道歴③書体ごとに1〜10点での点数評価④色を統一し最も良い作品の選択、の4つとした。作品を1~10点で評価した結果、全書体において磨墨強度の増加に伴い平均評価は上昇する傾向が確認された。
一方で、色を統一した条件で最良作品を選択させたところ、楷書では5 N、ひらがなおよび行書では10 Nが最多となり、点数評価とは必ずしも一致しなかった。
【考察】
手法2において煤粒子と繊維の識別が困難であったことは、墨液が紙の深部にまで浸透する性質を示唆しており、表面的な観察だけでなく断面解析などの必要性を示す重要な知見となった。官能評価の結果から、墨色は作品全体の印象に影響を与える一方で、形態的完成度や技術評価とは必ずしも一致しないことが示唆された。これは、色が作品評価に対して独立した要素として作用している可能性を示す。強い力で磨った墨は色が濃く、力強い印象を与えるため点数が高くなる傾向にあるが、作品としての調和や情緒を重視する場合には、5 Nや10 Nのような繊細な粒度を持つ墨色が好まれる可能性が考えられる。
【今後の展望】
今後は官能評価データ数を増やし統計的信頼性を高めるとともに、文化財資料との色比較を行い、特定の墨色を再現可能な磨墨条件の特定を目指す。
【謝辞】
電子顕微鏡と走査型顕微鏡の使用機会を提供していただいた福井県立大学山田和正先生、ならびに若越書道会会長岸本一筆氏をはじめ、官能評価アンケートにご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。
【参考文献】
アズサイエンス株式会社."走査型顕微鏡(SEM)とは?基本原理や特徴について解説".2023-7-24
和田彩・青井務(2008)『墨文字の墨色に関する研究』 −画像処理ソフトによる分析Ⅰ
山口静子『官能評価とは何か,そのあるべき姿』