講演情報
[U13-04]対話による科学と社会の橋渡し:哲学対話を実践例として
*KANG KIWON1 (1.大阪大学)
科学は人類史と軌を一にしながら、幾度も更新されてきた。天動説と地動説をめぐる論争から、冥王星の分類変更に至るまで、科学的知識は観測・議論・検証を通じて洗練され、よりよい説明へと差し替えられていく。この意味で科学は本質的に暫定的であり、将来の知が現在の知を修正しうるという不確実性を内包している。
それでも社会が科学を重視するのは、それが現時点で得られる最良の知であり、意思決定の基盤として最も信頼できる道具だからである。冥王星の分類変更が過去の知を無価値にしたわけではなく、当時の枠組みとして十分に機能していたのと同様に、科学は「絶対的真理」ではなくとも、反証やより良い説明が現れるまでの間、合理的に依拠しうる。問題は、この合理性が社会にそのまま共有されるとは限らない点にある。
専門的知識をもたない立場から見ると、科学はしばしば巨大なブラックボックスとして現れる。たとえば医療や環境をめぐる公共的論点では、一部に異なる見解が提示される場面もあり、一般の人々は「どの程度の不確実性を許容し、何を根拠として判断すべきか」を自力で評価しにくい。安直に多数決で結論を選ぶことは、必ずしも科学的態度とは言いがたい以上、判断の宙吊り(決定不能)が構造的に生じやすい。
ゆえに近年、研究者には社会への説明責任や対話への参加が強く求められている。しかし、研究が本務である以上、対話に投じられる時間と制度的資源には制約があり、実際には一方向的な知識伝達にとどまりがちである。結果として、ブラックボックスは維持され、納得に至るための問い自体が提示されないまま、科学との距離が固定されることがある。
本発表はこの問題意識にもとづき、科学をめぐる対話の別様の可能性として哲学対話の経験を報告する。サイエンスカフェのように講演や解説を中心とする形式と異なり、哲学対話は、参加者がその場で立ち上げた素朴な違和感や不安を起点に、概念の意味(例:安全、リスク、責任、納得、公平)を点検しながら問いを組み立てる。ここでは、専門家が先に「正しい問い」を提示するのではなく、生活の側から出てくる問いを手がかりに、何が前提化され、どこからが価値判断で、どの不確実性が争点なのかを可視化できる。
発表者は大阪府内で主にAIを主題とする哲学対話を約2年間継続的に実施してきた。本発表では、その実践から、(1) 市民の問いがどのような型をとって現れたか、(2) 専門家側が見落としやすい前提がどこにあったか、(3) 不確実性を解消すべき欠陥ではなく共有して判断する条件として扱うとき、科学への信頼がどのように語られ直すか、を整理して提示する。
結論として、科学への信頼は正しさへの「盲信」ではなく、不確実性の下での正当化手続きへの信頼として再構築されうる。哲学対話は、その手続きを市民の問いから立ち上げる実践として、科学の自律性・社会との調和を支える一つの方法論になり得ることを示したい。
それでも社会が科学を重視するのは、それが現時点で得られる最良の知であり、意思決定の基盤として最も信頼できる道具だからである。冥王星の分類変更が過去の知を無価値にしたわけではなく、当時の枠組みとして十分に機能していたのと同様に、科学は「絶対的真理」ではなくとも、反証やより良い説明が現れるまでの間、合理的に依拠しうる。問題は、この合理性が社会にそのまま共有されるとは限らない点にある。
専門的知識をもたない立場から見ると、科学はしばしば巨大なブラックボックスとして現れる。たとえば医療や環境をめぐる公共的論点では、一部に異なる見解が提示される場面もあり、一般の人々は「どの程度の不確実性を許容し、何を根拠として判断すべきか」を自力で評価しにくい。安直に多数決で結論を選ぶことは、必ずしも科学的態度とは言いがたい以上、判断の宙吊り(決定不能)が構造的に生じやすい。
ゆえに近年、研究者には社会への説明責任や対話への参加が強く求められている。しかし、研究が本務である以上、対話に投じられる時間と制度的資源には制約があり、実際には一方向的な知識伝達にとどまりがちである。結果として、ブラックボックスは維持され、納得に至るための問い自体が提示されないまま、科学との距離が固定されることがある。
本発表はこの問題意識にもとづき、科学をめぐる対話の別様の可能性として哲学対話の経験を報告する。サイエンスカフェのように講演や解説を中心とする形式と異なり、哲学対話は、参加者がその場で立ち上げた素朴な違和感や不安を起点に、概念の意味(例:安全、リスク、責任、納得、公平)を点検しながら問いを組み立てる。ここでは、専門家が先に「正しい問い」を提示するのではなく、生活の側から出てくる問いを手がかりに、何が前提化され、どこからが価値判断で、どの不確実性が争点なのかを可視化できる。
発表者は大阪府内で主にAIを主題とする哲学対話を約2年間継続的に実施してきた。本発表では、その実践から、(1) 市民の問いがどのような型をとって現れたか、(2) 専門家側が見落としやすい前提がどこにあったか、(3) 不確実性を解消すべき欠陥ではなく共有して判断する条件として扱うとき、科学への信頼がどのように語られ直すか、を整理して提示する。
結論として、科学への信頼は正しさへの「盲信」ではなく、不確実性の下での正当化手続きへの信頼として再構築されうる。哲学対話は、その手続きを市民の問いから立ち上げる実践として、科学の自律性・社会との調和を支える一つの方法論になり得ることを示したい。
