講演情報
[EL3-1]医療機器学という研究を再考する
西村 ユミ (東京都立大学健康福祉学部看護学科/人間健康科学研究科 看護科学域)
医療従事者は日常的に多様な医療機器に接している.私は,フィールドワークという調査手法で急性期病院の調査を続けているが,まず,病棟に入ると,看護師や医師の声とともに,患者の心臓のリズムがモニタ心電図を介して聞こえてくる.多様な音の中にいても,アラーム音にはすぐに注意が向く.モニタ心電図のアラーム音,点滴のアラーム音などなど,特に注意が必要な音は,多くの音の中から際立って聞こえ,すぐに応じられる.まるで医療機器と様々なスタイルで対話をしているようである.
対話というと,人と人との間で行われることと思うかもしれない.が,超音波診断装置やX線撮影装置なども,患者の身体の状態を見えるようにしている機器であり,私たちは機器をとおして患者の身体と対話をする.
私は,医療従事者があたり前におこなっていることの意味を,現象学という哲学を手がかりに探究している.あたり前なことには気づきにくく言語化も難しい.だからこそそれを探究し,言語化することを進めてきた.例えば,植物状態患者と呼ばれる遷延性意識障害患者との身体を介した交流である.そもそも意識障害患者との交流が可能なのか,と思われるかもれない.しかし,やり取りの詳細を分析すると,そこでは〈身体〉の水準での応答が起こっている.ナースコールが鳴った覚えがないことに気づき,すぐさま患者の状態を確認する看護師の実践も解明した.看護師は音のみに応答しているのではなく,病棟全体を展望しつつ,ナースコールを押す患者への応答という習慣を身体化しているために,音の不在をも把握できる.そして,それがリスク管理にもつながっている.
このように見てくると,私たちの医療実践には,様々な疑問やまだ気づいていないことがある.
多様な医療機器との対話もそうである.実践を充実させるために必要なことは,見ているけれども自覚できていないことに気づくこと,ではないだろうか.既存の者の見方を転換し,その気づきを疑問へと発展させることで,研究が身近な営みになることを期待したい.
対話というと,人と人との間で行われることと思うかもしれない.が,超音波診断装置やX線撮影装置なども,患者の身体の状態を見えるようにしている機器であり,私たちは機器をとおして患者の身体と対話をする.
私は,医療従事者があたり前におこなっていることの意味を,現象学という哲学を手がかりに探究している.あたり前なことには気づきにくく言語化も難しい.だからこそそれを探究し,言語化することを進めてきた.例えば,植物状態患者と呼ばれる遷延性意識障害患者との身体を介した交流である.そもそも意識障害患者との交流が可能なのか,と思われるかもれない.しかし,やり取りの詳細を分析すると,そこでは〈身体〉の水準での応答が起こっている.ナースコールが鳴った覚えがないことに気づき,すぐさま患者の状態を確認する看護師の実践も解明した.看護師は音のみに応答しているのではなく,病棟全体を展望しつつ,ナースコールを押す患者への応答という習慣を身体化しているために,音の不在をも把握できる.そして,それがリスク管理にもつながっている.
このように見てくると,私たちの医療実践には,様々な疑問やまだ気づいていないことがある.
多様な医療機器との対話もそうである.実践を充実させるために必要なことは,見ているけれども自覚できていないことに気づくこと,ではないだろうか.既存の者の見方を転換し,その気づきを疑問へと発展させることで,研究が身近な営みになることを期待したい.
